女子高生バンクシーはアリスになりたい

大河内雅火

第1話 バンクシーは女子高生

バンクシーが俺の学校に落書きをしていた。


六月の第二週日曜日。


JR神戸線灘駅から徒歩十分。

坂が長い宮本通りを北に進み、スポーツセンターと向かい合って建っている県立けんりつ色浜しきはま高校こうこうに俺は到着した。


休日の夜に学校に来た理由は、明日提出する古典の課題を取りにきたから。

正直、俺は明日の朝に終わらせればいいと思っていたけれど、友達の枚方燐ひらかたりん曰く、絶対に朝じゃ終わらないらしい。


はっきり言って、課題の量を減らせ。


校舎は全体的に暗かったが、時々吹奏楽の熱心な演奏が聞こえてくる。

俺は校門を抜け、昇降口で上靴に履き替えると、一目散に自分の教室を目指した。

自分の教室の22HRにたどり着き、自分の机を確認するが……


「ない」


いや、ないなんてことはない。

家になかったし、学校に置いていった記憶もある。


「誰かが間違えて取っていったか……?」


迷惑な話……ではない。

気づいてなかったら、俺の分の課題をやってくれてる可能性がある。


そうに違いない。


「何はともあれ、取ったやつはグレートだ」


俺は切り替えると、スマホを見ながら教室を出た。


「高校生バンド“CRY BABY”、九月の音楽フェス参加決定か……」


世間を賑わせているニュースを読みながら、階段を降りていく。

校舎内は全く電灯がついていなくて少し暗い。


夕飯食べたいから早く帰ろうと昇降口を出たその瞬間に、俺は人生で初めてバンクシーを見た。


「……は?」


そのバンクシーは校舎の壁にスプレーで落書きをしていた。

プシュープシューと間抜けな音を漏らしている。


俺はスマートフォンを落としていた。

画面が割れてるかもしれないけど、それどころじゃない。


学校の校舎に普通に落書きされている。


落書きをしている人物は、身長が160センチくらいの女子だった。

少し青みがかったセミロングの髪に、血の気が通っていない白く透き通った肌、その肌のせいで強調されている薄桃色の唇。

大きな瞳は海底のように暗かった。


俺はこの人物を知っていた。


「何してんの?」


俺は疑問に思った事を口に出した。

が、普通に無視された。


もう少し大きな声で再び訊ねる。


「何してんの?」


どうやら聞こえてなかっただけらしい。

バンクシーは手を止めると、俺の方を見てきた。


「何って……絵を描いてる」

「絵ってキャンパスに鉛筆で描くものじゃ?」

「これはグラフィティアート。

 高槻君が言ってるのはデッサン。

 全くの別物」


 それだけ喋ると、バンクシーは再び落書きに集中した。


 こういう場合、関わらないで帰るのが正解だ。

 教師や用務員に見つかったら、一緒に怒られるし面倒なことになる。


 俺は帰らず落書きを見ていた。


「一応訊くけど、これって犯罪だよな?」

「だとしたら、何?

 警察や教師に報告する?」

「お爺ちゃんには報告するかもなぁ。

 俺、お爺ちゃん大好きだから」

「高槻君のお爺ちゃんの話なんて興味ない」


 適当に会話をしながら、バンクシーはスプレーを振り回して落書きのクオリティを上げていく。


「ってか、俺の名前知ってるんだ」

高槻たかつきけい君でしょ?

 前に体育教師に怒られてるの見たことがある」

「不名誉なところを目撃されたな。

 もうちょっと、いいところは無かったのか?」

「……気が散るから静かにして」


バンクシーはスプレー缶を変えながら、細部まで調整するようにスプレーを発射した。

何回か吹きかけた後に、とうとうスプレー缶を床に置いた。


「……できた」


完成されたのは、少女が鏡を見る絵だった。

少女の物憂げな表情まで繊細に描かれていて、鏡に伸ばした手がそれを際立たせる。


だが、それよりも圧倒されたのは鏡の方だった。

本来映ってるはずの少女の顔は映ってなく、数種類の色を混ぜたような複雑な模様が鏡に映し出されている。

色がごちゃ混ぜでカオスになっているのに、とても綺麗だった。


「すごいな……」


 思わず称賛の声を漏らしてしまった。

 美術のことをよく知らない俺でもすごいと分かるような、圧倒的な絵の上手さだ。


 「帰る」


 バンクシーは使い終わったスプレー缶をビニール袋に入れ始めた。

 俺は、あのっと声を出した。


「何?」

「何って、碧海あおみさん、バンクシーだったのか」

「バンクシーよりもバスキアの方が私は好き。

 私のこと知ってるの?」

「知ってるも何も碧海さん、美術部の有名人。

 碧海あおみ硝子しょうこの名前知らないやつ、この学校にいないと思う」

「そうなんだ……。どうでもいいね」


 硝子は本当にどうでもよさそうだ。

 興味なさそうに、あくびをしていた。


 最後に俺は一つだけ訊ねることにした。


「最後に訊きたいんだけど、どうして校舎に絵なんて描いたんだ?」


 すると硝子は自嘲気味に笑うと、冷めたような瞳を俺に向けた。


「異世界に行くため」

「は?」


 人生で一番大きい「は?」を出してしまった。

 あまりにも理由が非現実的過ぎた。


「冗談じゃないよな……?」

「冗談じゃない。

 私は異世界に行く」

 

 本気な顔をしているので、余計意図が分からなかった。

 理解できていない俺が馬鹿なだけなのか?


「今後、私には関わらないで。

 今日のことは熊と遭遇したものだと思って忘れて」


 俺が混乱している内に、硝子はそれだけ忠告すると、校門に向かって歩き始めた。

 追いかけずに、残された絵を再び見る。


「にしても、すごい絵だな……」


 オークションに出品すれば、中々いい値で売れそうだ。

 そうすれば、二代目バンクシーの誕生だ。


「おーい、何してんだ?」


 じっと絵を眺めていると、見回りにきた先生に見つかってしまった。


 やっぱり先生に見つからないのは無理だったか。

 何か質問されたら、知りませんってしらばっくれるか。


「何だ、高槻か。

 ボケッと校舎を見つめて、何かあるのか?」


 先生は落書きの方を一瞥いちべつすると、怪我そうに見てきた。


 ったく、ボケッとするのは構わないが、それは家でやれ。

 とにかく、早く帰れよ」


 先生は俺に軽く説教をして、校舎の中へと姿を消した。


「……どういうことだ」


 確かに先生は落書きを見たはずた。

 俺が見えてるので、暗くて見えなかったり見逃した訳じゃないはず。

 それに、白い壁にさまざまな色の塗料で落書きされた絵だ、見逃すなんてことはあり得ない。

 

「盲目や色盲……とかじゃないよな。

 校舎に落書きされたのにスルーしたなんて論外だし」


 俺は目をこすって、落書きの絵を見た。

 絵は何も変わらずに、鮮やかな彩り見せつけている。


 俺の幻覚じゃない。

 

「まぁ、明日になったら大騒ぎしてるだろ」


 俺は特に気にせずに帰ることにした。


 世界には理解できない不思議な事が日常的に起きている。

 それに比べれば、神戸のJKバンクシーの絵が見えないなんて、大した事じゃない。


 よくある話だ。


 


 




 

 







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