第1話 変わった先輩(2)

その日の夜、赤松が寮に帰ると食堂で斎藤ら三年生の先輩数人を見かけたのでさっそく谷田の事を報告した。

斎藤は笑っていた。

「あはは、谷田は無理だよ。特に火曜日は。俺たち、最初から誘ってない。」

「アトムには参りました。」

「今年(昭和三十八年)の元旦の第一回から毎週欠かさず、ずーっと見ているらしいよ。」

「それだけじゃない。アイツね、見るだけじゃなく毎週、番組の感想と激励をレポート用紙に二、三枚分書いてテレビ局に送っているんだ。」

「……凄いですね。」

「いちいち、どこの誰かも分からん奴の感想なんぞ読むと思わないけどねぇ。」

別の先輩が呆れたように言った。

「この間だって何しにここへ来たと思う?」

「さあ?」

「今度の土曜から始まる映画に誰か一緒に行かないか誘われたんだけどさぁ。」

「はぁ。」

「それが東映の『わんわん忠臣蔵』。同時上映が『狼少年ケン』と後、忍者物の三本立てだって。子どもかよ!」

斎藤は話しながら笑い、赤松も吹き出した。

「それは変わっていますね。」

「だろう?大学生にもなって誰が行くかい。」

「さすがに谷田も一人で観に行くのは恥ずかしいと見えて誰かいないかと相談にきたわけだよ。」

「普通、大人で行くのは子どもの保護者だよなぁ。」皆、口々に言いながら笑った。

「なんなら俺、一緒に行こうかな。」

赤松がつい口を滑らせると

「お子様がここにもいたか。」

と斎藤が言って皆、笑った。

「冗談ですよ。」と赤松も笑ったが谷田という先輩に改めて興味を持った。こういうマニアは話すと面白い事を経験上、赤松は知っている。大体、赤松自身も結構な映画マニアである。この学生寮の中にも国産自動車のパンフレットの収集家や、あらゆるジャズバンドのメンバーの名前をそらんじる事のできる者もいたし、プロレスの技を全て知っている男もいた。そういう人達の、生きる上で何の役にも立ちそうにない知識を聞くにつれ、赤松は時に驚き、その信じられないほどのこだわりに時に呆れつつも、感心し好感を持った。少なくとも下世話な噂話や、誰かの陰口より、よほど聞いていて実りがある。

「一度、じっくり話してみたいなぁ。」

そう言うと斎藤たちも今度連れてきてやると言った。皆、谷田の事を変わっているとは思っているが決して嫌っているわけではないようだった。



 赤松が谷田と話をする機会は案外、早くおとずれた。大学からの帰り、駅の改札からホームに向かうと谷田が電車を待っているのが見えたのだ。

「先輩、この間はどうも。」そう言って話し掛けると谷田は顔を真っ赤にして

「あ、お役に立てなくて。」呟いた。

「いえいえ。お気になさらないでください。」

そう言ってからお互い暫く沈黙した。こういう空気が苦手な事もあり赤松が話題を振った。

「斎藤先輩から聞いたんですけど毎週、『アトム』の感想文をテレビ局に送っているんですって?」それを聞いて谷田がギョッとした。

「ア、アイツ、そんな事を君に話したのか?」

「ええ。それを聞いて凄いなと思って。」

谷田は疑うような目を赤松に向けた。

「変わってると思っているんだろう?」

「あはは。そう思ってます。でも、そこまでするのは逆に凄いと思いますよ。」

素直に認めたのが良かったのだろうか。谷田は少し警戒を解いたようだった。

「何故、そこまでするんですか?」

「え?まぁ、昔から手塚治虫のファンだし、テレビは初めての事だろうから観ている人の反応を知りたいと思うんだ。だから、応援の意味も込めて書き送っている。」

「へぇ~。大したものですねぇ。手塚先生も喜んでいるでしょうね。」

「さぁ?手塚先生のところまで届いているかどうか分からないけど。多分、見ていないなだろうな。」そう谷田はシニカルに笑った。(なんだ。意外と現実的なところもあるんだな。)そう思いつつ尋ねる。

「それでも送るんですか?」

「うん。先生は無理でも番組スタッフは読んで励みに思ってくれるかもしれないしね。・・・」

それを聞いて赤松は感心した。

「本当に応援しているんですねぇ。」

「だって漫画映画を毎週、作って放送って凄い事だもの。」

「一枚一枚、少しづつ違う絵を描いて動きを表現するんでしょう?」

「そう。よく知ってるね。」

「僕、映画好きでディズニーの漫画映画も観ますよ。『白雪姫』とか『ピノキオ』とか。」

「そうかい?いいよね。ディズニーは。芸術だよ。あれは。」

「東映も頑張っているじゃないですか。中学生の時、『白蛇伝』観に行きましたよ。」

「き、き、君!『白蛇伝』を観たのか?」

「ええ?」あまりに谷田が興奮したので赤松は面食らった。

「そうか。いいなぁ。東映動画の第一作だよね!僕はその頃、まだ興味が無くてね。それだけまだ見てないんだ。どうだった?やっぱり素晴らしかったかい?」

「いやぁ、あまり憶えてないですけど、幽玄ロマンって感じですね。あと、パンダっていう白黒の熊が出てたのとモリシゲ(森繁久彌)と宮城まり子の二人で全部の役の声を演じてたのは覚えてます。」

「パンダ?」

「中国にいるそうですよ。」

「フーン。で、動きはスムーズだったかい?」

「ええ。ディズニーに負けてませんでしたよ。」

「そう。一作目から質が高かったんだなぁ。」

谷田は嬉しそうだった。それを見て赤松は少し申し訳なかった。実を言うと赤松は同時上映の中村錦之助(萬屋金之助)主演の「一心太助」目当てだったのであまり思い入れがなかったのだ。

「君、漫画映画好きかい?」谷田が目をしばたかせながら聞いた。

「まぁ、割合と。」

「実は僕、これから東映の『わんわん忠臣蔵』を観に行くつもりだったんだけど一緒に行かないか?」

(あ、不味い。)と思った。まさかここで誘われるとは思っていなかった。躊躇していると谷田が続けた。

「もしなんだったら奢るよ。」

「え、奢り?ホントですか。だったら行きます。」どうせ暇なのだ。悪くないと思った。

「そう。良かった。一人じゃ行きにくくてね。」谷田も安堵していた。

 折よく電車が来たので乗車した。昼下がりの京浜東北線は空いており並んで座った。 横浜まで行く車中、谷田はこの春に観た東映の漫画映画『わんぱく王子の大蛇退治』が如何に素晴らしかったかを熱っぽく話し続けた。大蛇と主人公の王子の戦いの場面に迫力があったらしい。『ゴジラ』の伊福部昭が音楽を担当したと聞き、赤松も観てみたいと応じた。





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