第3話 『フィルムは生きている』
十二月三十一日大晦日午後六時過ぎ。赤松は千葉県にある実家に帰省中で、朝から始めた大掃除も漸く終わり居間の座敷に寝転んだ。することもなくなり暇つぶしにテレビをつけカチャカチャとダイヤルを回していると丁度『鉄腕アトム』が始まるところだった。(今日は火曜日か。休みだと曜日の感覚がないな。)父親は入浴中で母親は年越しそばや大晦日用のご馳走を調理中だったので、そのまま観る事にした。これも谷田の影響だろう。
タイトルは「さよなら1963」というものでアトムが大晦日に妹のウランちゃん相手に今年の活躍を振り返るといった内容で、かつての放送回を回想と言う形で再映する特別編だった。
ぼんやり観ていると思わぬ展開になった。お茶ノ水博士が登場し映写機を回すと『鉄腕アトム』の動画制作の現場を紹介するドキュメンタリー実写フィルムになったのだ。原作漫画から作品を選択し絵コンテを作成、それを基に原画、作画、背景を描いていく。感心したのは様々なアトムの怒った顔とか笑った顔、飛んでいる姿などカテゴリ別に原画をストックしており、再利用するシステムを取っている事だった。成程、これなら大分製作時間が省ける。最後は声優さんのアテレコ風景まで見せてくれるサービスぶりだった。とにかく、一本、番組を作るのに、すごく手間がかかるのに驚かされた。
赤松はその様子を観ていて、ある漫画の事を思い出した。(確か漫画映画製作の過程を描いた手塚治虫の漫画を読んだことがあったぞ。)
放送が終わった後、自室に戻り押し入れの中を捜した。古い雑誌や本が山積みになっている。「中学一年コース」を見つけた。学研から月刊で出ていた定期購読の学習雑誌だ。懐かしいと思い、パラパラとめくった。手塚治虫の連載漫画が載っている。(やっぱりあった。俺はこの漫画を毎月楽しみに読んでいたのだ。谷田さんでもこの漫画は知らないだろう。何せ、俺が中一の時、谷田さんは中学三年生だったんだから。)読ませてあげたいと思った。漫画のタイトルは『フィルムは生きている』といい、確認すると四月号から翌年の「中学二年コース」の八月号まで連載している。全部、持っていくのは大変だと思ったが谷田を喜ばせたいという気持ちが強かった。何故、ここまでしたいのか赤松自身にも
分からなかった。
新年を迎え大学が始まった初日、赤松は両手に紙袋と通学カバンを携えて谷田を捜した。昼休みに上手く学生食堂で見つけることが出来た。安くランチが食べられるので大概の学生はここを利用していた。
「こ、これ僕にくれるのかい?」
谷田が赤松の持ってきた「中学一年コース」の中の手塚治虫の漫画の頁を見ながら興奮していた。いつもより声が大きく若干裏返っている。幸い学食は皆もおしゃべりをしている場だから悪目立ちはしない。
「ええ、どうぞ。差し上げます。」
赤松は谷田の喜んでいる様子を見て嬉しくなって答えた。
「この漫画は知らなかったなぁ。」
「そうでしょう。何といっても僕の年齢の人しか定期購読できない学習誌でしたから。」
「『フィルムは生きている』。・・・」
「漫画映画製作に情熱をかける青年の話なんです。丁度、大晦日の「アトム」で動画をつくる過程をやってたでしょ?たまたま、それを観て思い出したんです。この作品の中で漫画映画の撮影方法を解説してあるんですよ。」
「それは凄い。・・・赤松君が中学一年の頃だから・・・五年前か。その頃から手塚先生は漫画映画を作る事を考えていたのかなぁ。」
感に堪えたように谷田が呟いた。
「多分そうなんでしょうね。」赤松も同意して言った。
「ありがとう。なんとお礼していいやら。」
「いいんですよ。僕が持っているより谷田先輩が持っていた方が良いですから。」
「じゃあ、こんど昼飯でも奢るよ。」
「いいですね。」
「ただし、ここの学食ね。」
そう言って谷田がはにかんで笑った。
帰宅し谷田は自室にこもって早速四月号の第一話から丁寧に読み進めた。
漫画映画を作る夢を持って都会に出た主人公の青年・宮本武蔵とライバルの佐々木小次郎が競って漫画映画を製作する話で、武蔵は途中から失明してしまう。漫画映画を作る作家の目が見えなくなったら、致命傷だと思うのだが心眼で愛馬アオの物語を完成させる。クライマックスは、武蔵の漫画映画と小次郎の作った漫画映画が同日に上映されることになり、どちらの作品が観客動員で上回るかの戦いとなるという生々しい興行合戦で雌雄を決する。谷田は最後まで一気に読んでしまった。主人公に手塚治虫の漫画映画への情熱が投影されているのが顕著で溜息が出た。そして好きな事をできる主人公を羨ましいと思った。
「主人公の親って出てこないけど、この仕事につくことを反対しなかったのかな?」
ここでハッとした。(俺は漫画映画の仕事がしたいのか?)
厳格な父親の顔が浮かんだ。父親は息子を大手の安定した企業に就職することを希望していた。谷田が商学部の会計学科に進学したのも父親の意向だった。父親自身、会計学科卒業で、在学中に取った簿記の二級検定資格が決め手となって名の通った大企業の経理部に入社できたという成功体験に基づいての事だった。それに、いざとなれば父親のコネで会社の地方支社の経理部ぐらいなら雇ってもらえるかもしれず、最低でもその資格があれば有利だろうという算段である。谷田本人も特にやりたい事も無かったのでそれに従った。
だが、ここへ来て本当にそれでいいのか疑問を持ち始めていた。いよいよ就職活動に入る年を迎え、真剣に自分の行く道を考え始めていたのだった。
「俺はこれからどうすればいいんだろう?」
独り言を言って目を瞑った。
翌朝、通学路を先に歩く赤松を見つめて谷田が駆け寄り声を掛けた。シャイな谷田では珍しい事だった。
「おはよう。早速全部、読ませてもらったよ。」谷田は息を整えながら言った。
「おはようございます。もう全部読んだんですか?」赤松は呆気に取られて言った。
「ああ。面白くて一気に読んた。手塚先生の漫画映画への情熱を感じたよ。」
そんな様子を見て赤松は軽い調子で
「先輩も漫画映画の作り手になればいいのに。」と言うと谷田の顔が赤くなった。
「じょ、冗談言うない。」
「いや、先輩にも情熱を感じますし、いいと思うけど。」
「おいおい、僕には絵の才能なんてないよ。」
「今から絵の勉強するのって遅いですか?」
「ああいう人たちはそれこそ芸術系の大学とか絵の専門学校に通って毎日デッサンとかをやってきた人達だろう。もう、僕は今年大学四年になるんだ。てんで遅いさ。」
「そうですか。・・・」
赤松には、谷田は自分に言い聞かせるように言った気がした。未練はないのだろうか?
もっとも、赤松自身、映画好きだがあくまで趣味の範囲であり、その道に行こうという気は最初からない。それと同じ事なのだと納得した。
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