5羽目
(未由)
幼い頃の菜々がこちらに微笑みかける。
「ねえ、未由?大きくなったらさ・・・」
ああ、なんだっけ。この約束。私、覚えている。覚えているはずなの。
ハッと気が付くと、どうやら車が避難所に到着したらしかった。
隣の視線に気が付く。
美代子さんが心配そうにこちらを眺めている。
「未由、着いたけど大丈夫なの?」
「・・・うん、大丈夫」
左隣に置いていた上着を見る。この中の腕が一体誰のものなのか調べなければならない。すぐ、警察が来るだろうか。
そして腕をできるだけ早く冷やさなければならない。もしかしたら、腕の持ち主が現れる可能性だってある。菜々でなければいいのだが。
急いで車から降りる。避難所に冷やすものなどは備わっているのだろうか。
この町に長い間、戻っていないので全くわからない。
「すみません、ビニールと氷いただきたいのですが・・・」
冬吾が近くの人に声をかけている。冬吾も自分と同じことを考えてくれているのだと思った。私もこうしてはいられない。
ないと思っていた氷水と袋をもらい、ホッと肩を撫で下ろす。しかし、腕を冷やすことはできたのだが、問題は警察にどう説明するか。
交番の尾畑さんが、ここの避難所にいるといいのだが、違う避難所にいる場合事情を詳しく説明しなければならない。勝手だが、私自身はできれば警察とは関わりたくはないのだ。冬吾か拓に対応を任せることができればいいのだが。
避難所は、使われなくなった高校の校舎と体育館だ。
まさか、こんな形で母校に再び来るとは。昔の山火事を思い出しそうになる。
校庭へ出て、母校である校舎を見上げる。
辺りが暗いので、教室にちらほら明かりが灯っているのが見える。
体育館に入らなかった人や、事情がある人は各教室が割り当てられている。その人たちの明かりだろう。
生徒数の少なくなった高校が合併することはよくテレビなどで見かけてはいたが、いざ自分の母校がそうなると、呆気ないものなのだなと思った。
「おー、なんだか懐かしいな」
後ろから声がしたので振り返ってみると、拓が同じように校舎を見上げている。
「ね?」
そう言ってまた校舎を見上げた。
大人になると学生時代の思い出は、美化されやすいのだろうか。
当時は少しグレていた拓も、こうしてしっかり医者として働いているのだから、人生何が起こるのかなんて誰にもわからないものである。
「なあ、あの腕どうしたんだよ?」
拓が心配そうな声で聞いてくる。
「警察が来るまではどうにもできないけど、人目に付くところに置いておくわけにもいかないから、今は冬吾がついている。どこかの教室にいるはず」
明かりがちらほら点いている教室のどこかに、冬吾とあの腕いるのだ。
「もう遅いし、あの腕の持ち主はもう現れないと思うぞ」
拓が言った。私もそう思う。
腕を切断してしまった場合、すぐ適切な止血をしなければ失血死する恐れもある。この時間まで、持ち主が現れないとすると、腕の持ち主はすでに死んでいる可能性がある。もしくは『死んでいる人の腕を切ったか』のどちらかになる。
「ここに腕の持ち主がいないだけ、まだいいよ。ここでは縫合できない」
思わずそんな本音が漏れた。
「医者としての本音だな」
拓も同じ医者としてわかっているのだ。
「俺も切るのは得意だが、縫い合わせるのはあまり得意じゃない」
「外科医がそんなこと言って、大丈夫なの?」
拓は外科医だ。実際、腕を元に戻すために縫合するのは形成外科医だが、外科医も手術後の傷を縫合するので、苦手と言ってしまえば、患者はおびえるだろう。
「お前こそ、研究者だろう。そのうち腕を生やすみたいな研究できないのかよ」
「何、SFみたいなこと言ってIるのよ。そんなことできたら医療はとっくの昔になくなっています~」
拓が恐ろしいことを言い始めるので、反論する。研究者だからといって、なんでも研究させてもらえるわけではないのだ・・・公式には。
「あ~ちょっといいかい?」
後ろから、拓ではない声が聞こえる。この声は・・・
後ろを振り返ると、交番の尾畑さんがいた。
「・・・尾畑さん」
口から懐かしさが漏れた。
「おや、君は・・・」
急に名前を呼ばれたので驚いたのだろう。尾畑さんが手に持っていたバインダーを落とす。
「もしかして・・・未由か?」
暗くてよく見えないのだろう。目を凝らしながら私を見ている。
「尾畑さん、俺は?」
拓が自分も気付いてほしいと言わんばかりに、自身を指さす。昔からこういうところだけは、ちゃっかりしている。
「ん?・・・お!拓か?」
「そう!そうだよ!いや、懐かしいな」
拓が尾畑さんの両肩を掴んで揺さぶっている。
「おいおい、いくら何でも強すぎるって」
尾畑さんが拓の揺さぶりを止めながら
「もう年なんだから」
と離れていく。
確かに、私達が大人になったぶん、尾畑さんだって年を重ねたのだ。
先ほど、地面に落としたバインダーを拾い、こちらに歩いてくる。
「帰って来てたのか」
「金丸のおじいちゃんの葬式でね」
「そうか」
と言った尾畑さんの顔が寂しそうだった。そうでもなければ、この町には帰ってこないことを、何故か尾畑さんは知っているように思えた。
「二人ともおかえり。冬吾は帰って来てるのか?」
尾畑さんが辺りを見回しながら言う。
「そのことについてなんだけど・・・」
幼い頃の菜々が、何か楽しそうに私に言ってくる。
「ここはね、実はあたしのお気に入りの・・・」
ごめん、ごめん菜々。
聞こえないの。私にはその先の声が聞こえないの。
「おい、大丈夫か?」
拓のその声で我に返る。ここ最近、ずっとこんな調子だ。
「・・・うん、大丈夫」
「お前の大丈夫は、昔から全然大丈夫じゃなかったような覚えがあるんだけどな」
拓が鼻で笑った。そうだっただろうか。
人間、大抵は自分に都合のいいことしか覚えていない生き物だ。だから、私は幼い頃の菜々の言葉を思い出せないのだろう。
目の前には、腕を確認しながら少し青ざめた様子の尾畑さんと、状況を説明している冬吾がいる。尾畑さんこそ、大丈夫だろうか。
「尾畑さん、ここの地域の警察にはもう山火事だと伝わっているんですよね?」
冬吾が尾畑さんに確認している。
「ああ。消防車も出ているし、山間部だからヘリコプターも出ているはずだ。じきに近くの警察署からも応援が来るはずだ。もし、燃え広がれば自衛隊なんかも出てくると思うぞ」
やはり子供の頃には気が付かなかったが、山火事が起こるとこんなにも大事になるのだと改めて感じた。
「発見時の写真も撮ってあるけど、警察署の人達になんて説明するの?」
冬吾の問いに、尾畑さんは言葉を詰まらせている。無理もない。
「昔の誘拐事件のことは調べられるだろうが、発見した四人にも事情を聞くことになるだろう。決まりだ」
尾畑さんが、静かに言う。
「俺たちの中に犯人がいなくてもか?」
「ああ、もちろんだ」
拓の問いにも、尾畑さんは静かに答える。
おそらく、この中にあの腕を置いた人間がいるとは思えなかった。どさくさに紛れて置くにしては、人間の腕は大きすぎる。
尾畑さんには、菜々の腕かもしれない可能性を話してはいなかった。まだ、希望を持っていたい私たちの、勝手なエゴだ。
「とりあえず、応援がきてから現場検証に行くしかない。今どうこうしようにも・・・」
尾畑さんが、手に持ったバインダーを見る。
バインダーに挟まれた紙に書いてあるのは、町の周辺に住んでいる人の住所や氏名だ。たぶん、逃げ遅れがないかの確認をしなければならないのだろう。
ここに逃げてきた人達だけならいいが、他の避難所だってあるはずだ。尾畑さんが今、一人で動いてもどうこうなる問題ではないのだろう。
「尾畑さんのほかに交番には誰かいなかったの?」
いくら警官とはいっても、一人で勤務することはあまりないのではないか。気になって聞いてみる。
「今はあと一人勤務している。そいつは、白鳥坂の向こう側の避難所の方に向かったはずだ」
「今、連絡はとれないの?」
腰についている警察無線を指さす。
「携帯無線機はつながるエリアが限られている。何度か試したが、全然繋がらないんだ」
携帯無線機に手をかけながら、尾畑さんが言う。やはり、ある程度の山を越えると繋がらなくなるのか。
「普通にスマホで電話したらいいんじゃないか?このご時世、流石にこの辺りにも電波はあるだろう?」
拓がそう言って、ポケットからスマホを取り出し、画面を見る。
「ほらな、二本しかアンテナ立ってないけど、たぶん繋がるぜ」
拓が嬉しそうにスマホの画面を見せてくる。確かに、アンテナは二本立っている。
「それが、あと一人勤務している奴の連絡先を知らなくてだな」
尾畑さんもポケットから、スマホを取り出す。
「なんだよ、連絡先くらい交換しておけよ」
拓が苛立ったように言う。
「最近来たばかりの、若い奴なんだよ・・・ほら、今どきの若い奴って、上司に連絡先を聞かれたくないらしいじゃないか」
尾畑さんが拓の苛立ちにおびえたように言う。
拓が盛大にため息をついた。もう一人の連絡先を知らないのでは仕方がない。
「明日の朝までに、応援が無事に来ればいいが・・・」
尾畑さんが心配そうに、山火事になっている方を窓から眺める。
どこまで燃え広がるかを危惧しているのだろう。
「そう言えば、尾畑さんのご遺体は無事に運び出せたのか?火葬はまだだろう?」
尾畑さんが、金丸のおじいちゃんのご遺体のことに気が付く。
金丸のおじいちゃんの苗字は、尾畑と言う。金丸と言うのは屋号だ。この辺りの地域は、尾畑が異様に多い。だから、呼ぶときは『交番の』尾畑さんなど仕事を最初につけて呼んだり、屋号で呼んだりする。
「実は・・・」
のちに、何故運び出さなかったのかと問い詰められても困るので正直に話さなければならない。私は、金丸のおじいちゃんのご遺体がなくなっていた経緯を話した。
「なっなんだって?」
私が話した内容に交番の尾畑さんが驚く。
「本当に中にいなかったのか。しっかり見たのか?」
「確認しましたよ」
「腕が残されていたり、棺桶の中身の人が消えたことはこの辺りでは、初めてだ」
尾畑さんは目を大きく見開くと、
「あそこまで、山火事が回った話は聞いたことがないが、もしかしてもあり得る」
と、自分自身に言い聞かせているようだった。
「聞きたいことがあるんだけど・・・」
話を黙って聞いていた冬吾が、いきなり話始める。
「・・・おう。どうした」
「最後にこの辺りで山火事が起きたのって、いつが最後?」
「・・・お前らの母さんたちが亡くなった火事が最後だ」
尾畑さんが言いづらそうに話す。
「その前にも山火事はあったの?」
「ああ、何回かはあったな。だが少し・・・」
「少し?」
冬吾が前のめりになる。そんなに気になるのか。
「ああ。お前らの母さん達の火事も、今回の火事もかなり燃え広がっているが、それより前の火事はもっと小規模だった」
「小規模?」
「山一つは燃えたりしていないってことだ。山火事の大半は野焼きをしたり、煙草の不始末だったりの人為的な火事が多い。だから、ここまで広がるなんてはっきり言っておかしいんだ」
尾畑さんが言い切る。冬吾は何かを考えているようだ。後で教えてもらおう。
「山火事の記録って、交番にあったりする?」
冬吾の探求心があらぬ方向に向かっている気がした。
「あっても、お前ら一般人には見せることはできない」
尾畑さんがはっきりした口調で言う。
「・・・あはは、冗談だよ」
そう言っている割には、冬吾の顔は冗談を言っているようには見えなかった。
ガラガラッ
老朽化している校舎の扉が、いきなり開いた。
「あの~すみません。交番の尾畑さんいます?」
中年の男性が扉から顔を出す。
「あ~はいはい。どうしました?」
尾畑さんが扉へと向かう。
「あ、いや。炊き出しができたんで、みんなに声をかけていて・・・」
「あ~それは、それは。ありがとうございます」
尾畑さんがこちらを振り返る。
「とりあえず、飯だ、飯!」
幼い頃の菜々が私に何か手渡す。
手を開いてみると、あの鍵だ。私だけの秘密だと思っていたのに・・・。
「未由も持っているの?お揃いだね」
菜々が笑っている。
「未由、未由・・・未由ってば!」
冬吾が珍しく大きな声を出すので驚いた。また、ぼーっとしていたようだ。不意ポケットに入れていた鍵を握りしめた。
冬吾を見ると、黙って顎で合図する。
炊き出しの列が、私のせいで止まっているらしかった。
後ろに並んでいた人達に、すみませんと頭を下げて前に進む。
どうやら、炊き出しの献立はカレーのようだ。いい匂いが食欲をそそる。
「炊き出しはカレーなのか」
交番の尾畑さんが少し肩を落としているように見えた。
「尾畑さん、カレー嫌いなんですか?」
拓が尾畑さんに聞いた。
「あ〜、嫌いな訳ではないが、昔この町で食中毒が出た時のメニューもカレーだったんだよ」
「食中毒?」
その話は初耳だった。
「あ!それこそお前さん達五人が食中毒で入院した覚えがあるぞ?」
「え?覚えてないな」
拓が驚いている。私の記憶にもなかった。
「冬吾、覚えている?」
後ろの冬吾を見ると、眉間にシワを寄せていた。
「覚えているような・・・いないよな・・・」
私たちも幼かったのだろう。こういうことは美代子さんに聞くのが早い。
「あれ?そう言えば、美代子さんは?」
辺りを見回すが、美代子さんの姿が見あたらない。
「ああ、なんか食欲がないらしい。昼の腕でだいぶ堪えているらしい」
前に並んでいた拓が言う。そうか、普通そうなるのか。
「俺ら、慣れすぎているんだな。そういうことに」
拓がつぶやいた。やけに深みのある言い方だ。
「慣れなきゃ、医者なんて、やっていられないでしょう」
そう何回も教授や先生に言われてきた。
私も同じことを言うようになってしまったのか。
「ははは、ついに未由に言われるようになっちまうなんてな」
拓が笑う。私たちの母親が生きていたのなら、同じことを言われたのかもしれない。
「・・・未由、時々母さんみたいなことを言う」
後ろから冬吾が、小さく言ったのを聞き逃してはいなかった。
後ろを睨み返す。
冬吾がバツの悪そうな顔をしている。
「まあまあ、今日はカレーなんだから許してやれって、未由」
拓がなだめに入ってくる。はなから怒ってなどいない。
「カレーに免じて許してあげる」
冬吾にそういうと、冬吾が少し笑った気がした。
そう言えば今日は金曜日だ。昔、母がカレーを作る日はいつも金曜日だった。
懐かしいと同時に、他の料理は美味しく作くれるのにカレーだけは下手くそだったことを思い出している。幼い頃でも思ったものだ。何故こんな味になるのかと。
炊き出しをもらい、割り当てられた教室へと戻る。美代子さんはどうやら別の教室にいるらしかった。
三人で輪になって座る。
「いただきます」
と手を合わせると、拓と冬吾も手を合わせた。金丸のおじいちゃんの教えを皆覚えているのだ。
「そういえばさ・・・」
カレーを頬張りながら拓が思い出したように話始める。
「うちの母さん、カレーだけは作るの、下手くそだったんだよな」
苦笑いしながら言う。・・・拓の家も?
「それを言ったら、僕の家も」
と、冬吾が笑っている。
「なんだあ?全員の家のカレーが、不味いってことはあるのかよ?」
拓が面白そうに笑って見せる。
「うちはいつも金曜日がカレーだったんだけど、カレーがこんな味になるのはどうしてだろうって、いつも考えていたよ」
私はカレーを頬張りながらそう言った。どこの家も一緒なのだと思った。
カレーが不味かったのは家だけではなかったと妙な安心感がある。
「そう言えば、うちも金曜日がカレーだったような気がするな」
そう言って、拓がいきなり立ち上がる。
拓はもうカレーを食べ終えたらしく、
「おかわりできるか聞いてくる」
と、教室を出て行く。炊き出しのカレーはおかわり可能なのだろうか?少し気になった。
「・・・うちも金曜日だった気がする」
冬吾が首をひねる。
「そう言えば、さっき交番の尾畑さんの話の何に引っかかっていたの?」
当時の山火事の記録を見たいだなんて、冬吾は何かに気が付いているのだろう。
「いや、小規模な火事が起こっているのに消し止められるのは、誰かが意図的に燃やしたか、山火事をいち早く知らせていた人間がいるんじゃないかと思って」
「要は、誰かが何か理由があって山火事を起こしていたんじゃないかってこと?」
「そう」
冬吾が言いたいことは、わからなくもない。
「だけど、逆もあるんじゃない?お母さん達の山火事と、今回の山火事があえて広がるように仕向けられていたとか」
「確かに、そういう考えもある。それに、金丸のおじいちゃんのご遺体は一体どこにあるのかもわからないし」
冬吾が食べていたカレーを皿の上で混ぜ始める。きっと、食べ方のこだわりなのだろう。
私が混ぜている様子を凝視していたからなのか、「癖なんだ」と冬吾が笑った。この食べ方、どこかで見たことがあるような・・・
「おい!大変だ」
いきなり教室の扉が開いて、拓がカレーを片手に戻ってくる。
驚いて持っていたカレーを落としそうになる。そんなに焦ってどうしたというのだろう。
「美代子さんの姿が見当たらないんだ」
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