第1話 変わった先輩 

(1)

 「じゃあ、誰も一緒に行かない?」

「無理。」

「俺も勘弁してくれ。」

「そうか。仕方ない。わかった。」

「すまんな。ところで谷田、俺たちこれから夕飯食いに行こうと思ってたんだけど一緒にどうだい?」

「僕は遠慮するよ。今日、火曜日だから。六時半までには帰らないと。」

「ああ、火曜か今日。」

そんな会話が聞こえてくる部屋に一年生の赤松はノックして入室した。大学の学生寮の回覧板を同じ会計学科の三年の斎藤の部屋に廻しに来たのである。

遊びに来ていた他の部屋の三年の先輩方の中に、ひとり見知らない小柄な先輩がいたので「会計学科一年の赤松です。」と挨拶をするとその男は顔を赤くして恥ずかしそうに「会計三年の谷田です。」とボソボソッと呟やき、直ぐに皆に「じゃあ、また。」と言い残してそのまま、赤松と入れ違いのかっこうでそそくさと部屋を出て行ってしまった。

「アイツはホント、変わってるなぁ。」と苦笑交じりに斎藤が呟き、皆も頷いて笑った。どう変わった人なんだろうと赤松は一瞬思ったが、知らない先輩の事を聞いてもしょうがないと思い直した。ただ、かけている黒縁の眼鏡のせいだろうか、ちょっと見ただけでも妙に老成したような佇まいの、若さの感じられない風貌が印象に残った。


 それから二週間後、赤松は他の同学年の仲間と共に学生寮の四年の先輩の命を受けてダンスパーティの券を売り捌くべく駆けずり回っていた。何でこんなことを、と思うのだがそこは縦の繋がり、なんとかしなくてはと知り合いを見つけては交渉を重ねた。

 幸い当日はクリスマス・イヴで、彼女のいない男子生徒は出会いを求めて多少高値でも券を買ってくれた。

(ノルマまであと二枚。)そんなときキャンパスを歩いてきたのが谷田だった。

(しめた!あの先輩なら気が弱そうだし押せば買いそうだ。)

急いでそちらに向かって走った。

「谷田先輩!」急に声をかけられてオドオドしている。しかもあちらは赤松の事を覚えていないようだった。

「え?あ、う~んと。どなたでしたっけ?」

「学生寮の斎藤先輩の部屋で一度挨拶させて頂いた赤松と言います。」

「ああ。どうも。・・・」多分、覚えてはいまい。単刀直入に切り出す。

「先輩、来週の火曜日、クリスマス・イヴの夜、ダンパがあるんですけど、どうですか?斎藤先輩たちも来ますし。」

「え?ダンパ?」

「ダンスパーティですよ。」ダンパで通じないのも珍しい。

「ああ、なんだ。僕は遠慮しておくよ。」

「そんな勿体ない。他の大学からも女の子が結構来るんですよ。先輩、彼女いるんですか?」

「まさか、いやしないよ。」顔が赤くなった気がした。

「じゃあ、出会いのチャンス大いにありですよ。ぜひお願いします。」

「僕なんか、いってもモテやしないし、相手になんかされないよ。」

自嘲気味に谷田が言った。確かに小柄でぼそぼそ話す風采の上がらない谷田の容姿では難しそうではある。でも、なんとかノルマの為にも買ってもらいたい。

「案外当たってみなけりゃ分からないもんですよ。女の子の方だって恋人募集中なんですからね。なんなら、僕が当日、代わりに声を掛ける役をやってもいいですよ。」

「え?いや、困ったな。・・・」

「どうしてです?何か用でもあるんですか?」

「用というほどでもないんだけど。・・・でも火曜日の夜は駄目なんだ。」

そう言えば、あの時も火曜だからと言って帰った事を赤松は思い出した。

「バイトですか?」

「そうじゃないんだけど。」

その後も、しつこく赤松が食い下がると谷田は仕方ないという感じで言った。

「火曜の夜は、・・・アトムがね。」

「アトム?」

「火曜の夜はテレビで『鉄腕アトム』をやるから外せないんだ。」

赤松は唖然とした。大学生にもなって漫画?女の子よりも大事なのか?ましてやクリスマス・イヴのパーティなのに!

驚きつつもなるたけ顔に出さないよう努めた。

「そんなの一週ぐらい観なくたっていいでしょう?」

「いや、そうはいかないよ。手塚先生の作品を見逃すわけにはいかない。」

こう、きっぱりと断られてはどうしようもない。

「そんなわけでごめんね。」そう言って谷田はそそくさと行ってしまった。その後姿を茫然と見て赤松は苦笑しつつ

「確かに変わった先輩だなぁ。」と呟いた。

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