詩皺
篠宮椛
1-①
〝今の若者は、昔よりもずっと弱いよ〟
なだらかな土手の斜面に座る白髪の老人は、遠目ながらにそう呟いた。
春先にしては風が強く、土手に生えた名前もない雑草らはよく靡く。目の前で行われている少年野球大会。甲高い声援はうまく風に乗り、その老人は全体を見渡せる良席に座る。周りには同じように暇を持て余した同年代、話はしないが、何を思っているかは手に取るように理解できた。
ある大柄な少年が一塁から駆け出す、円を描くように進んだ先で不恰好に足を滑らし思い切り転んだ。見ていた老人は少し姿勢を屈ませ、目を細めて少年の顔を見る。
だが立ち上がる事もせず、その場で情けなく泣き始めた。そんな中でも試合は続行していたが、既にバットを地面に置いて慰めに向かう少年もいる。続けて同じユニフォームはその場に集まり始め、呆気なく試合は中断した。ただ、相手チームは不安げながらもその場で突っ立っていて、駆け寄る事も愚痴を吐く事もない。
両チームの監督が集合した矢先、泣いている少年の親らしき男性がゆっくりと駆け寄ってくると、そのまま抱えてグラウンドの外へと運び出した。
試合はどうなるのだろうか。そんな思考以外老人には無く、怪我具合や同情などは全く存在しない。泣いているのは何故だろうか。試合に負けたわけでもない、ましてや泣いている少年のチームは点で勝っている。
転んだ際の痛みなど想像するまでもない。結局、相手チームの少年らは一時的に休憩を挟み、再開されたのはそれから三十分後。
その老人は変わらず土手に居座り続けたが、点差が開いた事を節目に立ち上がり、ゆっくりと階段を下りていった。背中に声援はびしびしと当たってくるが、形式ばって慰めに向かう少年らの卑しさが気に食わない。
そう教育をされたのか、見せつける優しさを自己評価へと結びつけているのか。
「今の若者は、昔よりもずっと弱いよ」と呟き、帰路へとつく。
家の扉を開ける直前にどこからか女性の叫び声が響き、壊れ掛けの老人の耳元へ入ってきた。長生きした末に身に付いた自衛本能ではないが、その声はおそらく悲観的。
それから数時間後、その老人が住む街で若者が首を吊ったと言う話題が広がりはじめた。あの叫び声の意味を深く理解する。街では稀有な事件ではあったが、市や県で見れば近頃そんなニュースばかりが世間話に混ざっていた。
それから数年後が経った頃に政府が発表したデータによれば、二十歳未満の自殺者数が異常なまでの上がり方を示していて、例年と比べれば桁が変わるほど。これといって政府が何か対策案を打ち出すわけでもなく、どこかの政治家が誰にも届かない声で抑止を謳うばかり。
自殺の原因は接する友人関係のトラブル、価値観が揃わない大人との強制共存、育った環境など多くの悪条件下で起こりうるとされていたが、近年ではそこに〝自由〟になりたいと言う願望も含まれ始めた。
受けた体罰や例年の身体力低下を表立たせ、数十年長く生きた大人らは若者に強く当たる。世間の声は苦渋ばかり、あの日、土手で野球を見ていた老人も同じように若者を卑下し、まるで責任を課すかのような言葉選びに両者が理解し合えるのは遠い未来だと思わせるほど。
月日を追うごとに数字は増え、翳りを持ち始めた若者はそれぞれ必死に助けを求めた。だが、現代病や思い込みなどと言った固い教養を持つ大人は、寄り添うよりも背中を押し続ける。それが勇気づける時であれ、鼓舞する時であれ、屋上であれ、駅のホームであれ。
そうして若者が縋り付いたのは大人ではなく、同じ歳くらいの〝ある若者〟だった。
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