10羽目

(未由)

 ここはどこだろう

 まるで日本ではないような部屋の作り。

 暖炉にロッキングチェアまである。それなのに、どこか懐かしく感じるのは気のせいなのだろうか?

 誰も座っていないロッキングチェアが揺れる。

 貴女が夕暮れどきの魔女なの?


 部屋の扉を、誰かがノックする音で我に返る。

「お夕飯のご用意ができました~。お邪魔しても構いませんか?」

 どうやら、もうそんな時間らしい。中に入ってくるといことは、この宿はどうやら部屋食の宿らしい。

「は~い、どうぞ」

 部屋の外で待ってくれているであろう、仲居さんに声をかける。

「失礼します」

 仲居さんが、入ってくるのがわかる。襖が開かれ、食事が運ばれてくる。

 手際よく、テーブルの上に料理が並べられていく。

「ごゆっくりどうぞ~」

 仲居さんが笑顔で言い、部屋から出ていこうとする。こちらも笑顔でそれに応える。


 コンコンコン


 誰かが、また部屋をノックしてくる。拓だろうか。

「失礼します、こちらにお連れ様の方いらっしゃいますか?」

 別の仲居さんが、部屋の扉から顔を覗かせる。

 若い仲居さんだ。

 お連れ様ということは、拓のことなのだろう。部屋にいないのだろうか。

「いませんよ」

「そうですか・・・」

若い仲居さんが少し困っているような顔をした。

「ほら、入るときは顔だけ出しちゃだめよ」

料理をつけてくれているベテランの仲居さんが、若い仲居さんに言った。

「そうですよね・・・大変失礼致しました」

若い仲居さんが、会釈をして扉を閉める。もしかしたら、新人の仲居さんなのかもしれない。

「ごめんなさいね、あの子新人なもので・・・」

 ベテランの仲居さんが謝る。

「いえ、そんなことないですよ」

 元はと言えば、拓が部屋にいないのが悪いのだ。新人の仲居さんが怒られなければいいなと思った。

「もしかしたら、お風呂に入っているかもしれません。寝ている可能性もありますが。こちらこそ、ご迷惑をかけてしまってすみません」

 ベテランの仲居さんに、頭を下げた。

「いえいえ、それを見越して動くのが仲居ですから」

 そう言って、ベテランの仲居さんが「では、ごゆっくりどうぞ」と部屋から出て行く。どの仕事にも、どんなところにもプロは隠れているのかもしれない。


 出された料理を食べていると、廊下がやけに騒がしいことに気が付いた。どうかしたのだろうか。

 部屋の扉から、そっと顔を出して廊下の様子を確認する。

「お風呂にもいないってどういうことですか」

避難所と金丸のおじいちゃんの家で、話を聞いてきた女性刑事さんが声を荒げている。たぶん、言われているのは、先ほどの新人の仲居さんだ。

 拓が言っていた、『疑われているかもしれない』は、どうやら本当だったようだ。

 顔を出していた扉を気が付かれないように、そっと閉める。

 先ほど、新人の仲居さんは拓を探していた。ということは、拓がいなくなったのか?何故?

 部屋の扉がノックされる。驚いてのけ反る。様子をうかがっていたのが、バレてしまったのだろうか。

「はい・・・」

ゆっくりと部屋の扉を開けた。

「お食事中に失礼します、この部屋に尾畑拓さんはいらっしゃいますか?」

「いえ、いません」

女性刑事が、

「確認させていただいても?」

と、中に入ろうとしてくる。

 あまり気持ちのいいものではないが、疑われるよりはずっとマシだ。

「どうぞ」

と、女性刑事を部屋に招き入れた。

「ありがとうございます。ご協力感謝します」

女性刑事は、部屋の押し入れやトイレの中を確認した。

「あの、拓が見当たらないんですか?」

「ええ。どこに行かれているのか、ご存じないですよね?」

女性刑事が疑いの目を向けてきているように感じた。

「いえ、私にはわかりません」

この部屋に先ほどまでいたことは間違いないが、これからどこかへ行くとは言っていなかった。

「そうですよね、失礼しました。お食事を続けてください」

女性刑事が部屋から出ていく。その表情は何かを焦っているように見えた。何をそんなに焦っているのだろう。やはり拓が疑われているのだろうか。

 女性刑事の後に続いて、こっそり部屋から出る。

 廊下を進み階段から、下の様子をうかがう。

 女性刑事は誰かに電話をかけているようだ。

「被疑者がいなくなりました・・・え?被疑者じゃない?それは調べて見ないことにはわからないじゃないですか」

 女性刑事は『被疑者』と言っていた。やはり、拓が疑われているらしい。

「大体、こちらの事件では被疑者ではなくても、臓器売買の方では被疑者で間違いはないようです。裏も取れました」

 女性刑事は、はっきりとそう言った。まずい、もう警察は調べているのか。

 裏が取れているということは、逮捕目前ということなのだろうか。

「なんでちゃんと見張っとかないのかって、尾畑さん。貴方でしょう、体育館にいた人間全員に白衣の男を目撃していないか聞けって言ったの。ただでさえ、人数不足なのに。応援はいいです、こちらで探します」

 女性刑事の口調が荒い。相当怒っているようだ。

 電話を切り、玄関先にいた別の刑事と宿を出ていく。これから拓を探すということか。何故、拓はいなくなったのだろう。

 臓器売買のことで逃げたとしたら、私に『それは明日の朝聞かせてくれ』なんて言うだろうか。私には、拓が逃げたとはどうしても思えなかった。


 誰もいなくなった一階の受付に降りていく。

 私も拓を探しに出た方がいいだろうか。あの話を聞く限り、警察はあのまま今回のことも拓を犯人にしてしまう気がした。少なからず、拓は今回の誘拐の犯人ではないと思う。

 ふと、階段を下りた先の写真たちに目が行く。

 この宿に来たときには気が付かなかったが、玄関には沢山の写真が飾られていることに気が付いた。白黒写真もあるので、この宿の歴史が長いことがわかる。

 壁だけではなく、ガラスのケースに入れられた写真もある。

 見知った顔がないか探す。どの写真にも、金丸のおじいちゃんが写っていることに気が付いた。金丸の屋号の由縁を知っている私からしたら、笑えてくる。

 私はどうしてこの人のために、自ら十字架を背負ったのだろうか。今更、後悔してももう遅いのだ。金丸のおじいちゃんの微笑んでいるその顔が、疎ましく思えた。

 ガラスケースの中の写真を見ていると、端っこの方に見知った顔しかいない写真を見つけた。若かりし頃の母親たちの写真だ。母たちの写真は、山火事で全て燃えてしまったので、この一枚は大変貴重だった。宿の女将さん頼んで、譲ってもらえないだろうか。もはやコピーでも、譲ってもらいたいぐらいだ。

 五人の母親たちの隣に、金丸のおじいちゃんともう一人男性が写っている。

 この顔は・・・

 急いで、受付の呼び鈴を鳴らす。

「は~い」

 受付の奥から、女将さんが出てくる。

「女将さん、ちょっと!」

 女将さんをガラスケースの前まで誘導する。

「あら、どうしたの?そんなに慌てて」

「この・・・母たちと一緒に写っている男性って誰ですか?」

「どれどれ~」

 女将さんが、着物の懐から小さな眼鏡を取り出す。たぶん老眼鏡だろう。

「あ~、金丸さんね」

「それはわかっています、もう一人のほう」

「え~どちらも金丸さんよ?」

 女将さんが、奇妙なことを言う。

「あの、それってどういう・・・」

「一人は、尾畑昌夫さん。もう一人は息子さんの尾畑誠さん。誠さんは、もうずっと前に火事で亡くなっているんだけどね」

 女将さんの言葉に唖然とした。この人が尾畑誠?

 もう一人私には気になる人物が写っていた。私の母親の隣で、笑う女性がいた。私は、この人を見たことがある。

「あの、この人はどなたですか?」

「ああ、後ろの山のてっぺんに住んでいた尾畑さんよ。金丸さんの奥様」

私は気が遠くなってきた。

「あら、どうしたの?顔色が悪いわよ」

と、言って女将さんから離れた。

 私はそのてっぺんに行かなくてはいけない。確かめなければいけない。

 あのロッキングチェアがあるのかどうか。

「ありがとうございます、私行ってきます」

 後ろから、女将さんが

「行くってどこに?」

と叫んでいる。

 聞こえていないふりをして、玄関から外へ出る。

 宿の後ろの山なら、どこかから裏に回らなければならない。

 辺りを見回した。

 左側に裏に回れそうな小道を見つける。行けるかもしれない。


 山の麓まで来たまではいいが、この先に道があるのかはわからない。ひょっとしたら、獣道かもしれない。この山を登って行けるのだろうか。

 ポケットに手を入れてみるが、生憎スマホを部屋に忘れてきてしまう。

 仕方がない、このまま行くしかない。暗闇にも目が慣れてきた。

 ふと、足元のわずかな光に目が行く。何だろう。

 しゃがみ込んで確認する。蓄光塗料だろうか。粉のような・・・

 それが道をなしていることに気が付いた。蓄光塗料は、太陽の光を蓄えて発光するので、だんだん発光する光が弱くなってくる。拓がいなくなったのは何時頃だろう。蓄光塗料の光がだいぶ弱まっている。急がなくては。

 足元に気を付けながらも、蓄光塗料が成す道を歩いて行く。

 蓄光塗料が、まるでヘンゼルとグレーテルの話のようにこちらだと道を示してくる。拓がこんな道しるべを、残してくれているのだろうか。

 その蓄光塗料の小道を登り始める。

 ああ、なんで気が付かなかったのだろう。今更、後悔ばかりが胸を責め立てる。

 冬吾のカレーの食べ方の『癖』を見たとき、思い出せたじゃないか。

 あの食べ方は、壮ちゃんも・・・光も同じ食べ方をするじゃないか。

 そして私はよく知っているのだ、あの顔を。ずっと死んだと思っていたけど、何故生きているの?壮ちゃん。そして何故、私と結婚したの?


「僕はもしかしたら、遠くの世界へ行かないといけないかもしれない」

「遠く?もう会えないの」

「うん。だからね、未由ちゃん」

「ん?」

「来世では僕と結婚してね」



はあーと、大きく息を吐いた。だいぶ上がってきた感覚はある。

 蓄光塗料が続く先で切れているようだ。ということは、たぶんそこで拓は私を待っている。もしくは冬吾。それから、連れ去りの犯人。いずれにしても、登って行かなければいけない。

体力的には限界に近いが、もうひと踏ん張りか。

 月が出ているのに、木々が生い茂り、全く月の光が入ってこない。

 拓が山を下りて、もうどこかへ逃げてしまっていたらどうしよう。

 山道を上がっていくにつれ、どんどんネガティブな考えばかりが頭を巡る。

 蓄光塗料がついに切れた。

 目の前には、古い建物のようなものがある。小屋のようだ。

 ゆっくりと、進んでいく。

 小屋の外に人影が見えた。

 人影に向かって駆け寄って行く。拓は、逃げてはいなかったのかもしれない。もしくは、冬吾がいるかもしれない。早く二人に話さなければ。壮ちゃんが生きていたと。

 なかったはずの月明かりが差し始める。

「た・・・」

 言いかけて止まる。

 拓ではない。

 冬吾でもない。

 そこにいたのは、血で着ている白衣を汚した光だった。

 光がこちらに気が付く。

「あ、ああ・・・未由まで来ちゃったのか」

 光が少し寂しそうな顔をする。光が手にしているものに気が付く。

「拓、拓はどこなの?」

 光は頭から血を流している拓を引きずっていた。

「もう遅いよ、たぶんもう助からない」

 光が、どこかを虚ろに見ながら言う。

「わからないじゃない!」

 怒りがこみ上げて、叫ぶ。涙が出てきた。スマホがあればここで誰かに助けを呼ぶことができたのに。

「未由、落ち着いて」

「落ち着けるわけない!」

 光が、何かを言いたいような顔をしている。いつもそうだ。私に何か言いたい顔をするくせに、結局何も言わないのだ。

「・・・壮ちゃんなの?光は壮ちゃんなの?」

 自分の声が弱々しく聞こえる。声が震えるのだ。

「はは、五人でした約束の話でもする?」



 お母さんが私の手を握る。

「夕暮れ時の魔女はね、お母さんなのよ」

 真っ赤な夕日の中、母は泣いていた。



「拓を離して」

「それはできない。未由は知らないの?拓は・・・」

「臓器売買の話でしょう?もう知っている」

と言って、光を睨みつけた。

「はあ・・・わかった」

 呆れたように、光が拓から手を離した。

 拓に駆け寄る。拓の頭を自分の膝に乗せる。

「拓!拓!」

 声をかけながら、体を揺する。顔色が月明かりに照らされて青白い。

 顎周りがすでに固くなっている。体はもう冷たくなり始めていた。

 来るのが遅かった・・・

「だから言ったんだ。もう助からないって」

 光は近くにあった、建物のような瓦礫に座る。

「どうして、家族なのに殺したの?・・・教えて」

 光が何処か遠くを見つめている。

「昔話をはじめよう」

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