第34話
◇
キーリに連れられて医務室へと足を運んだイザークが中に入ると、フレイアがカヴァスに叱られている最中だった。
「まったく。君という子はどうしてこうも無鉄砲なんだい? 強行突破で後宮に乗り込むし、妃候補の自覚だってない。普通侍女に扮して後宮を抜け出すかい?」
フレイアはベッドの上で上体を起こし、しゅんと項垂れている。
「ごめんなさい。……自分が浅はかで軽率だったことは深くお詫びします」
カヴァスは腕を組み、フレイアを咎めている。今回の件を重く見ているのだろう。
「自分の恋愛にのめり込み、あまつさえ陛下にまで迷惑をかけて、令嬢としての自覚も足りない。自分の家名がどれだけの影響を及ぼすのか分かっていたのかい?」
「フォーレ家のわたくしが動けば少しは他の令嬢を牽制でき、妃を娶るのを拒むイザークお兄様の時間稼ぎになるかと思ったのです。……本当にごめんなさい」
声は次第に尻すぼみになり、俯くフレイアは肩を震わせた。
「いや、君の言い分も一理ある。あるけど……倒れたと聞いて兄は肝を冷やしたんだよ」
小さく息を吐くカヴァスは逞しい腕で妹のフレイアを抱きしめる。
カヴァスとフレイアは実の兄妹だ。叱ってはいるがカヴァスは心の底から妹を大事に想い、心配していることが窺えた。
美しい兄妹愛を見せたところでフレイアがこちらの存在に気づく。イザークを見るとベッドから飛び出してスカートを摘まんで礼をした。
「陛下におかれましてはこの度の件で大変ご不快になられたことでしょう。謹んでお詫び申し上げます。差し出がましいことではありますが、ユフェ様はご無事でしょうか?」
「さきほど介抱してきた。数日休息を取れば元気に歩き回る」
フレイアは胸に手を当てて「良かったですわ」と呟くとまた涙を流す。
イザークはフレイアの手を取るとベッドに座るように促し、それからいつも通りに接するよう頼むと胸に手を当てて謝った。
「俺も悪いことをしたと思っている。フレイアの気持ちを知りながら……」
「いいえ、わたくしもお兄様が妃を一向に娶らないことや妃候補であることを逆手にとって乗り込んでしまいました」
「何か、埋め合わせすることはできないか?」
尋ねるとフレイアは顔を伏せてブランケットをきつく握り閉める。
「……お忙しいのは分かっています。構ってもらえないことも、会うことが無理だということも理解しています。でも、だからといって手紙の返事を一通も送ってくださらないのは酷いです。もう一ヶ月放置です! 残酷です、あんまりです!!」
とうとう嗚咽を漏らすフレイアに、イザークは眉尻を下げる。
続いて後ろに鋭い瞳を向けながら声を掛けた。
「――だ、そうだが。どういうことだキーリ?」
こちらには近寄らず、扉の前で待機していたキーリは気まずそうにさっと目を逸らす。
「キーリ様!!」
キーリの存在に気づいたフレイアは瞳を潤ませ、頬をほんのり赤く染めている。
「やっと、やっと、お会いできましたわ。お手紙を書いて出しても一向にお返事をくださらないので心配していましたの」
ベッドを降りたフレイアは、ぱっと駆け出してキーリの胸に飛び込む。
フレイアの想い人とはキーリだった。
後宮に乗り込んだ理由はイザークの妃になりたいからではなく、一向に手紙をよこさない想い人のキーリに会うためだった。
一縷の望みを掛けて後宮入りしたが結局キーリとは一度も顔を合わせることはなかった。そして少しでも様子が知りたくて侍女に変装するという無茶に出たようだ。
(キーリはフレイアが苦手だからな……)
彼の本心を知っているイザークは少し申し訳なくなる。
キーリ曰く、フレイアは一途に愛を向けてくれる素敵な女性だが、仕事人間の自分には勿体ないらしい。生真面目な性格上、対等に愛を注げないことに引け目を感じているようだ。
(フレイアは帝国を愛し、発展させようと奔走するキーリが好きなんだけどな)
そのことはキーリ自身が気づいてこそ、初めてフレイアの一途な愛を深く知れるような気がするのでイザークの口からは言わないでおく。
キーリはぎこちない手つきで抱きつくフレイアの肩に手を置いた。
「お返事が滞って申し訳ございません。後日、改めてお返事しますから」
緊張から額に汗を滲ませるキーリを一瞥してカヴァスが口を開いた。
「嗚呼、良かった。ここで『年頃の若くて美しい娘が軽々しく男に抱きつくものではありません』なんて注意したら私が叩いていたけれど、一応君にも分別というものがあるようだ」
「カヴァスにだけは言われたくありません!!」
にんまり笑みを浮かべるカヴァスにキーリは噛みついた。
イザークはフレイアが落ち着いたところを見計らって本題に入ることにした。
「フレイア、どうしてユフェを噴水に投げ入れたのか教えてくれないか? 植物や生き物が好きな君がユフェに危害を加えるなんて不可解だ」
尋ねられたフレイアはキーリから離れると真面目な顔つきになる。
「それが、わたくしにもよく分からないのです。中庭を歩いていたら少し頭痛と目眩がして治まるのを待つために立ち止まりました。ユフェ様が前を走って行ったので慌てて追いかけたのですが、気づけばユフェ様が化け物になっていたんですの」
話を聞いていたイザークは腕を組んで考え込むと、フレイアはさらに話を続けた。
「悲鳴を上げると、化け物――ユフェ様が突然人間の言葉で『これは瘴気が見せている幻覚だから』と言っていましたわ」
するとカヴァスがフレイアに補足した。
「実は、ユフェ様は常若の国から来た妖精猫で、人間の言葉を話すことができるんだよ」
事実を知ってフレイアは口元に手を当てて目を丸くした。
「まあっ! それなら合点がいきますわね。でもわたくしったら気が動転してユフェ様を攻撃してしまったんです。そこからは記憶も曖昧でよく覚えていませんわね」
今まで瘴気が発生した場所はネメトン周辺の森だったのにどうして宮殿で発生してしまったのか考えもつかない。次はまたどこで瘴気が発生するか国内を注視していたが、宮殿にまで意識を向けてはいなかった。
懐を急襲された悔しさからイザークは表情を歪める。
すると、キーリが小脇に抱えていた羊皮紙をベッド脇のテーブルの上に広げた。それはアルボス帝国全土の地図で、北西部のネメトン手前には瘴気が発生した場所を示す赤い印がいくつも付けられていた。
「ご報告が一つあります。今回の瘴気の発生源ですが原因は水にあるようです」
「水?」
イザークとカヴァスが怪訝な表情でキーリを見つめると、彼は赤い印の上に人差し指をトンと置いて滑るように動かし始める。
「瘴気が発生した数百メートル以内にため池があります。この時季、ため池の水は灌漑に用いられるので水嵩が減ります。減った分は河から新たに導水して貯水します」
確かにネメトンと集落の間には森があり、いくつかため池が存在する。しかし灌漑用のため池と瘴気がどう関係すのか考えても疑問が深まるばかりだ。
キーリは魔力酔い止めの薬を思い出すように言ってさらに説明を続ける。
「あの薬は水と一緒に飲むことで成分が溶け出し、効果が現れます。清浄核には体内の魔力を調整する作用がありますが、魔瘴核は邪気を含む魔力なので身体が受け付けず、中和させるために服用者の魔力を消費させて魔法が使えなくなります。要するに、魔瘴核は水性なんです」
そこまで話を聞いて、イザークは漸くキーリが言わんとすることが分かった。
「つまり、ため池に魔瘴核の欠片が入っていてその水が蒸発して瘴気になった」
そういうことなのか? と視線で訴えるとキーリは頷いた。
この時季のため池の水は灌漑に使用されることから、瘴気を含んだ水は水路から流れ出てしまう。新たに貯水用の水が流れて来ることで、ため池内の瘴気の濃度が薄まる。
「神官が血眼になって瘴気の元を探しても見つからない訳だね。小賢しい真似をするねえ」
カヴァスは感心すると、キーリは「本当に」と言って憤懣やるかたない口調になる。
「調査団に調べさせたところ、案の定ため池の中から魔瘴核の欠片が出てきました。ご丁寧に精霊の加護である組紐文様で魔瘴核を編み込んでいたこともあり、神官が察知しにくい状態でした。恐らく中庭も同じような魔瘴核の欠片があると思います。最も怪しい井戸を調べさせていますのでじきに僕のところに連絡が入ります」
そこで納得できないといった様子でカヴァスが側頭部に手を当てて口を開く。
「どうしてこれまで行き詰まっていたのに、こうもあっさりと分かってしまったんだい?」
「それは、魔力酔い止めの薬と調査団やヨハル様の話がヒントになりました」
すると、丁度麻袋を手にした文官が扉を叩いてやって来ると、キーリにしか聞こえない声でひそひそと話し込む。
「ど、どういうことですか!?」
キーリは声を荒げ、麻袋を受け取って中身を確認する。尋ねられた文官は驚いて身体を揺らしたが、やがて分からないと首を横に振った。
報告を終えた文官はまだ残りの仕事があるようで医務室から出て行ってしまう。
「どうしたんだ?」
扉が閉じられたと同時にイザークが動揺しているキーリに声を掛ける。すると、彼は困惑した様子で顔を上げた。
「それが、井戸の底から見つかった魔瘴核の欠片はため池にあったものと一致しているんです。しているんですが……清浄核に変わっているんです!!」
袋からキーリが取り出した物はため池で見つかったものと同じように組紐文様が編み込まれた卵ほどの大きさのある清浄核だ。魔瘴核を浄化できるのは、この国の聖女のみとされている。
そこでイザークは思案顔になる。
(ロッテの時も魔瘴核が含まれた魔力酔い止めの薬が清浄核に変わっていた。またユフェがやったのか? いい加減、浄化ができることは教えてくれてもいいはずなのに隠そうとする理由はなんだ?)
一同が黙り込んで清浄核を見つめていると、フレイアが「あのう」と言って小さく手を上げた。
「実は、倒れる直前にずっと悍ましい声が頭の中で響いておりましたの。それもおかしな話ではあるのですけれど。声はわたくしに『聖女を殺せ、早く殺せ』と命令していました。ユフェ様が聖女様であるわけないですし、幻覚なのだとしても変ですわよね」
その言葉に衝撃を受けたイザークは突然リアンの言葉を思い出す。
「……すぐにユフェのところに行こう。それからキーリ、至急中央教会へ連絡して神官を呼んでくれ」
「仰せのままに」
キーリが胸に手を当てて返事をしていると、廊下から慌ただしい足音と、時折悲鳴が聞こえてくる。何か新たに情報が分かったのかもしれない。そう思ってキーリが扉を開けると、そこには息を切らしたロッテと足下には十数匹の野ネズミやリスがいる。
「どうしたんですか?」
「お取り込み中であることは重々承知しています。でも一大事で! ユフェ様が、ユフェ様が怪しげな神官に攫われてしまったんです!!」
驚いた拍子にキーリの手から清浄核が滑り落ちる。
カランと音を立てて転がるそれは鈍く光っていた。
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