ハンディマン
地表より吹く夜風は、まだ微かな熱を含んでいる。
恒星が地平線に沈み、青紫色に染まる空で無数の星が瞬く。
ハイウェイを走る車はオープントップゆえに、その夜景を存分に満喫できた。
「それは災難だったっすね〜」
そのムードを台無しにする能天気な声の出所は、頭頂部に狐耳が生えた女。
八重歯を見せ、快活に笑う姿は幼く見える。
しかし、身に纏う牡丹柄の黒い和装は夜に映え、大人びた雰囲気を醸す。
「でも、もう安心っす!」
そんな運転手は平坦な胸に左手を当て、自信たっぷりに宣う。
「は、はぁ……」
その勢いに押され、助手席に座る娘は曖昧に頷くしかない。
「そうっすよね、ボス!」
「おう」
水を向けられたボスは、助手席の後ろから投げやりに手を振る。
依頼対象もとい護送対象である娘を宇宙港まで送り届ける仕事は、今のところ順調だった。
「あ、あのっ」
パールレッドの瞳が星空から助手席へ向く。
そこには夜風に靡く金髪を押さえ、後席を覗き込む娘。
「さっきは、ありがとうございました……えっと」
感謝の言葉の後に恩人の名が続かず、わずかに視線が泳ぐ。
この掃き溜めのようなハビタットでは稀有な感性の娘だった。
「ヤガミだ」
渋々といった様子で名乗る元殺し屋。
そのまま閉じようとした目に、次の言葉を探す娘の姿が映る。
「どうした?」
「あ、いえ……」
「ボスがちんちくりんな理由が気になるっすか?」
気難しい顔で言い淀む娘へ軽い調子で問いかける運転手。
アウトローを苦もなく打倒した恩人が、なぜ少女の姿となったのか?
気にならないと言えば嘘になるが──
「企業秘密だ」
一刀両断である。
「教えてもいいじゃないっすか~」
足を組んでシートに沈み込むヤガミは、能天気な運転手へ胡乱な視線を投げた。
「ついでに紹介しておく。そっちの頭が軽そうなのがヘイス」
「ちょっ酷くないっすか!?」
情けない声で抗議するヘイスに、娘は無意識のうちに笑みを零す。
緊張せずにいられるのは、能天気に振舞う彼女のおかげだ。
「こっちのデカブツはレフコス」
「よろしく」
ヤガミの隣、窮屈そうに座るレフコスは親指を立ててサムズアップ。
強面の全身サイボーグだが、挨拶は気安い。
「私は──」
「ああ、覚える必要はない」
律儀に名乗ろうとした娘を遮り、ヤガミは流れを断ち切る。
これ以上の馴れ合いは無用と言わんばかりに。
車内に満ちる沈黙──旧時代の内燃機関だけが機嫌よく唸っている。
夜風が吹き抜け、ハイウェイを照らす光が背後へ流れていく。
「…ボス、あんまりじゃないっすか?」
押し黙る娘を見かねたヘイスが、ルームミラー越しに抗議の視線を送る。
「良好な関係を築くに越したことはないぜ……胡散臭い依頼だろうと、な」
それに便乗して諭すレフコスは、わざとらしく最後を強調した。
「胡散臭い…?」
口を噤んでいた娘が言葉を反芻し、ヤガミは満天を仰ぐ。
「首を突っ込むな……そう言ったよな?」
ヘイスは下手くそな口笛を吹き、レフコスは小さく肩を竦める。
そんな2人をパールレッドの瞳がじとりと睨む。
「依頼自体はタクシーの真似事だが、依頼文は暗号化されてるし、報酬は法外。そのくせ護送対象は外見以外に情報なし」
ヤガミは独白するように、淡々と懸案事項を並べていく。
胸元に差し込んだ端末を見ずとも記憶している。
「そして、仲介を通さない直接依頼……言えない事情があるのは
事情のない依頼など存在しない。
しかし、何事にも限度がある。
「普通の
声質こそ少女だが、冷徹な光を宿す瞳はベテランのそれ。
一切の油断がない。
「私らは受けないと明日から無一文っすからね!」
「だから、これ以上の厄介事は避けるって話したよな、ヘイス」
「ボス、耳はあたたた!?」
ヘイスの狐耳を掴み、力一杯に握り締めるヤガミ。
経営についてはベテランではないらしい。
「ごめんなさい。何も話せなくて……」
何かしらの事情を抱えた娘は、戯れ合う2人へ謝罪を口にする。
「……気にしなくていい」
隠し事に向かない素直な反応を見て、ヤガミは溜息を漏らす。
「こっちは仕事を果たすだけさ」
狐耳から手を離し、適当に叩いて毛を払う。
それを恨めしそうに見ていたヘイスはウィングミラーを一瞥し──
「ボス、お客さんみたいっす」
車内の空気が一変する。
ヤガミとレスコフは示し合わせたように振り返り、背後へ過ぎ去るハイウェイの夜景を睨む。
ヘッドライトの光が映り込む2人の眼は、ほぼ同時に敵の同定を終えた。
「あれはロストフスカヤだぜ、ボス」
「鼻だけは良い屑どもだ」
ハイウェイを疾駆する深緑の装甲バギー、数にして6両。
招かれざる客は、宙賊だ。
交渉できる相手ではない。
「ボス、その小さな尻を退けてくれ」
「おう」
ならば、取るべき手段は一つ。
レフコスは後席のシートを開き、武骨な得物を引っ張り出す。
それは8個の高圧コンデンサを備える
電源用のケーブルを首元に差し込み、眠れるマキナに火を灯す。
「撃ってきたっす」
「ただの威嚇だ」
散発的な銃声が響き、路面に弾痕が穿たれる。
「お嬢ちゃん」
雑音を聞き流し、ヤガミは助手席の娘を呼ぶ。
不安に揺れる碧眼を前に笑ってみせ、羽織っていたジャケットを渡す。
「これを被ってな」
「はいっ」
娘は言われた通りにジャケットを被り、頭を下げる。
修羅場の心得はあるらしい。
「さて、盛大に歓迎してやるか」
「オーケー、ボス」
トランクの上に銃身を乗せ、射撃体勢に移るレフコス。
ヤガミはグレネードランチャーを片手に、後席のシートを踏みつけて立つ。
「ロックンロール!」
開幕のゴングは、大気を切り裂くガウスライフルの咆哮だった。
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