第33話
シンシアはフレイアの身を案じた。
(一体あの瘴気はどこから発生したの?)
皇帝が住まう宮殿に魔物が発生することはあり得ない。可能性として高いのは魔瘴核だろう。
(ロッテの時の魔瘴核とは別に存在するなら、これは意図的に誰かが魔瘴核を宮殿内に持ち込んでいることになる。それなら一刻も早く対処しないと)
シンシアはソファから飛び降りると丁度、入れ替わりでスープを運んできたロッテが扉を開けて入ってきた。
「きゃっ!! え、待って。どこに行くの!?」
スープを運んできたロッテに脇目も振らず、シンシアは医務室へ一心不乱にひた走る。
全力で走っていると足がもつれて派手に転んだ。起き上がって頭を振ると体勢を整えていると、再び中庭から微かに瘴気の気配を感じた。
(早く元を見つけ出さないとまた被害が出てしまう)
焦りながらもシンシアは瘴気に意識を集中させ、出所を探る。地表の下から一定速度で中庭全体を蛇のように這っている。
深いところから湧き出るようにその気配は一気に上昇する。目に留まったのは、水路の真ん中に建つ噴水だった。吹きだした水は直線の水路を流れて池へと向かう。
それを見たシンシアはハッと息を呑んだ。
(瘴気を含んだ水が地下水路を通って噴水から噴き出していたんだ!! 噴水の水は水路を通って池に留まり続けるから、微量だとしても蓄積すれば蒸発して瘴気になる)
ここまで分かればあとは簡単だ。水の流れと逆の方向へ向かえば良い。逸る気持ちを抑えて、シンシアは水路を辿っていく。
地下水路は中庭の小道の下に設けられている。張り巡らされた水路はある一箇所に集まって一本となり、中庭の端へと続いていた。
景観が損なわれないよう高い生け垣が壁のようにそびえていて、それを越えると石造りの井戸があった。そして手前には祭服に身を包む青年が立っている。
『ルーカス!?』
名前を呼ばれたルーカスは振り返ると、目を見開いてシンシアを見つめてくる。
「シンシアが何故ここに?」
それはこちらの台詞だ。
どうしてルーカスがこんなところにいるのか不思議で仕方がない。が、このところヨハルがイザークに呼び出されていることを思い出す。
恐らく護衛で宮殿に来ていて、ルーカスもまた瘴気を感じてここまで辿り着いたのかもしれない。
『ルーカスが宮殿にいるってことはヨハル様も一緒なのよね? ヨハル様はどこにいるの?』
するとルーカスは目を閉じて首を横に振った。
「残念ですが、私は兄上に用事を頼まれて来ただけなのでヨハル様はいません」
『なら、ルーカスにお願いがあるの。あなたも瘴気を感じたからここにいるんだろうけど、井戸の中に魔瘴核があるの。でも魔瘴核は教会が厳重に管理しているから紛失するなんてあり得ない。誰かが持ち出したみたいだから、犯人を調べて欲しい』
言うが早いか、シンシアは井戸の縁に飛び乗って水面を覗き込む。中は真っ暗だが、幸いなことに水嵩が浅く澄んでいるお陰で魔瘴核がどこにあるのか一目で分かった。ニワトリの卵くらいの魔瘴核の欠片がひっそり瘴気を水中に吐き出している。
「シンシア!」
ルーカスはシンシアが井戸の縁に立つのを見て慌てるとこちらに手を伸ばして走ってくる。いつものうっかりで井戸に落ちるかもしれないと心配されているのかもしれない。
シンシアは走ってくるルーカスを気にも留めずにティルナ語を詠唱して浄化にあたった。すぐに組紐文様の魔法陣が現れて赤色の魔瘴核が青色の清浄核へと清められていく。
浄化が無事に終わってシンシアが安堵する一方で、井戸に辿り着いたルーカスは井戸の中を覗き込む。やがて唇を噛みしめるときつく握り締めた拳を井戸の縁に打ちつけた。
いつも冷静沈着なルーカスが珍しく怒りで身を震わせている。元々正義感が強い青年なのでこういった小賢しい行為が許せないのかもしれない。
「ルーカスが怒るのも無理ないけど、今は調べるのが先よ」
井戸の縁から地面に降りると、シンシアは怒りを静めるよう諭す。と、ルーカスは俯いたまま、ぼそぼそと何かを呟いた。
「……んて……か」
「え?」
何を言ったのかはっきりと聞き取れない。
シンシアがもう一度言うようにお願いすると、今度は顔を上げてはっきりと言った。
「なんてことしてくれたんだよ。君のせいで計画が水の泡じゃないか!!」
いつも物腰の柔らかい彼の態度が一変した。
シンシアの知っているルーカスはいつも優しく頼りになって、落ち込んでいると元気づけてくれる兄のような存在の人だ。
「ル……カス?」
不穏な空気を感じて自然と距離を取る。が、俊敏な動きで間合いを詰めるルーカス相手ではいくら人間の時より足が速くなったシンシアとて分が悪い。
瞬く間に首根っこを掴まれて持ち上げられてしまった。
こちらを睨めつけるルーカスは忌々しそうに口元をへの字に曲げた。
「シンシアはいつも俺の行く手を阻んでくれるね」
「な、何よそれ。今まで一度だって邪魔したことないわ」
「……そっか。俺の大事なもの、奪っておいて気づきもしないんだ? 流石はお偉い『アルボス帝国に舞い降りた精霊姫』の聖女様だ」
訳が分からず混乱していると、ルーカスはにっこりと微笑んだ。
続いて、これまで見たことのない剣幕の形相が近づいてくる。
「君にはこれまでの十四年間、苦しめられたお礼をたっぷりさせてもらうよ。――俺にとって最っ高な形でね」
口端を吊り上げて笑うと、ルーカスは懐から小瓶を取り出して片手で器用に蓋を開ける。
「な、何をするつもり……うっ」
無理矢理口に瓶をねじ込まれて中身を流し込まれる。
(こ、これって眠り薬っ……)
匂いと味で判断できたところでもう遅い。げほげほと咽せるシンシアは急激な眠りに襲われてそのまま抗う間もなく眠り込んでしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます