4羽目
(尾畑美代子)
「未由、美代子さん。車から降りるな!」
拓がそう言って、私と未由が降りるのを止めている。
未由が車のドアを開け、顔だけ出して外の様子をうかがっている。
「どう?」
心配で思わず聞いてしまう。冬吾が何か落ちていると叫んでいた。
未由は相変わらず何も言わない。何が落ちていたというの。
未由がいきなり車から降りた。拓が、さっき大きな声を出して止めているというのに。昔から、やはりこの子だけはよくわからない子だった。
「ちょっと、未由!」
車を降りていく未由に声をかけるが、振り向きもしないまま降りて行ってしまった。拓に怒られてたりしないだろうか。
こっそり、車のドアから顔を出して様子をうかがってみる。
拓が立ち尽くしている陰で、冬吾と未由がしゃがみ込んでいるのがわかる。
何が落ちていたのか気になる。止められると、見たくなるのが人というものだ。
ゆっくり車を降りようとする。いきなり拓が振り返る。
「見ない方がいいぞ」
拓の顔が酷く曇っているのがわかった。だが、好奇心が止まらない。
車から降りると、拓の横を通り抜けて、2人の元へと向かう。
未由が私に気が付く。冬吾もこちらを向く。
「ねえ、一体・・・」
落ちていたものを見た瞬間、驚愕した。拓が言ったことを黙って聞いていればよかったとひどく後悔した。
思わず、口元を抑える。胃から熱いものが迫り上がってくるのがわかった。
一瞬目に入った、見覚えのある腕時計が激しく主張してくる。
「だから、言ったんだよ」
後ろから拓の声がする。まったくその通りだった。
道の横にそれて、迫り上がってきたものを山道へと吐き出す。
後ろから、誰かが背中をさすってくれている。その主は、未由だった。
「美代子さん、大丈夫?」
「あれ・・・本物?」
未由から、渡されたハンカチで口元を抑えながら聞いた。
「本物じゃなかったらいいんだけどね・・・本物だと思う」
未由が冬吾の方を見ながら言う。
「・・・そう。気になることがあるんだけど、確認してもらえる?私は見られなそうだから」
「うん、わかった」
未由が再び私の背中をさすってくれた。
「腕についている腕時計・・・赤いベルトでKRSってメーカーじゃない?」
「確認してくる」
背中をさすっていてくれた未由が離れていくのがわかった。
未由が再び戻ってきた。
「美代子さんの言う通りだった。もしかして、知っている人?」
「知ってるも何も・・・菜々の腕時計よ。私が就職祝いでプレゼントしたんだもの」
目からこみあげてくるものと、胃から迫り上がってくるものが同時で辛い。
「噓でしょ?・・・ねえ、美代子さん」
未由が私の肩を揺さぶる。
私自身が購入し送ったものだ。忘れるはずがない。
首を横に振る。気持ちが悪くて、今にも倒れそうだ。
「おい、大丈夫かよ」
様子がおかしいことに気が付いた拓が、来てくれた。
未由が泣きながら、冬吾と腕の元へと走っていく。言わなければよかったか。だが、目に入ってきたとき、どうしても確認しなければならなかった。嘘だと思いたかった。
「・・・未由泣いてなかったか?」
拓が聞いてくる。私は小さく頷きながら
「あの腕、たぶん・・・菜々のかもしれない」
迫り上がってくるものが止まりそうにない。
「おいおいおい、マジかよ」
拓が焦ったように背中をさすってくれる。
「おい!どうするんだ!」
拓が未由と冬吾に言う。山火事からは遠ざかったとはいえ、まだ避難圏内にいることを拓は一番理解しているようだった。
「ここでは菜々の腕だと断定することはできない」
冬吾が焦りながら言っている。あの子の大きな声を久しぶりに聞いた気がした。普段は大人しく、声などを荒げたりもしない。
「発見時の写真をとりあえず撮って、持って避難しよう」
先ほど泣いていたようだった未由が、冷静にスマホで写真を撮っている。
この切り替えの早さはなんなのだろう。しかし、やはり泣いていたようで撮りながら涙を拭っているようだ。ちょっとした違和感は気のせいだったのだろうか。
「美代子さん、車に乗れそうか?」
拓の言葉に私は頷いた。
車に乗ると、未由が上着を丸めた状態で乗ってくる。この上着の中に、菜々の腕があると思うと、また胃から迫り上がってくる。
口を押えると、乗ってきた冬吾が袋を渡してきた。用意がいいのか、車に備えてあったものなのかはわからない。
冬吾から、袋を受け取る。
「大丈夫?美代子さん」
冬吾の言葉に頷いた。
私がしっかりしなきゃいけないのに、この子たちに頼りっぱなしだ。
「じゃあ、出るからな」
拓がそう言って、車のハンドルを切りカーブを曲がり始めた。
「・・・美代子さん」
隣の未由が声をかけてくる。袋を口にあてたまま未由を見る。
「まだ、この腕が菜々だと決まったわけじゃないから」
真っ直ぐ前を見ながら言う。
確かにまだこの腕が、菜々だと決まったわけではない。同じ腕時計の可能性もある。
拓が車を走らせる。もう少しで、避難圏内から出ることができる。
胃から迫り上がったものが落ち着いてくる。しかし、それとは裏腹に車内は重たい空気に包まれている。
「こんな時にあれなんだけど・・・」
未由がいきなりこちらを向く。その顔はいつになく冷静だ。
「誘拐事件について教えてくれない?」
多分、未由は何かに気が付いているのかもしれない。この子は昔からそうだった。大人の隠し事にいつも気が付く子だった。
今ならば、私も話せそうだが、どこまで話せばいいのだろう。口元のハンカチを握りしめる。
「一体何を知りたいの?」
「誘拐事件のすべて」
未由の声が、いつになくはっきりしている。
何故そんなに聞きたがるのだろう。私が知っている未由の母親の面影を見た気がした。
車内の空気は相変わらず重いままだ。
「すべてと言っても、私が知っているものや見たことしか話せないわよ」
「もちろん」
未由が強く頷いた。
「一時期、私がまだ学生の時の話。この町で子供の誘拐が多発したのよ」
私は静かに続ける。
「誘拐犯を特定できなかった大人たちは、集団下校やパトロールなんかをして、誘拐できないようにしていたの・・・それでも誘拐は減らなかった」
「犯人探しはしたの?」
「したわ。目撃情報もなかったの」
未由の言葉に、美代子さんが即答した。
「おいおい。そんな話がこのご時世にあるのかよ。しかもこの辺りで。初めて聞いたぞ」
拓が食い気味に言ってくる。
「大人たちが夕暮れどきの魔女って話を作ったのよ」
そう。あの人に名前をつけた。
「一体、誰が作ったの?その話」
冬吾が後ろを振り返って聞いてきた。どうやら、かなり興味があるようだ。
「誰がって言うのはわからないんだけど・・・」
「ど?」
冬吾は食い気味に聞いてくる。
「山の頂上に、おばあちゃんが住んでいたのよ。魔女みたいなおばあちゃんでね。家に近付こうものなら、怒鳴られたものよ」
「そのばあさんが、夕暮れどきの魔女なのか?」
拓がバックミラーでこちらを見たのがわかった。
私は、首を横に振った。
「その人が由来になったのかもって思っただけよ」
「じゃあ、なんで夕暮れどき?」
冬吾がまた食い気味に聞いてくる。
「子供たちが帰る時間だからじゃないの?」
私自身、そこまで深く意味を考えたことがなかった。冬吾も昔から細かいことによく気が付く子だった。
「ふ〜ん」
と、納得がいかないような顔をした冬吾が、前を向く。
「もしかしたら、誘拐された時間帯なんじゃない?」
「そうかも」
未由の言葉に、冬吾が勢いよく振り返った。
「・・・可能性はあると思う」
「美代子さん的に、怪しい人物は見かけたりしなかったの?」
未由のその言葉に、体が強張る。私が見たものたちが、一斉に思い起こされるような感覚だった。
「美代子さん?」
未由が心配そうに私を見ている。しっかりしなければ、私がしっかりしなければ。
「・・・見ていないわ」
口から嘘が飛び出した。
「そう」
未由が思いの外、あっさりした返事をした。
「でも魔女みたいな人がこの町に住んでいたことは確かだね」
冬吾はこの話の本当の意味を、もしかしたら見つけるのではないだろうかと思った。もちろん未由も。
「魔女なんて流石にいないだろ」
拓が呆れたように言った。
「拓は家にある『ヘンゼルとグレーテル』読んでない?」
冬吾が拓に聞く。
「俺は読んだ覚えはないな。夕暮れどきの魔女って奴も、半分迷信だと思っている」
拓が言った。家にある絵本を拓は読んでいないのだろう。
「だけどよう、せっかくだから読まないかわりに、話の内容を教えてもらってもいいか?俺だけ仲間ハズレな気がしてならない」
そう言って、ミラー越しに未由をみた。
「ヘンゼルとグレーテルの兄弟が義理の母親に森に置き去りにされるのよ。最初はヘンゼルが歩いてきた道に石を置いて、なんとか家に帰れるんだけど、次はパンを置いて、鳥に食べられて帰る道がわからなくなってしまう」
「そりゃー災難な話だ」
「森を迷っているうちに、お菓子の家を見つけて食べていると、そこから魔女が出てくる。二人は捕まって、グレーテルがこき使われ、ヘンゼルは太らされて食べられそうになる」
「結局、ハッピーエンドになるのか?」
「グレーテルが機転を利かせて、魔女をオーブンに閉じ込めて燃やしてしまうのよ。そして二人は無事に家に帰ることができるって話」
この年になって、ヘンゼルとグレーテルの話を再び聞くなんて思わなかった。
父は本や絵本をたくさん買って読ませてくれた。出て行った兄は、そんな父が心底嫌いだったのを覚えている。兄は元気だろうか。
「子供を攫って食べるってことで、魔女か。なるほど。じゃあ夕暮れは?」
「さっきの話聞いていた?拓?」」
冬吾が拓に言う。
「すまん、あんまり聞いていなかった」
拓が正直に言う。
「さっき鳴ったサイレンで思い出したんだけど、ここの町の防災行政チャイムわかる?」
未由がいう。多分私に聞いているのだろう。
「は?なんだよ、それ」
拓が首を捻っている。やはり、山火事のサイレンの音には敏感でも、この町を離れて随分経つ。忘れてしまっているのだろう。
「夕方、五時に必ず流れる曲ね?」
答えをすぐに言っても良かったが、あえてヒントを出して言った。
ここで育ったのならば、きっと覚えているはず。
「夕焼け小焼け?」
冬吾が思い立ったようにいう。そう、その通り。
「山火事のサイレンが毎度流れてたら、気が休まらないでしょ?サイレンの代わりに、町自体に聞こえるように確認しているのよ。あの音楽は」
私も長い間、知らなかったのだが父がいつか教えてくれた。縁側で夕焼けを見ながら。未由も知っているようだった。頷いている。
「夕焼け小焼けで、夕暮れどきってこと?」
冬吾は何となく腑に落ちていないようだった。
「私の予想できる範囲。正解は誰にもわからない」
未由が言う。
「まあ、夕方の方が魔女っぽいからね」
と、冗談を未由に言ってみる。
「昼と夜が交わる時間帯だし、確かに魔女っぽい」
「黄昏よりも、夕暮れの方がなんかしっくりくるわよね」
そう言って、未由と頷き合った。
「二人とも真面目に考えてよ」
冬吾が呆れたように言う。
家族かもしれない人間の腕を持って、しかもその家族を、置き去りにしてきたかもしれないこの状況で、真面目に考えていることなどできないだろう。
「なあ、もう少しで避難場所か?」
運転している拓が、道を気にしている。そう言われれば、そうかもしれない。
運転席と助手席の間から、顔を出して道を確認する。山道なので、ほぼ一本だがどこまで来ているのだろう。
もう少し。もう少しだ。避難所まで着いたら、予定通り行動すればいいだけだ。
「もう少し行った先が避難所で間違いない」
拓が頷いたのがわかる。何とかここまで来ることができた。
あとは、山火事が広がらないことを祈るばかり。
後ろを振り返る。薄暗くなってしまっているため、煙こそ見えづらいが、空には黒い煙が上っているのがわかるほどだ。やはり今回の山火事も酷いかもしれない。
菜々がどうか無事でありますように。父は私が昨日隠したのだから、大丈夫なはずだ。
貴方たちの母親が悪いのよ?
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