第1章 五月 俺は恋愛をしない
いつもの朝
五月一日
気持ちのいい日光を浴びて目が覚めた。
シングルベッドなのにやけに狭いなと思い、隣を見ると妹の
またか、と思いながらも、ぐっすりと眠っているので、しばらくそのまま放置した。
が、さすがに中三の女子がやることじゃないと考え改め、心を鬼にして起こすことにした。
「おい、琥珀起きろ」
肩を揺さぶると、う〜んと呻きながら、パッチリと大きな瞳が俺をとらえた。
そして、にこやかに笑う。
「おはよう、お兄ちゃん」
「おはようじゃない。なんで俺のベッドで寝ているんだ」
「お兄ちゃんのぬくもりパワーで快眠できるんだよ」
「俺は保温機能付きの抱き枕じゃないぞ」
俺にしがみついて離れない琥珀を無理やり引き剥がして、ベッドから脱出した。
それから、いつものように机の上のスマートフォンに手を伸ばす。
「またスマホぉ?スマホか私かどっちかにしてよ」
「カレー味のうんこかうんこ味のカレーかみたいな二択だな。ノーコメントで」
文句を言う琥珀を無視して、メッセージが来てないのを確認してから部屋を出た。
少し体をほぐして台所へ向かう。
ーー午前五時三十分。
いつもより少し早いなと思いながらも、朝食の準備を始めた。
母親を事故で亡くしてから五年。
俺は仕事で忙しい父親の代わりに家の家事全般を引き受けていた。
最初は何もできなかったが、この五年で料理、洗濯、掃除と大体はこなせるようになった。
料理に関しては、母親が遺してくれたレシピのメモ帳の存在が大きい。
冷蔵庫の中を見て、今日の朝ご飯は豚汁とスクランブルエッグにしようと決めた。
弁当も作らないといけないので、あまり時間はかけられない。
早速、フライパンを温めた。
料理をしていると、琥珀が俺の部屋から出てきた。
「お兄ちゃん、今日の朝ご飯は?」
「豚汁とスクランブルエッグ」
「えー。この前もそれだったよ。なんかテンション下がるね」
「ちゃんと食べてくれ。何なら、あーんしてやるから」
後半は冗談で言ったつもりだったが、琥珀はそうは受け取らなかったようだ。やったーと歓声を上げている。
これはあーんしなくてはならないぞ、と覚悟を決めた。
なに、妹にあーんをするだけだ。
この行為に文句を言う奴は俺の父親くらいだろう。
だが、奴は今家にはいない。
手際よく調理をし、完成した品を見て俺は満足した。
見た目はとりあえず完璧だ。味の方は……。
豚汁、スクランブルエッグ、ともに合格点を出せそうだ。
炊飯器から白米を装って茶碗に盛り付け、ダイニングテーブルへと二人分の食事を運んでいった。
琥珀と俺の二人きりの食事は慣れている。
父親も含めた三人で最後に食卓を囲んだのはいつだろうと思い返す。
確か琥珀の誕生日の時だったはずだ。
もう二ヶ月も前のことだ。
父親が夜勤や残業などを日常茶飯事に行っているため、どう頑張ってもその時は少なくなってしまう。
だが、誕生日やクリスマスなどは、必ず三人で食事ができるように必死に働いている。
「「いただきます」」
しっかりと挨拶をしてから、豚汁に手をつける。
一口飲むと一気に五臓六腑に染み渡っていき、頭が冴えてきた。
琥珀の方を見ると、まだ一口も手をつけていなかった。
まさか、ずっとあーんを待っているのか。
「どうした?早く食べないと、冷めて美味しさが激減するぞ」
「私の両腕にもの凄い負荷がかかって食べれない」
「分かったよ。あーんすればいいんだろ」
俺は自分の箸を操作し、琥珀のスクランブルエッグをつまんだ。
そして、そのまま琥珀の口へ運んでいく。
しかし、なぜか琥珀は口を開かなかった。
「口を開けて。これじゃあーんができないんだけど」
「あーんでもいいけど、口移しの方がいいよ。キスもできるし」
「なんて卑猥なことを。いいから口を開けなさい」
ようやく琥珀は口を開け、スクランブルエッグを食べた。
すぐに満足したように何回も頷く。
俺の評価通り、スクランブルエッグが美味しかったのか。
それともあーんしてもらえたことが嬉しかったのか。
ここは詮索しない方がいいだろう。
前者であることを期待して、再び箸をすすめた。
「お兄ちゃん、テレビつけていい?」
「いいけど、ちゃんと食べるんだぞ」
俺の忠告を聞いて、琥珀はテレビをつけた。
この時間帯だと、ドラマやアニメなんかは放映してるはずもなく、目覚まし番組のニュースが映し出された。
食べながら、俺もニュースを見る。
ニュースは高校生作家の萱野美槻が小説の新人賞を受賞したことを報道していた。
「血の天使」というミステリー小説で、五歳児が次々と殺される謎を解く話らしい。
相変わらず趣味の悪いものを書くなぁと思ったが、素直に新人賞を受賞して凄いと感心する。
今度、高校で会ったら話題に出そう。
自分とはほとんど無関係と言ってもいいニュースを見ながら、淡々と朝食を食べすすめていく。
たまに琥珀が「お兄ちゃんはこうはならないでね」と犯罪者が逮捕されたニュースの時に話してくるくらいで、何ら変わりのない朝を過ごしていた。
「「ごちそうさまでした」」
食後の挨拶をして、琥珀はすぐに自分の部屋へと戻っていった。
俺は二人分の食器を洗ってから、洗面所へ向かう。
顔を洗って、歯磨きをし、寝癖がないことを確認する。
そして、そのまま洗濯かごに入っている二人分の汚物と天女の衣を洗濯機にぶち込んだ。
すまない琥珀。
臭いのと一緒に回すことを許してほしい。
「これで全部終わったかな……」
朝俺がやるべきことを確認する。
洗濯物を干すのは琥珀がやるからいいとして、弁当はどうするか。
最初は作ろうと思ったけど、もうそろそろ家を出なければいけない。
仕方がない、学校で買おう。
昼食は購買にすることにした。
自分の部屋に戻り、パジャマから制服に着替えた。
スマートフォンで時刻を見る。
ーー六時十分。
そろそろ家を出ないといけない時間だ。
七時からの朝練に遅刻するわけにはいかない。
支度を終えた俺は、琥珀の部屋のドアをノックする。
少し経って琥珀が顔を出した。
「琥珀、洗濯回しているから干しといてくれ」
「え〜、いいよ。私の分だけ干しとくよ」
「お兄ちゃんとお父さんの分も干しといてやれよ」
「しょうがないなぁ。もう行くの?」
「あぁ。朝練があるからな」
「じゃあ、今日は美桜さんとは行かないんだね」
「別に毎日一緒に行ってる訳じゃないけど」
琥珀が美桜さんと呼んだ人は、隣に住んでいる
小学校、中学校、そして高校と共に同じ学校に通っている。
習志野へ引っ越してきた時に、初めてできた友達といっても過言ではない。
隣人ということもあってか、結構な頻度で一緒に登校することが多い。
思春期真っ只中の中学校の時でさえ、恥ずかしいとかうざいとか思いながらも一緒に登校していた。
そんなこともあって、琥珀の中ではいつも一緒に登校するという認識ができてしまったのだろう。
「そうなんだ。まぁ、お兄ちゃんもそういう時期だからねぇ」
「そういう時期って何だよ。とにかく、洗濯物よろしくな。お兄ちゃんは学校へ行ってくる」
「うん、行ってらっしゃい」
よし、行ってくるか。
通学用の鞄を片手に、俺は家を出た。
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