3-⑥
その後に洸吉が話し始めたのは、夢で会った母親との話。晩年の頃はずっと仲が悪く、家の中ではあまり会話はしていなかったが夢では違っていたと言う。
頬に出来た傷を見て涙を流す母親を、洸吉は咄嗟に抱きしめたそう。
父親は驚きで表情が強張り、素直に喜ぶ事が出来ずにいた。手紙には何が書いてあったのか。そんな質問は何度も投げかけたがいまだに答えは返ってきていない。
まるで仲直りをしたかのように、笑顔で夢の話をする洸吉。さらに母親は彼に対し、「まだ日記は書いてるかい?」と問いかけたそう。そして「大切な仲間が死んじゃってからはもう書いていない」と寂しげに返したと話す。
父親はあまり状況が飲み込めず、もう一度同じ事を聞き返した。〝大切な仲間が死んじゃってから〟と言うのは一体、何を指しているのかと。
「それに関してお父さんに話したくない」
「そうか……まぁ、今はゆっくり休みたいよな」
「別に健康体でも話したくないわ、そういうの分かるでしょ?」と返すと俯く父親は吃り、聞いた話を奥底へと仕舞い込む。洸吉は枕上に頭を戻すと、「お互い様、色々と隠してるのはね」と呟きながら再び目を閉じた。何か確信めいたものが父親の中には存在していたが、親心はどう言った判断を下すのか。
今更、親身に接しても向こうが寄り添うはずもなく、秘なる部分は何も明かしてはくれない。作った表情や口先は感情が昂れば制御が効かなくなる、そう言う本性が現れるまではそっと距離をとったまま。
担当してくれた先生に、洸吉は気前よく「真面目に生きていきます」と伝えた。頬には治療の跡が残るが、他は検査の結果問題なし。飛び降りたのは一瞬の気の弾みだったと偽り、咄嗟に作ったであろう笑みで元気に伝えていた。
政府の方針で心に疑いのある若者にはカウンセリングの受診票を渡すため、父親は後で別室に呼ばれて説明を受けた。だが、部屋の中で見た惨事を話すことはなく、ただその場は頷いたままやり過ごしている。もし最初から親心があったのならば、この場で全てを話して助けていたのだろうかと、彼は自問自答を繰り返すばかり。
次の日に洸吉は病院から帰宅。荒れ果てた部屋の床を我が物顔で踏み、雨で湿ったベッドに寝転がって携帯を眺める。
そんな彼に「傷は大丈夫か」と父親は部屋の隅で聞いてみるも、小さく頷くだけ。
「そうか」と言葉を残し、彼はスーツに着替え会社へ向かった。
それから程なくして洸吉はベッドから起き上がり、部屋の隅へと向かう。四つ折りにされた新聞紙を掴み、バサバサと振り下ろすも何も落ちては来なかった。
「あれ、この中に……」と呟きながらも部屋中をぐるりと見回し、窓枠に眩く光る物を見つける。ほっとしたのか、彼は近づくこともなくベッドへと戻った。そしてまた、何かを携帯のメモアプリに残す。
一方その頃、SNS上の一部のコミュニティで思わぬ話題が飛び出してきた。それは〝死んでいった三人の詩碑を建てる〟というプロジェクト。
建てるのは一種の記念碑の位置付けであり、その中でも詩を刻んだものを「詩碑」と言う。ことの発端はある若者の一つの投稿だった。その若者は数年前に〝詩〟に出会い、窮地から抜け出し夢を叶えたという話から、実際に書いていた人達へお礼を言いたいとSNS上に投稿した。すると共感する人々が周りに溢れ、次第に現実にしようと言う流れが生まれる。
確かに全国規模で親しまれる〝詩〟を作った彼らを弔おうとしても、個々人のお墓へ出向いて花を添えるのは不可能に近い。ファンの総数は数十万人とも言われ、このプロジェクトは大いに盛り上がりを見せた。それなりに知名度のある若者が先頭に立ち、見積もりやデザインをファンから意見をもらい進めていく。受注から建立までを含めた総予算150万円。
その全てを彼らのファンが出し合うという方向で、スムーズに進んでいった。
寄付を開始して二日で希望額に達し、建てられる場所は写真が撮られている海沿いに決定した。そしていよいよ石に刻む〝詩〟を選ぶ時が来る。数百もある中から一つに絞ると言う事もあり、意見が割れると思っていたが約七割のファンが同じ言葉に票を入れた。
それは数年前に「幸太郎」が病弱な母を思って書いた〝詩〟
完成は来年の一月中頃予定で、多くの若者がその日を心待ちに今日も生きている。
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