女子高生バンクシーはアリスになりたい

@kozan0926

第1話 バンクシーは女子高生

バンクシーが俺の学校に落書きをしていた。


六月の第二週日曜日。


JR神戸線灘駅から徒歩十分。

坂が長い宮本通りを北に進み、スポーツセンターと向かい合って建っている県立色浜しきはま高校に俺は到着した。


休日の夜に学校に来た理由は、明日提出する古典の課題を取りにきたから。

正直、俺は明日の朝に終わらせればいいと思っていたけれど、友達の枚方燐ひらかたりん曰く、絶対に朝じゃ終わらないらしい。


はっきり言って、課題の量を減らせ。


校舎は全体的に暗かったが、時々吹奏楽の熱心な演奏が聞こえてくる。

俺は校門を抜け、昇降口で上靴に履き替えると、一目散に自分の教室を目指した。

自分の教室の22HR《ホームルーム》にたどり着き、自分の机を確認するが……


「ない」


いや、ないなんてことはない。

家になかったし、学校に置いていった記憶もある。


「誰かが間違えて取っていったか……?」


迷惑な話……ではない。

気づいてなかったら、俺の分の課題をやってくれてる可能性がある。


そうに違いない。


「何はともあれ、取ったやつはグレートだ」


俺は切り替えると、スマホを見ながら教室を出た。


「高校生バンド“CRY BABY”《クライベイビー》、九月の音楽フェス参加決定か……」


世間を賑わせているニュースを読みながら、階段を降りていく。

校舎内は全く電灯がついていなくて少し暗い。


夕飯食べたいから早く帰ろうと昇降口を出たその瞬間に、俺は人生で初めてバンクシーを見た。


「……は?」


そのバンクシーは校舎の壁にスプレーで落書きをしていた。

プシュープシューと間抜けな音漏らしている。


俺はスマートフォンを落としていた。

画面が割れてるかもしれないけど、それどころじゃない。


学校の校舎に普通に落書きされている。


落書きをしている人物は、身長が160センチくらいの女子だった。

少し青みがかったセミロングの髪に、血の気が通っていない白く透き通った肌、その肌のせいで強調されている薄桃色の唇。

大きな瞳は海底のように暗かった。


俺はこの人物を知っていた。


「何してんの?」


俺は疑問に思った事を口に出した。

が、普通に無視された。


もう少し大きな声で再び訊ねる。


「何してんの?」


どうやら聞こえてなかっただけらしい。

バンクシーは手を止めると、俺の方を見てきた。


「何って……絵を描いてる」

「絵ってキャンパスに鉛筆で描くものじゃ?」

「これはグラフィティアート。

 高槻君が言ってるのはデッサン。

 全くの別物」


 それだけ喋ると、バンクシーは再び落書きに集中した。


 こういう場合、関わらないで帰るのが正解だ。

 教師や用務員に見つかったら、一緒に怒られるし面倒なことになる。


 俺は帰らず落書きを見ていた。


「一応訊くけど、これって犯罪だよな?」

「だとしたら、何?

 警察や教師に報告する?」

「お爺ちゃんには報告するかもなぁ。

 俺、お爺ちゃん大好きだから」

「高槻君のお爺ちゃんの話なんて興味ない」


 適当に会話をしながら、バンクシーはスプレーを振り回して落書きのクオリティを上げていく。


「ってか、俺の名前知ってるんだ」

高槻たかつきけい君でしょ?

 前に体育教師に怒られてるの見たことがある」

「不名誉なところを目撃されたな。

 もうちょっと、いいところは無かったのか?」

「……気が散るから静かにして」


バンクシーはスプレー缶を変えながら、細部まで調整するようにスプレーを発射した。

何回か吹きかけた後に、とうとうスプレー缶を床に置いた。


「……できた」


完成されたのは、少女が鏡を見る絵だった。

少女の物憂げな表情まで繊細に描かれていて、鏡に伸ばした手がそれを際立たせる。


だが、それよりも圧倒されたのは鏡の方だった。

本来映ってるはずの少女の顔は映ってなく、数種類の色を混ぜたような複雑な模様が鏡に映し出されている。

色がごちゃ混ぜでカオスになっているのに、とても綺麗だった。


「すごいな……」


 思わず称賛の声を漏らしてしまった。

 美術のことをよく知らない俺でもすごいと分かるような、圧倒的な絵の上手さだ。


 「帰る」


 バンクシーは使い終わったスプレー缶をビニール袋に入れ始めた。

 俺は、あのっと声を出した。


「何?」

「何って、碧海あおみさん、バンクシーだったのか」

「バンクシーよりもバスキアの方が私は好き。

 私のこと知ってるの?」

「知ってるも何も碧海さん、美術部の有名人。

 碧海あおみ硝子しょうこの名前知らないやつ、この学校にいないと思う」

「そうなんだ……。どうでもいいね」


 硝子は本当にどうでもよさそうだ。

 興味なさそうに、あくびをしていた。


 最後に俺は一つだけ訊ねることにした。


「最後に訊きたいんだけど、どうして校舎に絵なんて描いたんだ?」


 すると硝子は自嘲気味に笑うと、冷めたような瞳を俺に向けた。


「異世界に行くため」

「は?」


 人生で一番大きい「は?」を出してしまった。

 あまりにも理由が非現実的過ぎた。


「冗談じゃないよな……?」

「冗談じゃない。

 私は異世界に行く」

 

 本気な顔をしているので、余計意図が分からなかった。

 理解できていない俺が馬鹿なだけなのか?


「今後、私には関わらないで。

 今日のことは熊と遭遇したものだと思って忘れて」


 俺が混乱している内に、硝子はそれだけ忠告すると、校門に向かって歩き始めた。

 追いかけずに、残された絵を再び見る。


「にしても、すごい絵だな……」


 オークションに出品すれば、中々いい値で売れそうだ。

 そうすれば、二代目バンクシーの誕生だ。


「おーい、何してんだ?」


 じっと絵を眺めていると、見回りにきた先生に見つかってしまった。


 やっぱり先生に見つからないのは無理だったか。

 何か質問されたら、知りませんってしらばっくれるか。


「何だ、高槻か。

 ボケッと校舎を見つめて、何かあるのか?」


 先生は落書きの方を一瞥いちべつすると、怪我そうに見てきた。


 ったく、ボケッとするのは構わないが、それは家でやれ。

 とにかく、早く帰れよ」


 先生は俺に軽く説教をして、校舎の中へと姿を消した。


「……どういうことだ」


 確かに先生は落書きを見たはずた。

 俺が見えてるので、暗くて見えなかったり見逃した訳じゃないはず。

 それに、白い壁にさまざまな色の塗料で落書きされた絵だ、見逃すなんてことはあり得ない。

 

「盲目や色盲……とかじゃないよな。

 校舎に落書きされたのにスルーしたなんて論外だし」


 俺は目をこすって、落書きの絵を見た。

 絵は何も変わらずに、鮮やかな彩り見せつけている。


 俺の幻覚じゃない。

 

「まぁ、明日になったら大騒ぎしてるだろ」


 俺は特に気にせずに帰ることにした。


 世界には理解できない不思議な事が日常的に起きている。

 それに比べれば、神戸のJKバンクシーの絵が見えないなんて、大した事じゃない。


 よくある話だ。


 


 




 

 







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