兎束絋汰の思い出 Part2

その女の子と出会って一年くらい経った頃。


 いつものように遊ぼうと思った俺は、元気のない女の子の顔を見て不安になった。


「どうしたの、いずみちゃん。元気ないよ」


 俺は訊ねた。

 お母さんと喧嘩をしたとか大事なヘアゴムを無くしたとか、そういった悩みで元気ないのかなぁと、この時俺は思っていた。


 俺の質問に女の子は最初戸惑った表情を浮かべたが、やがていつもの笑顔に戻った。

 そして、利き手の右手で慈しむようにペチュニアを愛でるとポツリと言った。


「私、引っ越すことになったんだ」


 えっ、と思わず反応した。

 自分の考えていたことと全然違ったことに驚いたのに加えて、その単語が出るとは思わなかったからだ。

 

 俺は意味を理解するのに時間がかかった。


「引っ越すって……。じゃあ、いずみちゃんいなくなっちゃうの?もう、会えなくなっちゃうの?」


 到底受け入れ難い話だった。

 いつもの日常を支えてきた柱がなくなるということ。

 それはつまり、この幸せな日々が終わりを迎えるということに他ならない。


 俺は泣き出してしまった。


 女の子は泣いた俺を慰めてくれた。

 背中を優しくさすりながら、頭も撫でてもらった。

 それで、ようやく少し落ち着いた俺に、先ほどの問いの返事をした。


「パパの仕事の都合で引っ越すけれど、いなくなったり会えなくなるわけじゃないよ」

「どういうことなの」

「引っ越して、離れ離れになっても、いつか絶対必ず会えるよ!それまで、ほんの少しだけこーちゃんに待ってもらうだけ。私も待つだけ」


 女の子は俺の手を取って、向日葵のような笑みを浮かべた。

 その笑顔を見て、俺は次第に元気になった。


「絶対だよ!約束だからね!嘘ついたら僕、いずみちゃんのことずっと恨むからね!」

「もちろんだよ。だから、これ」


 女の子は持っていた小さいバッグの中に手を突っ込むと、中から何かを取り出した。

 俺は何だろうと気になりながらも、大人しく女の子の次の行動を待っていた。


 はい、と女の子は俺の手に、その取り出した何かを渡してきた。

 わくわくしながら、手のひらにある物を見てみると、それは銀色の指輪だった。


「指輪……?」


 女の子が指輪をくれたことを不思議に思った。

 てっきり、お菓子とか綺麗な花とかを予想していたのに。

 それに、この指輪はどういうことなんんだろう、などと少し困惑した。


 首をかしげている俺の左手を女の子は取り、俺が持っていた指輪を俺の薬指に嵌めた。

 そして、女の子はニコッと意味ありげに笑うと、自分の左手を見せてきた。

 薬指には俺の指輪と似た形の金色の指輪が嵌められていた。


「私のは金色だけど、これでこーちゃんんとお揃いだね。絶対に失くさないでね」

「いずみちゃん、これってどういうこと?」


 思えば、この質問は野暮だったかもしれない。

 兄妹じゃない男女が同じ指輪を嵌めるということが、俺はなんとなくだけど理解していたと思う。

 それでも、その考えが合ってるのか確かめたかったのだ。


 女の子は頬を赤らめながら、俺の顔を見つめた。


「この指輪は約束。次に会った時、どっちもこのことを覚えていたら結婚しようという、た、た、大切な約束」

 

 声が震えていた。


 この台詞を発するのに、どれだけの勇気を振り絞ったのだろう。


 告白というよりもプロポーズに近い。

 女の子は歳の割にはしっかりした子だったから、この言葉の重みも知っていたはずだ。

 もし、俺に女の子への誠意があるなら、しっかりと応えなければならない。


 当時の俺はそこまで深く考えなかった。すぐにこう返していた。


「いいよ。俺もいずみちゃん、大好きだから結婚したい!」


 その時の俺の気持ちをストレートに相手に伝えた。

 女の子とずっと過ごせるなんて幸せすぎるなんて思っていた。


 俺の言葉を聴いて、女の子はとびっきりの笑顔になった。

 今まで見てきたどんな笑顔よりも、素敵な笑顔だった。


 そして、女の子は俺にキスをした。


 突然のことに俺は最初何が起きたのかわからなかったが、しばらくして心臓がめちゃくちゃドキドキした。

 体温んも上昇していただろうし、頭もぼーっとしていただろうし、何かが喉まで出かかっていたはずだ。


 女の子はこの時、今までとは違った何か悪戯でもしたかのような悪い笑みを浮かべていた。

 俺の反応を楽しんでいたに違いない。

 少しからかわれていると思ったが、嫌な気分ではなかった。


「今のほっぺにしたキスは、次に会った時に返しにきてね」

「うん、約束する!」


 女の子を自分の花嫁にすると本気で考えていた。

 この女の子以外の子とは結婚しない、と。

 この何にも代え難い日々が送れるのはこの女の子とだけだ。

 そして、女の子もそう思っているに違いない。


 こうして、俺は女の子と決別した。


 それから一年後。


 六歳になった俺は小学校入学と同時に、習志野市へと引っ越すことになった。

 父親の転勤が理由だった。


 新しい家は新築のマンションだった。

 3LDKほどの広さで、前住んでいた一軒家よりも綺麗だった。駅は近いし、通う小学校も近いので立地はかなりいい方だ。


 マンションやアパートなど、共同住宅は隣人との関係が重要になってくる。

 

 父親いわく、隣人は三人家族で、母親と父親、そして小学一年生になる娘が住んでいるらしい。


 同い年。

 しかも、これから同じ小学校に通うことになる女子。


 これから挨拶に行くとなって、俺は緊張していた。


 しかし、その緊張はすぐに驚きへと変わった。


 隣の家族の女の子がペニチュア畑で遊んだ“いずみちゃん”に似ていたからだ。


 目を見開いた俺に、その女の子は笑顔で言った。


「私は花菱美桜はなびしみおう。ずっと会いたかったよ」

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