第36話 何だかうれしい
「いらっしゃいませ。お決まりになりましたら、テーブルにありますタブレットからご注文お願いします」
「はい、わかりました」
いい匂いが厨房から漂ってくる。ここは、旨い安い早いで評判の牛丼屋だ。碧央は、とある事情でお金がかかることになり、牛丼屋で深夜バイトを始めていた。前までは、居酒屋で働くこともあったが、まかないでいただくお酒を飲みすぎたことに注意を受けて、辞めざる得なくなった。しばらく、バイトをやめていた。それはそうだ。今から親としての責任が振りかぶってくる。まだ大学を通う予定だ。国家資格を取って卒業するのが目標だ。碧央よりも先に卒業するのは望美の方だ。お互いの家族に子供ができたことを話に行こうと相談したときから話がとまっている。結婚のことも真剣に考えようとしていた矢先だった。ここで音信不通。碧央は、複雑な思いで働いてた。
「朝日くん、これ、3番テーブルに運んで」
「はい、承知しました」
店長との仲は友達かというくらい仲良しだ。シフトの休みも相談しやすい。それなりに学生バイトが多いからか、このバイト先は、ホワイト企業だ。1人風邪で休んでも余裕で回転できる。深夜バイトということもあって、給料もそれなりにもらえるが、大学の講義はほぼ爆睡だ。
今日もまた、堂々といびきをかいて、寝ている。横に座っていた義春に肘打ちで起こされた。
「ふへっ?!」
「碧央、そろそろ起きろよ。教授が珍しく睨みつけてるぞ」
よだれを拭いて、体を起こした。義春は碧央の背中を撫でる。教壇に立つ坂下教授が最後尾の碧央を睨んでいる。よほど、いびきがうるさかったらしい。静かに退室しろという指示を出されている。碧央は、仕方なしに講義室の外に出た。それを追いかけて、義春も一緒に出てきた。
「なんで、お前も出てくるんだよ。何も注意されてないなら、残れば?」
「……さっきの講義さ、つまんねぇなって思って。お前と一緒にいる方がいいだろ」
ウィンクをして、肩をたたく義春。碧央は、涙が出るくらい嬉しくなる。
「お、お前、そんなキャラだったっけ。悪態ついて、いつも意地悪するだろ?」
「……へへへ、ばれちまったか。実は、お前に言っておきたいことがあってね」
「??? なんのことだよ」
「昨日、電話で話してただろ。言っておきたいことがあるって」
「あ、その話。もったいぶりやがって、一体何の話だよ」
「……実はさ―――」
碧央は、義春からの話を聞いて走らずにはいられなかった。自分のしていることってなんだったんだと責めた。本当に大事にしなければならない人を大事にできていない。なんて不甲斐ないんだ。薄情で、ろくでなし。早く会って話したい。
「結愛ちゃんいるだろ。お前ら別れたって言ってたけど、休学してるらしいよ。何か、噂では妊娠してるって話だよ。つわりひどくて、授業にまともに受けられないって。聞いてなかったのか?」
「……それ、どこ情報よ」
「俺の仲良しガールフレンドからの話。信憑性は高いよ。結愛ちゃんと同じ高校の子だから」
「俺、行くわ」
「は? どこに? この後の授業は? あと2コマあるだろ」
「休むわ」
「……頭のいいやつは違うねぇ。まったくよ」
碧央は、走ってはいけない廊下を平然と走って大学の外に向かった。行くところはもちろん決まっている。自宅でもなければ、望美のところでもない。真実をつきとめに結愛の部屋に行く。氷のように固まってずっと話せなかった思いが溶け始めて、やっと話すきっかけができた。
音信不通の望美よりも本命の結愛のことを大事にしなくちゃと心が躍った。
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