第26話
◇
人払いをしてヨハルとの話し合いを終えたイザークは、一人だけ謁見室に残っていた。
聖職者専用の謁見室は教会さながらの美しいステンドグラスのランセット窓や、精霊女王の絵画が飾られている。
腕を組んでじっと眺めていると、外に控えていたキーリとカヴァスが中に入ってきた。
「お疲れ様。瘴気発生事件の調査で進展はあったかい?」
ヨハルとの会合内容を二人には事前に話してあったので早速カヴァスが尋ねてきた。
イザークは微妙な表情を浮かべた。
「ヨハル殿によると謎の瘴気はネメトンと集落に近い森の間で頻発していることが分かったくらいだな。運良く発生した瘴気を辿れた神官がいたんだ。だが、あと一歩のところで消えてしまったそうだ」
「ネメトンと森の間ですか……」
キーリは何か引っかかる点があるのかじっと考え込んで反芻する。
「何か気になることがあるのか?」
「いえ、なんでもありません。続けてください」
キーリがはぐらかす時は大抵確証が持てない時だ。追及したところで口を噤むだけなのでイザークは話を続けた。
「薬棚の
「それだと薬棚にあった魔瘴核との辻褄が合いませんね。本当にそう仰ったのですか?」
次の話題もしっかりと聞いていたキーリは訝しがった。
「ああ。魔瘴核が紛失したという報告はヨハル殿が大神官になってからは一度もない。……それがあったのはヨハル殿が大神官になる前の話だからな」
キーリとカヴァスの二人が揃って疑問符を浮かべている。
イザークは先ほどヨハルから聞いた話を二人にも話した。
それは二十年前まで遡る。中央教会では蝋燭の不始末による火災が発生した。集会室や大神官の書斎が燃えてしまっただけでなく、地下にある禁書館や保管室の一部までもが被害に遭った。
火は数時間後に消し止められ、神官たちが手分けして禁書館の書物と保管庫の聖物を聖堂内に運んで被害を確認することになった。神官が聖物の数を数えていると魔瘴核が一つ消えていた。
その原因が火事による消失なのか、それとも誰かによる窃盗なのかは分からない。
神官は当時の大神官に報告し調査を依頼した。しかし、責任の所在を恐れた大神官は取り合ってくれなかった。さらにその神官は真実を語る前に王都のハルストンから遠い田舎の教会へ異動させられた。
「なんでそれが分かったかというと、過去の帳簿の隙間にメモが挟まっていたらしい」
当時のヨハルは神官の
メモを残してくれた神官は高齢者だったので尋ねようにも、今は棺の中で永遠の眠りについてしまっている。
話を聞いていたカヴァスが「なるほどねえ」と顎を撫でた。
「私が思うに、当時のことは当時そこにいた人に訊いてみるのが一番だ」
「そうなんだが、ヨハル殿が聞いて回ったらしいが詳しいことを知る人間はいなかった」
「込み入った話というのは情理を尽くさないと」
カヴァスが後ろに視線を送るのでつられてイザークが振り向く。
室内はキーリとカヴァスの二人だけだと思っていたのに、気づけば見目麗しい修道女が椅子に腰掛けていた。
気高さと品のある雰囲気からただの修道女ではないとイザークは察した。
早速カヴァスが修道女を連れてきて紹介する。
「こちらは歴代聖女の世話人であり、薬師でもあるリアンだ」
リアンは完璧な作法でイザークに一礼する。
「お初にお目にかかります。リアンでございます」
リアンはおもむろに頭巾の紐を解く。頭からするりと頭巾が滑り落ちると、まとめられた金色の髪と――尖った耳が露わになった。
それを目にしたイザークはふと、ある噂を思い出した。
『フォーレ公爵家は精霊と人間の間に生まれた子を密かに保護している』
精霊と人間の間に生まれた子は薬草の知識に長け、生まれてすぐに息を吸うように植物を操ることができたと聞いたことがある。
フォーレ公爵家がランドゴル伯爵家と違って力を維持できているのはその子のお陰だ。
きっとそれがリアンなのだろう。シンシア以上に人間離れした美貌は神々しい。一国の女王といっても差し支えないほどの貫禄もあった。
リアンは静かに口を開いた。
「私は本来皇族との接触などあってはならない身であり、存在を世間に知られてはいけません。それは教会内も同じ。二十年に一度、教会の皆の記憶は忘却薬を使って書き換えています」
伏し目がちに事情を話すリアンは自分が掟を破っていることに後ろめたさを感じているのか、どこか気まずそうだ。
イザークは安心させるように厳めしい顔つきを和らげた。
「心配するな。精霊女王の名のもと、ここにいる者全員あなたの秘密は守る。なんならその忘却薬を俺たちに飲ませても構わない」
「えっ?」
思いも寄らない提案にリアンは驚いて拍子抜けする。
イザークがまだ不安なのかと尋ねると、彼女は慌てて大丈夫だと答えた。
「シンシアから聞いていた話と随分印象が違います……あの子の思い込みかしら?」
俯いて誰にも聞こえない声でリアンはぽそぽそと呟いてから、改めて三人を見つめる。
やがて、決心がついたように口を開いた。
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