9羽目
(拓)
金丸のジジイの家に戻れたのは、夕暮れどきだった。
結局、美代子さんはまだ目覚めてはいないが、俺たちは戻っていいらしい。疑われている人間はずっと拘束されているものだと思っていたので、家に帰してもらえることはありがたい。
しかし、後ろから着いてくる警察車両に、まだ疑いが晴れていないことを突きつけられる。俺たちは、嘘は、言っていない。『言っていないこと』があるだけだ。
ミニバンを降りて、家の中へ急ぐ。金丸のジジイのご遺体を探さなければならない。
未由もミニバンから降り、後ろを着いてくるのがわかった。
警察車両から、女性刑事も降りてくる。
縁側は閉めた覚えがあったが、玄関の鍵はどうだったか。
玄関の引き戸に手をかけると、鍵は開いていた。美代子さんは、最後鍵を閉めて出たのだろうか。
中に入り、縁側の襖を開ける。ふとした違和感があった。俺たちは、この縁側の襖を閉めて出たか?
襖を開くと、すぐに置いてあるはずの棺桶がなかった。もしかしたら・・・
祭壇の方へ急ぐ。俺の予想が正しければ・・・
祭壇の下をよく見る。やはり、俺の予想通りだった。
金丸のジジイの棺桶が元に戻されている!
「はい・・・、こちらで棺桶を発見しました。鑑識を・・・」
女性刑事が後ろで電話している声が聞こえる。たぶん、あの尾畑と言う刑事に報告をしているのだろう。
未由と俺は、棺桶の横で立ち尽くしていた。確認のため開けた棺桶には、金丸のジジイが何事もなかったかのように横たわっている。
「こんなことってありえる?」
未由が俺を見ながら言った。俺は黙って首を振った。
「確かに確認したよな。棺桶の中身を・・・」
「ええ、間違いない。四人でちゃんと確認した」
こんなことは、あり得るのだろうか。
「さすがに、幽霊の仕業ではないよな?」
「もう、真面目に考えて!」
冗談を言った俺に未由が怒る。
「未由、ちょっといいか」
大真面目な顔をして、未由に言った。
後ろを振り返ると、女性刑事はまだ電話しているようだった。
もう一人の刑事は、玄関の辺りにいる。今なら話せそうだ。
「何?」と、未由が聞いてきた。
「今思い当たる持ち出した人間は、菜々か冬吾だが、菜々はもしかしたら片腕かもしれないし、運び出して戻すのは無理だ。冬吾だったとしたら、俺たちと行動しているうちに、金丸のジジイのご遺体を運び出したことになる。それは流石にできない」
ここまで言ったら、未由は気が付いてくれるだろうか。俺の推理を。
「・・・もしかして、美代子さんならできるって思ってる?」
未由が俺を見た。やはり、言いたいことに気が付いてくれたようだった。
俺は頷いた。未由が自分の口に指を当て、何か考えているようだった。
「そうなると、菜々がいなくなったのは?美代子さんは、この家にいたからご遺体は動かせたかもしれないけど、菜々がいなくなったとき、美代子さんは多分この家にいたよ?」
「考えたくはないんだが、冬吾と共犯ってことは考えられないか?冬吾が菜々を襲い、腕を切断し隠し持っていた。確か、『何かが落ちている』と車を止めさせたのは冬吾だ。駆け寄る振りをして腕を置いた」
我ながらに、完璧な推理だと思った。
「じゃあ、どうして菜々の腕を切断するの?」
「そりゃ、誘拐事件の模倣だよ」
「それはない。だって、美代子さんが車の中で誘拐事件のことを教えてくれたんだもの。車に乗る前に、菜々を襲って、腕を切る必要は一体どこにあるのよ」
そう言われてしまうと「確かに」としか言いようがなくなった。
冬吾が菜々を襲い、腕を切断する理由がないのだ。
「美代子さんと冬吾に失礼。疑われ損だよ」
未由が柄にもなく、今日はピリピリしている。どうしたのだろう。
「なあ?なんでそんなにピリピリしているんだ?」
そう聞くと、未由が俺を睨んだ。
「時間がないの。私、明日帰らなきゃいけないから、ここでわかる範囲のことを調べたいし、何か手掛かりを見つけたいの。推理ごっこしている場合じゃないの」
未由の目が本気だ。気迫に押され「わかった」とだけ返事をした。
俺も明日ここを発たなければならない。それまでに少しでも何かわかればいいのだが。
「美代子さんに確認が取れてからですが、こちらのご遺体はとりあえず預からせていただくことになりました」
しばらく電話していた、女性刑事が言った。こんな状況では、葬式もまともにできなそうなので、その方がいいのかもしれない。
「鑑識が到着するまで、お二人にはお話を聞いてもよろしいですか?」
女性刑事が確認してくる。
「はい」
未由が言ったので、俺も大きく頷く。
「では、こちらの尾畑昌夫さんのご遺体を運び出そうとしたのは、何故ですか?」
「山火事で警報が鳴っていたからです。ここまで火がくる可能性は捨てきれませんから」
未由がセリフのように淡々と答えた。
「こちらの尾畑昌夫さんの、ご遺体が入っていないと気が付いたのはいつですか?」
「あ、それは冬吾と俺が縁側から運び出そうとしたら、冬吾が異変に気が付きまして・・・棺桶を開けてみたら、中が空っぽだったんです」
思い返せば、人一人が入った棺桶が、いくら車輪がついていたとはいえ、あんなに軽いわけがなかった。
「開けて確認されたのは、そのお二人ですか?」
「いいえ。私と美代子さんも確認しています。中は、間違いなく空っぽでした」
未由が冷静に答える。
「そうですか。わかりました」
女性刑事が、書き込んでいた手帳を閉じる。
「そろそろ鑑識が来ます。ここは、調べさせていただきますので、今日は宿に泊まってもらいます。荷物をまとめてください」
女性刑事はそういうと、玄関にいた刑事と合流し外に出た。
未由が立ち上がったので、荷物を準備するつもりだろう。
俺も立ち上がって、未由の後に続く。
いきなり未由が後ろを振り返った。
「うおっ、何なんだよ。びっくりするじゃねえか」
「拓、少しでいいから刑事を見張っていて」
俺は、荷物をまとめるふりをして、先ほどから外で待っている刑事をちらちら見ている。
「おい、未由まだかよ」
小声で未由に聞く。
「待って、もう少し」
後ろから未由の声が聞こえる。
鑑識が来る前に、金丸のジジイの棺桶を調べたいと言ったのは未由だ。
さすがにまずいだろ、とは思ったが、それで俺たちの疑いが晴れ
るならお安いもんだ。調べられたくないことがあるのは、もしかしたらお互い様なのかもしれない。
「さすがに、手袋はしているんだろうな?」
いくら俺たちでも、棺桶をべたべた触っていたら、指紋で更に怪しまれる。
「うん、している。当たり前でしょ」
未由は機械的な返事をした。目の前のことに集中しているんだろう。
「・・・うん、終わった。もういいよ」
後ろを振り返ると、ゴム手袋を外す未由がいた。
その姿は、俺なんかより外科医向きだ。
「よし、じゃあわかったことは宿で聞く」
俺はそう言って荷物を持ち、玄関へと向かった。
宿は、やはず坂を一番下まで下ったところにあった。海に一番近い。
人生でそう乗ることはない、警察車両に乗せられて、気分はあまり良くない。
俺と未由は、明日帰らなければいけないと告げたところ、警察車両で送ってくれたのだ。
ご厚意なのか、逃亡防止としてなのかはわからなかった。
警察車両は、ご丁寧に宿の入り口に止まってくれた。これじゃあ、注目の的になってしまう。
「着きました、どうぞ」
そう言われて、外側からドアを開けてもらう。
未由と俺は、警察車両から降りた。
「明日、十時頃迎えにきますのでよろしくお願いします」
そう言って、女性刑事は去って行った。しかし、俺たちはもしかしたら、どこからか監視されているのかもしれない。
宿の女将さんに、部屋に案内してもらう。
「拓、荷物を置いたら私の部屋に来て」
未由が小声で言ってきたので、「了解」とだけ返事をする。
部屋に荷物を置き、未由の部屋へと向かった。
コンコン
未由の部屋の扉をノックする。
「ちょっと待って」
中から、未由が言った。着替えでもしているのだろうか。
どうやら、誰かと電話をしているようだ。
仕方なく、黙って扉の前で待つ。
「入って」
中から、未由の声が聞こえたので中に入る。俺の部屋と造りは同じような和室だった。
「ごめんね、旦那からだった。いつ帰ってくるのかって」
冬吾がいないので、本当に旦那かどうかはわからなかった。
「心配性な旦那様だな。昨日も電話してなかったか?」
未由は四人の中で、唯一結婚をしているが、俺は未由が結婚をするとは思っていなかった。幼い頃から、壮のことが好きだということを知っていたからだ。だから、結婚したと聞いたときには壮のことは振り切れたのだと思った。なんでも相手は、法医学を学んでいた時に同じ研究室だったらしい。
「心配性よ。今どこにいるのかとか。ちゃんとご飯は食べたのかとか・・・母親みたい」
「そりゃどっちかといったら、父親じゃないか?」
俺がそういうと、未由は「確かに」と笑った。
「で?何かわかったのか?」
俺は部屋に用意されていた座布団に座った。
「うん、動かされた形跡はあった」
未由が言うのだから間違いはないだろう。未由は元法医学医なのだから。
「他には?」
「外側だけでわかる範囲は少ないの。付着物やどこかに擦れた後もなかったし、よほど丁寧に動かされていたみたい」
可能性としては、よほど几帳面で心配性な人間か、俺たち側の人間か、だ。
やはり散々疑っているが、冬吾や菜々の可能性は捨てきれない。もしくは・・・
「なあ、尾畑誠だっけ?風鈴のばあさんが言っていた人って。ばあさんは幽霊だって言っていたけど、実は生きていて連れ去っているとかないよな?」
医者としての立場なら、そんな実証できない話はしないが、この町には奇妙なことがありすぎるのだ。
「・・・それは流石にないと思う。ただ・・・」
「ただ?」
未由が何かを言いかける。
「尾畑誠は・・・美代子さんのもう一人のお兄さんらしいの」
「え?」
話がついていけなくなった。兄弟?ということは、あの刑事の尾畑とも兄弟ということになる。金丸のジジイのもう一人の息子?
「一体どこからの情報だよ?」
「美代子さんを一緒に探してくれた、近所のおばちゃん達。風鈴のおばあちゃんがあんな状況だから、噂話が好きなおばちゃん達なら教えてくれると思って」
未由がこちらを見てニヤリとした。ちゃっかりしている。
「山のてっぺんに、昔おばあちゃんが一人で住んでいたらしいの」
「美代子さんが言っていた、夕暮れどきの魔女のモチーフにされた恐いばーさんだな?」
「そう。そのおばあさん、子供にお菓子をあげたりして、家に呼んでいたらしいの」
「なんか、どっかで聞いた話だな」
「だからもしかしたら、モチーフなんかじゃなく・・・」
「本物の夕暮れどきの魔女なんじゃないかって話だな?」
俺の言葉に、未由が黙って頷く。
「だが、そのばあさんが子供を誘拐していたとして、子供をどうしていたんだよ?まさか、本当に食べていたとかないよな?」
急に身震いが起こる。
「そこで尾畑誠が出てくるの。小児科の医師だったらしいんだけど、全然病院にいない医者だったんだって」
「じゃあ、何をしているっていうんだよ?」
診察も治療もオペもしない医者は一体何をするのだろう。
「もしかしたら・・・」
未由の顔が曇った。
「可能性で考えられるものは、移植と臨床実験か・・・?」
可能性のあるものを言ってみた。一瞬、未由の顔が強張った気がした。
なあ、未由やっぱりお前・・・
「俺さ、未由に言ってないことがあるんだけど・・・」
下を向いていた未由がこちらを向く。
俺は、冬吾にも言ったように自分の罪を未由に話した。
「拓が何か隠していることには気が付いていた。でも、まさかだよ」
未由が顔を覆いながら、大きくため息を吐いた。
不思議なもので話してしまえば、自分が今後どうなろうとも仕方ないと思えてくる。
「たぶん、俺は明日、捕まるかもしれない」
もうそろそろ、調べがついている頃だろう。今回の誘拐事件に関与していなくとも、対象者を調べ上げるのが警察というものだ。だから、できるだけ警察に関わらないようにしてきたつもりだった。
「だから、未由の『話していないこと』を教えて欲しい」
未由がフッと笑う。
「一体なんの研究をしていたんだ?」
「・・・拓が切れないって言った、ガン細胞を小さくする新しい抗がん剤」
金丸のジジイが、ガンだと菜々から聞いたとき、当初は俺が切るはずだった。ただ、全身への転移が酷く、『切ったところで』という有様だった。小さく無数に散らばった、ガン細胞を俺は切ることができなかった。そのあと菜々の病院で確か、抗がん剤で治療していたんじゃ・・・
未由が俺を見る。
「従来の抗がん剤を投与し続けると、効かなくなっていくこと知っているでしょ?」
俺は頷いた。
確かに抗がん剤で、ガンを小さくすることはできるが再発率は高いし、だんだん効き目は悪くなってくる。国民病の完治はなかなかできない。
「・・・なるほど」
「さすがの徹底ぶりだな。今のところ成果は?」
「わかるでしょ?」と未由が苦笑いする。
成果が出ていたら、金丸のジジイは生きていたか・・・
「・・・臨床実験の回数を飛ばしているの。もう何人も殺している」
未由が再び顔を両手で覆う。
「そう言うことか」
「救いたい命は救えず、奪う命だけ奪って、挙句救いたい命は、裏じゃ最低なことをしていたかもしれないなんて、神様は本当に意地悪よね」
未由の言葉に、俺は何も言うことが出来なかった。
「待っていてよ、拓。たぶん私も時期に捕まる」
俺は未由の部屋を後にする。廊下を歩いて、自分の部屋へ戻ろうとする。
「拓!」
後ろから、未由の声がした。
振り返ると、未由が部屋の扉から顔を出している。
「一つ言い忘れたことがあるんだけど・・・」
金丸のジジイの棺桶の話か?
今ここで聞くのは、誰かに見られるかもしれない。ましてや、明日捕まるかもしれないのだ。俺に言ったところで・・・
「おう、それは明日の朝聞かせてくれ。・・・俺はもしかしたら助けてやれないかもしれないから」
「・・・うん、わかった。おやすみ」
未由が部屋の中へ入ったのを見届けて、再び廊下を歩き始める。
ふと窓の外を見ると、裏山に月がかかっている。
子供の頃は、大鷲坂の上の山の方に住んでいたので、海に消える夕日を眺め下ろしたりはしていたが、月をこんな風に山の下から、眺め上げることはなかった。
ふと、月に照らされて何かが動くのが見えた。
誰かいるのか?
暗闇の中を動く影を目で追う。
この辺りは山なので、街灯などあるわけがない。
白い服のようなものが見える。風鈴のばあさんが言っていた、幽霊だろうか。本物の尾畑誠だろうか。それとも、信じたくはないが、冬吾だろうか。
動いていた影が止まる。動く影の主がこちらを見たような気がする。
木の陰から、動く影の主が月の明かりの方へ移動してくる。
月明かりに照らされているとはいえ、顔は見えない。しばし、俺を見ているように見えた。
まるで俺に追いかけてこい、とでも言わんばかりに。
こっそりと、しかし急いで宿の階段を降りる。
受付の奥の厨房で何やら声がした。たぶん夕食の支度をしているのだろう。
玄関から、そっと自分の靴を見つけ出し履く。
もしかしたら、外で刑事たちが見張っているかもしれないと思った。しかし、ここで怯んでしまったら、何もわからないまま終わってしまう。どうせ、明日どうなるかすら、わからないこの身だ。行ってやろう。
あんなに弱虫で臆病な冬吾が追いかけたんだろう?俺も負けてはいられない。
こっそりと、宿の玄関から辺りを見回してみる。刑事の車らしきものは見当たらない気がする。
そっと、玄関をの扉を開けて外に出る。
この辺りは、よく母さんと抜け道や近道を探した場所だ。左側に、裏の山に抜けることができる小道があるはずだ。
宿を出て、左に向かう。小道は昔と変わらずあった。
小道を抜け、山の麓まで来ることができた。ここからが問題だ。
さっきの場所にどうやって行ったらいいか、わからないからだ。
俺の知っている、抜け道や近道を通っているのか?
ふと足元見る。うっすらと明かりが続いているのが見える。これは・・・
蓄光の明かりか?道を成すように上の方へと続いている。まるで、美代子さんに教えてもらった、ヘンゼルとグレーテルじゃないか。
来てください、と言わんばかりのその明かりに俺は山の中へと入って行く。
この先に魔女へと続く、お菓子の家はあるのだろうか?
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