第5話 宗教論議はエンドレス

私が小学生の時、担任の先生からが「皆さんの家の宗教がなにか聞いてきなさい。」と言われました。翌日、生徒が順番に発表させられました。うちは浄土真宗です、うちはキリスト教です、等々。私の番になったので、昨晩母から聞いた答えをそのまま言いました。「うちは全部です。」と。

  すると、先生は「そんなバカな話があるわけがない。平栗君のうちは不謹慎(不真面目だったか)です。」と怒られました。


2024年の今どき、そんなことをみんなの前で発表させること自体、問題になるでしょうが、当時は平気だったんですね。まあ、それで私が先生や仲間からイジめられるなんてこともなく、子どもたちの話題にもなりませんでした。40人のクラスでしたが、半数が「わからない」という解答だったのですから、私も「全部」ではなく「わからない」といえば、事なきを得ず、だったのです。

あの先生は宗教熱心な人であったのでしょうが、60年前の日本では、ほとんどの人(特に生徒たち)は、宗教なんて無関心でした。

<在来種純粋日本人(縄文人)にとっての汎用宗教>

だいたい、在来種純粋日本人(縄文人)に、とりたてて宗教なんて必要なかった。一つの島(日本列島)に一つの民族で何万年ものあいだ、戦争も革命もなくやってきたのですから。

  仏教というのは、天皇や皇族といった2,000年前の支配階級が自分たちの権威付けの為に、強制的に在来種純粋日本人に押しつけたもの、という説に私は同意します。

一方、キリスト教というのは、明治期、多くの日本の知識人たちが、その「哲学的な面」に惹かれ、特に文学の分野で多大な影響を日本人に与えました。

英国(シェークスピア)、フランス(モーパッサン・デュマ)、ロシア(ドストエフスキー・トルストイ・ゴーリキー)等々。

  要は、「神の目線で人間を見る」という視点を、キリスト教は日本人に与えてくれたのです。明治期に優れた日本文学が百花繚乱の如く輩出されましたが、江戸時代までの儒教や仏教的視点であれだけの作品は生まれなかった、と私は思います。


   明治期になって「西遊記が真面目に読まれるようになった」のは、仏教を一つの話の種にして書かれた中国人文学を、そんなキリスト教的視点・感性に影響を受けたおかげ、ということではないでしょうか。

  つまり、キリスト教的知性・感性がなければ、「西遊記という中国人世界」を正しく理解することはできない。「西遊記」とは仏教を話の種の一つにしているだけで、実は仏教のことなど書かれていない(に等しい)。あくまでも、中国人的世界観を柱にしているのです。


  第二次世界大戦後に普及したのかもしれませんが、アメリカのシートン(1860~1946)による「シートン動物記」などは、しっかりとしたキリスト教精神に基づいた。(動物を鏡にして人間性を理解できる)優れた文学であり、これもまた多くの在来種純粋日本人に素晴らしい哲学的影響を与えてくれました。

 

  在来種純粋日本人(縄文人)にとってのキリスト教(やイスラム教)といった汎用宗教とは、単一民族としての私たちの目を、世界中の様々な人間(種族・民族・国家)に向けさせてくれる時の一つの羅針盤といえるでしょう。

  つまり、在来種純粋日本人(縄文人)にとって、キリスト教(のような神の宗教)とは、世界中の様々な人間を見る時に欠くことのできない「俯瞰的(マクロ的)視野」を与えてくれる形而上的道具であり、神様に天国へ連れて行ってもらうといった、具体的な利益の為(ばかり)ではない。日本の場合、「神のご加護」を恃みながらも、実際には、その哲学的素養を無意識にキリスト教的世界観から吸収している人が殆ど、なのではないでしょうか。

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第2次世界大戦後の韓国でキリスト教信者が一気に増えたのは、米軍の援助物資をたくさんもらえたから、なんだそうです(月刊HANADA 2024年 秋桜号「隣国のかたち」室谷克実氏)。

「現世利益・物欲・金欲が民族性」という韓国人らしい話ですが、それ故に、日本でも創価学会や統一教会という利益供与的結社が「宗教もどき」として、盛んになったのでしょう。

しかし、じっさい、それで在日韓国人が成功しているのを見ると、私には漫画にしか思えないのですが。

<イスラム教徒との宗教問答>

  モスクでの礼拝の後、モスクの管理責任者である男性(パキスタン人・日本語ペラペラ)と、今回参加していたイスラム教徒のなかで唯一日本人である青年と、こんな会話がありました。

  私はこう言ったのです。

「月も太陽の山も川も空気も、すべて(神・ゴッド・アラーという名の)神が創った。人間を越えた偉大な存在が創った、ということは間違いない、と私も思う。

この世のあらゆるものが偶然の産物である、と考えるのはあまりにも寂しい。神なる者がいて、その意思と意図によって私たち人間も誕生した、と考えたい。「私たちは独りではない」という安心感のために。だから、ダーウィンの進化論なんてロマンがないという理由で、私は信じたくない。

しかし私は、(神という目に見えないものよりも)現実に目に見える太陽を、毎朝見ては感謝している(太陽や月は偶像崇拝にはあたらない?)。これはアメリカン・インディアンも同じで、一種のアニミズム(自然崇拝)ですが、私はその程度の信仰で十分だと考えている。」と。

つまり、神様の創った太陽を崇拝すれば、間接的に神に感謝していることになる、という論理です。

  すると、イスラム教徒は言いました。

  「太陽は夜になればなくなってしまう。雲が出れば隠されてしまう、という点で不完全だ。だから、太陽ではなくアラーを尊崇しなければならない。」と。

そういう論理で、(笑顔で)私を折伏(説得)しようとするのです。

数分間、そんな話をしていたのですが、この手の話に(科学的な)結論など出ようがない。

そこで私は、「私の考えは『能書き(垂れる)より祈れ』『誰も言わないイスラム教の真実』この2冊の本に書いてある。以上。お終い。さようなら。」と言って、円満に議論を打ち止めにしました。


<議論ができる人間(宗教)>

宗教談義・議論とはうっとうしいものですが、これができるということは素晴らしいことです。私の経験からいえば、中国人やキリスト教徒・イスラム教徒という人たちは、実のある・楽しい議論ができるので、うっとうしいながらも、大切な隣人、と考えています。きちっと議論ができるから、物事が正しく進展していけるのですから。

今の日本、政治家も官僚も、マスコミも警察も、まともな議論などなし。はじめから「答えありき」という彼らの押しつけばかり。

政治資金寄生法問題にしても、警察や検察の作り出す手前勝手な冤罪事件にしても、厚生労働省が勝手に決めた1,500種類もの食品化学添加物(アメリカは100種類、ドイツは30種類しか認めていない)にしても、支配層が韓国脳になっているので、議論などできない。

 (今回の総裁選騒動についても、「9人による幼稚園の学芸会」と表現されていたくらい、幼稚なおままごとでした。まあ、ここ約20年くらいの日本の政治とは、安物の韓国ドラマを見るようで、たまに銭湯で見る韓国脳政治家たちの顔を見るだけで、気が滅入ってきます。)


  創価学会だの統一教会といった、特に韓国系の新興宗教というのは、議論というか哲学をすっ飛ばして、現世利益によって、「信者」の数を増やしてきました。

  池田大作なり何とかつる、なんていう偶像崇拝をするだけで、難しい議論など一切不要。創価学会に入信すれば、とにかくその日から飯が食える。これが彼ら宗旨(の強み)です。

スーパーのフードコートで、一日中スマホを使い、指定された各種SNSや動画サイトで「いいね !」ボタンを押し続けていれば、飯が食える。

そういう韓国脳移民・帰化人たちが、もの凄い勢いで増えている。

そんな彼らの「いいね !」ボタンによって、日本の言論界・世論が変質して行っている。そして、こういう何十万人もの人たちが、日本全国、選挙のたびに住民票を移動させて投票したり、おまけに選挙投票システムが完全にコントロールされているとあっては、まさに今の日本はディズニーランド(仮想現実)の世界であり、ハリウッドの映画か、社会学的な研究対象になるほどの奇妙きてれつな世界。

今の日本とは、そういう仮想現実がもはや一時的な社会現象を越え、恒常的なシステムになっているのだから、止めよう(救いよう)がない。

となれば、私のような先のない老人は、イスラム教徒のように、完全に自身が神と一体化という道を選択するしかないのかもしれません。

まあ、私は自分なりのアルゴリズム構築を目指し、日蓮宗不受不施派の日奥の如く「オレはオレ」と、人生の終末を迎えたいと思っています。

  ご詠歌(巡礼または仏教信者などが詠う、和歌・和讃にふしをつけたもの。巡礼歌)をみんなで唄って極楽へ?なんて、私にはよくわからない。

  私は自分のテーマソング(「YELL」と「君は天然色」)を(心の中で)歌いながらあの世へ行くと決めている。そのために、人気(ひとけ)の無い野球場ほどの空き地(隣は川、前は大きな貯水池)で、毎日大きな声で練習しているのです。


2024年10月2日

V.3.1

2024年10月23日

V.3.2

2024年10月26日

V.3.3

2024年10月27日

V.3.4

平栗雅人

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誰も言わないイスラム教の真実 Part 2 V.3.4 @MasatoHiraguri

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