中学1年生②

 自分の家であるアパートの一室へ帰り、暗くて静かな廊下を抜けて自分の部屋の電気をつけた。学ランを脱ぎ捨て、充電してあったスマホを手に取ってそのままベッドに倒れ込む。

 ひとまず、LINEを開き、トーク一覧から樋口さんとのトークを探す。スクロールをそれなりにしてようやく見つけたそれは〝スタンプを送信しました〟と表示されていた。嫌な予感を覚えながら、何を話したか記憶の中を漁りながら樋口さんとのトーク画面を見ると、


 ともみ:樋口友美です!

 ともみ:よろしく!

 あきと:よろしくー


 一旦画面を一つ戻って、このスカスカのやつが本当に樋口さんとのトーク画面か確認する。そして、ちゃんと合っていることを確認して再度トーク画面を開く。


 ともみ:樋口友美です!

 ともみ:よろしく!

 あきと:よろしくー


 やっぱり四月に友達追加した時にしたやり取りしかなかった。当たり前だが、唐突に増えるわけがなかった。

「おぅ……」

 スクロールする必要が微塵もないトーク画面を前に思わず頭を抱える。

 思い返せば、これまで何回かした席替えでも樋口さんとは大体真逆の離れた席だったし、掃除の係も場所が違ったし、帰宅部とテニス部だし、接点がほとんどない。あるのは四月に友達追加した際のこのラリー数一桁の社交辞令みたいなスッカスカの画面上でのやり取りとたまにする挨拶しかない。

 つまり、〝そんな喋ったことない〟は嘘だった。

 正しくは〝ちゃんと喋ったことがない〟だった。

「えぇ……」

 碧の頼みを引き受けたことを心底後悔しながらなんて送ろうか欠伸をしながら考える。しばらく考えて結論が出た。

 どう送っても気まずい。

 スマホを持っている手を下ろして、視線を白い天井へと向ける。

 ある程度話したことのある男子とかなら気軽に送れるが、相手はちゃんと喋ったことのない上に異性のクラスメイト。人見知りも相まって、メッセージを送るのに躊躇してしまうし、気まずいし……。

 考えていると眠気がゆっくりと体を満たしていく。少しだけ抗いながら色々考える。

 いっそのこと樋口さんに何も言わないで碧に連絡先渡すとか……? いや、罪悪感あるか……。

 瞼が重みで降りてくる。大きめの欠伸を合図に思考を放棄した。後で考えればいいと。

 スマホを枕元に置いて、重くなった瞼と溢れだす眠気を受け入れる――。

 

 ***


 気が付くと目の前に大きなゲートがあった。その奥には花壇がある広場みたいなのがあって、更に奥には大きな建物がある。確か色んな物が売っている場所だっけ。

 普通気分の上がりそうな場所のはずなのに、そこはどこか寂しそうだった。人の到来を拒むようにゲートにはシャッターが降ろされ、中に人の姿はなく、ただ静かな空間がそこにあった。

 しばらく待っていたらゲートが開くかもとは考えたが、ただ待っているだけじゃ退屈なので別の入り口がないか探してみることにした。外周に沿って歩き始めると柵の間から中の様子を見ることができたその空間自体は一見楽しそうではあるが、人がいないのがやはりどこか寂しそうで、不思議な気分になる。

 しばらく歩くと、大きな観覧車が見えてきた。動いていない観覧車に何となく新鮮な気持ちを抱きながら進むと先ほどより一回り小さいゲートに辿り着いた。観覧車のそばにあるそのゲートもやはりシャッターが降りていた。シャッターの隙間から中を窺ってみるもがらんとした空間が広がっているだけで人も活気もなかった。

「ダメか……」

 このシャッターが上がることはないと悟って仕方なく振り返ると目の前には街が広がっている。こんな街中にこんな遊園地があるのはやはり不思議でならない。

 仕方なく街へと足を進める。背の低いビルやマンションが並ぶ中、人が全然いない道を一人で歩いていく。車も自転車も通らない静かな街を歩いて、律義に信号は守って進んでいく。景色はやがて一軒家が建ち並ぶ住宅街へと移り変わっていく。二階建ての大きな三角屋根の家、三階建てのアパート、瓦屋根の家と変に生えた木がある庭、平屋にレンガ造りの家。まるでジオラマの中に迷い込んだかのような生活感のない家たちが通り過ぎていく。

 ふと見覚えのある茶色の五階建てのマンションが現れる。どこで見たのか記憶の中を辿りながら歩いていく。

 中々思い出せない気持ち悪さを感じていると右手に公園が見えた。滑り台にブランコ、鉄棒とベンチがある小さな公園にどこか懐かしさを覚える。ノスタルジックな気持ちで公園に足を踏み入れ――


 ***

 寝起きの耳に薄っすら届く音楽がスマホの着信音だと気付くのに少しだけ時間を要した。

 目を瞑ったまま枕元に置かれたスマホを手に取り、目を少し開け画面を確認する。母と表示された画面を見て、応答をタップして耳に当てた。

「もしもし……?」

『あ、寝てた?』

 母はふふっと優しく笑った。

「うん……」

『おはよう』

「……はよ」

 目を擦りながら壁掛けの時計を見ると短針があと少しで真下を向こうとしている。

「……どうかしたの?」

『あぁ、うん、今日ちょっと仕事で遅くなりそうだからご飯一人で食べてくれる?』

 母は申し訳なさそうな声で言った。

「あぁ、うん……分かった」

『ごめんね。一応お米はもうそろそろ炊けると思うから……あと、冷蔵庫に昨日の残りがあると思うからそれ温めて食べて』

「ぁい」

 ケホと咳払いをする。

『ほんとごめんね。何だったらデリバリー頼もうか?』

「いや、いいよ。冷蔵庫のやつ食べる」

『そっか、分かった。じゃあよろしくね』

「あーい」

 そう言うと電話は切れた。

 スマホを枕元に置いて起き上がり、上に向かって大きく伸びをする。そして、食事の準備のためにスマホを手に立ち上がり、自分の部屋を出た。

 冷蔵庫には母の言う通り昨日の残り物が入ったお皿があった。サランラップのかかった冷たいお皿を取り出し、そのままレンジに突っ込んでボタンを押した。先ほど音を奏でていた炊飯器を開けると湯気と共に白く輝く白米が現れる。お茶碗に白米をよそってテーブルへ運び、あとはレンジが鳴るのを待つばかりとなった。

 小さい頃は一人で食べるのが寂しかった。近くに住む祖母が来てくれて一緒に夕飯を食べることもあったが、一人でご飯を食べる時は静かな空間にテーブルに食器を置く音や自分が咀嚼する音だけしか聞こえないのが嫌で急いで食べていた。

 今ではそんな寂しさを感じることもなくなった。お皿をレンジに入れてボタンを押す、お茶碗に白米をよそう、そんな簡単な食事の準備から後片付けまで気付くと慣れたものになっていた。食事中もテレビをつければ楽し気なバラエティ番組が流れ、ケラケラ笑いながらご飯を食べることができる。食べるスピードは遅くなったが、もう一人で食べることにマイナスな感情を持ってはいない。それが大人になったからなのか、寂しさに慣れただけなのか定かではないが、とにかくもう一人でご飯を食べるなんて大したことないのだ。

 だから、あんなに申し訳なさそうにすることでもないのにと毎回思う。別に母だって遊んでいるわけではない。仕事なのだから仕方ないことなのに。

 レンジがピーピーと温めの終わりを告げた。

「アツ……」

 お皿までしっかり温まったおかずをテーブルまで運び、テレビをつける。お茶と箸を持ってきてポケットにしまっていたスマホをテーブルに置いてご飯を食べることにした。

 一応手を合わせて白米を口に運ぼうとするとスマホがまた着信音を鳴らしながら振動する。画面には碧と表示されている。なので、そのまま白米を口に運ぶ。そして、おかずを食べながらスマホが静かになるのを待つ。テレビの音量を小さくしていると着信音は切れた。 

 そして、すぐにまた着信音が鳴る。当然、画面は碧と表示されている。応答、スピーカーの順にタップする。

「はい」

『お前……1回スルーしただろ?』

「うん」

 白米を咀嚼しながら答える。

『〝うん〟じゃねぇよ! 何食ってんの?』

「夜ご飯」

『まぁだろうな。時間的に。メニュー聞いてるんだわ。まぁ、いいや。どうなった?』

「夜ご飯? 食べ終わってないよ?」

『ちげぇよ! 樋口さんだよ! 樋口さん!』

「あぁ、そっちね。はいはい」

『それ以外ないだろ、〝どうなった?〟って』

 碧の呆れた声を聞きながらおかずを口に運ぶ。咀嚼して飲み込んでから口を開く。

「樋口さんにさぁ、〝連絡先教えていい?〟って聞いた方がいいよね?」

『それはそうだな。そもそも俺、樋口さんと接点なんてないからな。アキがなんか言ってくれないとただのヤバイ奴だからな』

「別に俺が何も言わなくてもヤバイ奴だぞ」

『はっ倒すぞ。それで、樋口さんはなんて?』

「え? まだ連絡してないけど?」

『は⁉ おい、嘘だろ? 何してたんだよ、今まで』

「睡眠」

『何寝てんだよ。おま……今この瞬間にどこの馬の骨の……あれだよ、あれ』

「馬?」おかずの豚の生姜焼きをご飯にバウンドさせる。

『だから、今この瞬間にどっかの誰かが樋口さんに告白して付き合うことになってるかもしれないだろ?』

「それは……ドマ」

『ドマ言うな! とにかく、なるべく早く連絡してくれよ? マジで』

 碧は念を押すように言った。

「いやだって聞いてよ。樋口さんとのLINEさぁ、四月のやり取りしか残ってなかったんだよ。しかも〝よろしくー〟ってスタンプ送って終わってるんだよ。全然会話してなかった相手にいきなりLINEするの難易度高くない? しかも連絡先教えていいか聞くの中々じゃない? なんて送ればいいか全然分かんないし、どう送っても気まず~い感じになりそうだし」

『そこは頑張れ! 最悪お前が樋口さんと気まずくなってもいいから』

「ちょっとは気にしろよ」

『とにかく、お前が頼みの綱なんだよ。アキが上手く俺のこと紹介してくれれば俺の印象が良い感じになるわけだし。ほんとにお前次第だぞ?』

「……プレッシャーだなぁ」

『咀嚼しながら言うんじゃねぇ。全然感じてないだろ。変なこと言わなくていいんだよ。俺の一から十まで言う必要もない。〝イケメンで優しい友達がいるんだけど……〟みたいなシンプルな感じでいいからな』

「俺の友達で〝イケメンで優しい友達〟だと拓実か慎也しかいないけど?」

『いるだろ、もう一人。今お前が電話してる奴とかな』

「ハハハ」

『笑うな』

 ふざけたやり取りに満足しながらお茶の入ったコップを傾ける。

『今日中には頼むぞ?』

「えぇ……明日じゃダメ?」

『ダメに決まってるだろ。こんなあーだこーだ言い合ってるうちに樋口さんに彼氏ができたらどうすんだよ』

「こんなあーだこーだの間にできないだろ」

『分かんねぇだろ? 今この瞬間に超絶イケメンに告白されてるかもしれないだろ』

「超絶イケメンなんてうちの学校にいるのか?」

『いるじゃねーか、このお――』

 碧の言葉を遮るように通話を終了し、フフッと笑いながらテレビの音量を戻した。のんびりご飯を食べようとするとスマホから通知音がした。

 あお:頼んだぞ!

 適当なスタンプを押して白米を口へと運んだ。



 食事を食べ終わり、食器も洗い終えてからお風呂に入った。お風呂から上がったタイミングで丁度帰ってきた母はまた口にする必要のない謝罪の言葉を言った。それから二言三言言葉を交わしてから自分の部屋へ戻った。

 いつもなら適当に課題を片付けてゲームをして寝るだけなのに、今日に限っては気が重くなるようなことがまだ残っている。ひとまず音楽を聴きながら課題をちゃちゃっと終わらせた。

「さて……」なんて送ればいいのやら――。

 溜息をつきながらスマホを手に取ってもう一度トーク画面を確認してみる。


 ともみ:樋口友美です!

 ともみ:よろしく!

 あきと:よろしくー


 確認していない間に勝手にやり取りが増えるわけなんてないそれにまた溜息をつく。四月にしたこんな社交辞令みたいな素っ気ないトークのラリーから五カ月もの間この画面は変わっていない。それはトーク一覧からスクロールしないと出てこないわけだ。

 もう少しラリーしろよと四月の自分に言いたくなるほどのスッカスカの画面を前にしばし考えてみる――。

 とりあえず〝樋口さん!〟って送ってみる……? いや、無理。

 急いで入力したその文字たちを消して真っさらにする。それからも考えてはみるも指が送信をタップすることなく時間が経過していく。普段から頻繁に連絡を取り合っている相手であれば適当な軽いノリで指が動いていくのに、ほぼ初めて連絡を取るに近い樋口さんへ送るメッセージはどうやっても気まずく感じて指が固まってしまったかのように動かない。

「うん」ゲームやろう。どうせまだ時間はあるし。

 そう思ってゲーム機の電源を入れ、テレビにホーム画面を映し出す。何のゲームをしようかと選ぼうとすると、

 Blue:樋口さんに連絡したか?

 左上に表示されたメッセージを見て碧とフレンドになったことを後悔した。

 Blue:課題と連絡をちゃんとしてからゲームしなさい

 宿題をしないでゲームをやる小学生に言い聞かせる母親の台詞みたいなメッセージが続いて飛んでくる。

 Aki:母親か

 Aki:課題はやった

 そう返信してFPSゲームをやろうとするとまたメッセージが左上に表示される。

 Blue:樋口さんにも連絡した?

 Aki:したした

 Blue:ほんとにしたの?

 Aki:うん

 嘘を送っていざやろうとするとまたまたメッセージが届く。

 Blue:じゃあLINEで樋口さんとのトーク画面スクショして送りなさい

 Blue:証拠として

 なんと痛い所を突いてくるのだろうか。思わず顔をしかめる。

 Blue:やっぱり連絡してないじゃない

 Blue:あんたお母さんに嘘つくなんて

 Blue:ゲームはやることやってからっていつも言ってるでしょ

 Blue:早く連絡しなさい

 何故か母親みたいな口調をしたメッセージが次々に送られてくる。しかめた顔のまま溜息を吐く。

 Aki:はいはい

 Blue:「はい」は一回っていつも言ってるでしょ

 碧からの母親面したメッセージが送られ続けるのもめんどくさいので再度樋口さんとのトーク画面をまた開く。投げやり気味にしばし考え、文章を打ち込む。

〝友達が樋口さんの連絡先欲しいって言ってるんだけど教えてもいい?〟

 もうこれでいいやと送信をタップする。碧に送りつけてやろうと早速スクリーンショットを撮ろうとするとメッセージの隣に既読の二文字が現れた。

「え、はや……」

 あまりの速さに驚いていると、

 ともみ:うん! いいよ!〟

 ともみ:今日結城君が帰るときに一緒にいた人?

 とんでもない早さで返信がやってきた。しかも想定では〝いいよ〟か〝無理〟というようなメッセージが届いて終わりかなと思ったのに――。返信を打ち込む。

 あきと:そうそう

 あきと:違うクラスのやつなんだけど

 ともみ:だよね

 ともみ:どんな人?

 スッカスカの画面がどんどん埋まっていくようにどんどん会話のラリーが続く。五カ月も更新されていなかったとは思えないほど軽快にやり取りが増えていく。

 あきと:優しい?

 あきと:あとは面白い?

 ともみ:そっか笑

 ともみ:なんで疑問形なの笑 

 もしかしたら樋口さんは案外暇人なのかもしれない。とにかく返信が早い。

 あきと:まぁでも良い奴ではあるから

 あきと:そいつから連絡来ると思うけどうざかったら全然ブロックしていいから

 そう送り、一旦碧とのトーク画面を開いて樋口さんの連絡先を送る。

「よし」

 通知音が鳴り、画面の上部に樋口さんのメッセージが表示される。

 ともみ:分かった笑

 樋口さんとのトーク画面に戻る。

 ともみ:結城君の友達だからブロックしないよ笑

 何となく会話の終わりが見えてきた。樋口さん良い人だなと思いながら返信しようとすると今度は碧のメッセージが上部に表示された。

 碧:神神神神神紙

 この中身がスッカスカなメッセージは未読でいい。

 あきと:無理しなくていいからね

 あきと:じゃあ、そういうことで

 樋口さんにそう返信すると、可愛いキャラクターが親指を立てているスタンプが表示される。それを既読してから、スマホをコントローラーへと持ち替える。

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