第38話 落ち込んで、イライラ
緑のバッティングケージに金属バットに当たったボールが飛んできた。ここは新宿にあるバッティングセンターだった。バッターボックスに立っているのは、碧央だった。何度バットを振ってもヒットにしかならず、ホームランにすることができなかった。景品の骨伝導ワイヤレスイヤホンはなかなか手に入らない。控室には、ヘルメットをかぶった義春がいた。
「おいおい、ノーコンだな。貸せ、元キャプテンの俺がやるよ」
義春は、ぐだぐだの碧央からバッドを受け取り、バッターボックスに入った。
「俺は、今、落ち込んでるんだよ。せっかく結愛に会いに行ったのに、へんなおっさんが邪魔してきてさ。まったくもう。なんでかなぁ」
カッキーンと、碧央の気持ちとは裏腹に義春はホームランのボールのマークに当てた。スピーカーから拍手の音が鳴り響いた。
「やったね!! 景品ゲットぉ。さすが、俺やん」
義春は、バットを立てかけて、ガッツポーズで喜んだ。お店のカウンターに景品を取りに行くと、ジャンプして碧央に見せびらかしに行く。
「……ちくしょぉー、義春ばっかり。ずりぃーよ。俺も幸せになりたい」
地面を人差し指でくりくりといじっていじけている碧央はどこか小学生のようで可愛かった。なぜかきゅんとなった義春は背中を撫でて、もらった高級骨伝導ワイヤレスイヤホンのボックスを渡した。
「ほら、スポーツしながらの使用がおすすめだってよ」
「……お情けはいらねぇよ、ぐすん」
「かわいいやつめ。んじゃ、俺がひと肌脱いでやるよ」
「え、どういうことよ」
舌をぺろっと出してグッドポーズをする義春に顔を上げて、期待感を持った。肩に腕をまわして、横にならんで歩いた。
◇◇◇
寒い空気の中、ベランダの窓を開けて、夜空を見上げた。雲もない冬の星座は空気が澄んでいるせいか綺麗に見える。オリオン座は街中の光に負けないように輝いていた。結愛は、手をこすり合わせて、白い息を吐いた。ストーブのつけた部屋の中は、もやもやとして暑かった。ふと、インターフォンがなる。こんな時間に宅急便かなとモニターを確認すると、見たことのある男性が映っていた。それは碧央を後ろに引き連れてやってきた義春の姿だ。
「こんばんは! 夜遅くにごめんね! 中に今入ってもいいかな?」
「……えっとぉ」
「あ、ごめん。こんな遅くに女子の部屋に入るのは常識外れだよわな。お土産。ここに置いておくわ。コンビニで申し訳ないけど、プレミアムアイス。んじゃ、出直すね」
手を振って、その場から立ち去ろうとする義春が移動すると、後ろに碧央が映ったのが見えた。思わず結愛は
「あ、碧央!!」
「……」
モニターはすでに消えていたようで、義春と碧央は階段をかけおりていた。結愛は、どうしても碧央に話したいことがあって追いかけようと慌ててクローゼットからボアジャケットを取り出して、ルームウエアのままサンダルで走った。お腹が大きくて重心がうまくつかめなかったが、必死だった。サンダルがひっかかって、階段を転げ落ちそうになると、機転をきかせた碧央が走ってくる結愛を見つけて、体をクッションがわりに受け止めた。
「おいおいおい、あぶねぇだろ。気をつけろって!!」
本気でブチ切れた碧央を見たことがなかった結愛は、泣きそうになる。ぺたんとその場に座りこみ、涙がしたたり落ちる。
「だ、だって、碧央が……。碧央が……」
「そうだよ、碧央。そこまで怒らなくてもいいだろ!!」
「……だってよぉ!! 大きな腹してて、走ってくる結愛が悪いだろって。まったくよぉ」
なかなか結愛に会えなかったことのストレスと、階段から落ちた衝撃で、もしお腹の子に何かあったらどうするのかと本気で心配になった。碧央にとっては母体ももちろん大切にしての思いだった。結愛は感情的になって、天を仰いで子供のように泣き始めた。夜に近所迷惑だなと焦った碧央は結愛を抱えて、部屋の中に運ぼうとした。
「結愛、結愛!!」
「わーん」
「泣いてる場合じゃないって、血、出てるから」
「……お、お腹、痛い!!」
「義春、救急車呼んで!!」
「ま、マジか。おう、任せろ」
出血してることに気づいた結愛は衝撃のあまり気を失った。現実を見たくなかった思いが強かった。結愛を横にそっと寝かせて、救急車が来る前に結愛の部屋から体が冷えないよう分厚い毛布を持ってきて温めた。
救急車のサイレンが響く。
「お待たせしました。妊婦の方の状況を教えてください―――」
救命救急士が、救急車からおりてきて、碧央に話しかけた。横で義春も一緒に説明する。いまだ、結愛は気を失ったまま、目を覚まさない。近所の人々が心配そうに見つめていた。
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