第4話 進む道(2)
その後、前期試験が始まるまで、谷田は必修科目の授業以外、学校にあまり登校してこなかった。四年ともなると週に二時間位である。本人の言う事では卒業までの単位が必修科目以外は充分、足りているそうで周りを羨ましがらせた。その間、谷田は自宅に籠って簿記検定用の勉強をしているとの事だった。
前期試験の最終日、久しぶりに赤松は学食の玄関で谷田が斎藤らと談笑しながら入るのを見かけ声を掛けた。二か月ぶりぐらいだったがそれでも懐かしく思えた。れいによって谷田ははにかんだように笑って言った。
「ごめん。忘れていたわけじゃないんだ。昼飯奢るよ。」
「ああ、僕が忘れてました。いいですよ、もう。」
「そうはいかないよ。何がいい?」
そう言われてカレーライスを選んだ。安いしソースをかけると味がぐんと良くなる。
先輩方と共にテーブルを囲んだ。皆、口々に試験のヤマが外れたとぼやいた。谷田はと言うとニンマリしてグーサインを出した。上手く行ったらしい。こういう時の谷田の得意顔がユーモラスで可笑しかった。
「ところで簿記検定試験の結果はどうだった?」斎藤の問いにさっきまで得意顔が急にしかめっ面に変わった。
「また駄目だった。」
「そうか。残念だったな。」
赤松は黙って顔を伏せた。
「随分、勉強していたらしいじゃないか。」
「え?うん。まぁ。・・・」
谷田が口籠った。斎藤が
「まだ、今年十月にも試験があるんだろう?その時受かればギリギリ就職活動にも間にあうよ。」と慰めた。
「そうだね。そうするよ。」
谷田も力なく笑った。
「それはそうと前期試験終わったし、これから映画観に行かないか?」
斎藤がそう言ったので赤松も反応した。
「二番館に漸く植木等の映画が下りてきたんだ。」
「ああ、『日本一のホラ吹き男』ですね?」
「いいですね。僕もついて行っていいですか?」赤松も観たかったのだ。
「構わないよ。」
「谷田さんも一緒に行きましょう。」
赤松が促すと
「そうだね。今日は何もないし気分転換になるな。」と谷田もその案に乗った。
結局、斎藤と谷田、赤松の三人が映画館に詰めかけた。二番館はロードショーが終わった後に他のプログラムピクチャーと二本立てや三本立てに組み合わせて上映する小さな小屋で椅子も硬く高級とは言えないが安く観る事ができた。同時上映の時代劇の終わり頃に中に入ると上手く三人分、後ろから二番目の列に横並びに席が空いており映画を観賞できた。
でっかいホラ吹いて ブァーッといこう
ホラ吹いて ホラ吹いて
吹いて 吹いて 吹いて 吹いて
吹きあてろ
東宝スコープの大画面の中を植木等がところ狭しと歌い踊ると暗い場内がパーッと明るくなったようだった。『日本一のホラ吹き男』は古澤憲吾監督がクレージーキャッツの植木等を主演に据えたスーパーサラリーマン喜劇『日本一』シリーズの第二弾で、大学から就職活動するところから始まる。四年生の斎藤も谷田も自分事のように観賞した。植木等扮する主人公の初等(はじめひとし)は大ボラを吹けど必ず実現して出世するご先祖様の伝記を読んで発奮し大会社「増益電機」に入社を決意、しかし就職試験であえなく落とされる。どうするのかと観ていると社長の個人的な運転手になり、そこから社長に気に入られるべく大奮闘して、見事、正社員にさせて貰えるというウルトラC級の方法で入社してしまうのだ。これには赤松らも笑ってしまった。その後も仕事で実現不可能そうなホラを吹いては周囲を呆れさせるのだが、本当に実行して実現してしまう。実現してしまえばホラではなくなるわけだ。その調子でトントン拍子に出世していき、挙句の果ては美女の社員まで手に入れて・・・という痛快な展開に場内は大いに沸き赤松も斎藤も手を叩いて笑った。そんな時、ふと赤松が谷田の方を見やると前のめりに画面を見入っているのに気が付いた。それは『わんわん忠臣蔵』を観ていた時に似た真剣さで赤松はギョっとした。
帰り道、赤松と斎藤が歩きながら今観た植木等の歌を歌って笑っていたが谷田は黙って後ろをついてきていた。そして、ふと小声で独り言を呟いた。
「…真面目に簿記の勉強をしてみようかな。」
赤松は、それに気づいて首をかしげた。今迄、自宅に籠って真剣に勉強していたのではなかったのか?本当に良く分からない、変わった先輩だなと思った。
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