第4章 微かな希望と絶望と

第21話

 


 ◇


 夜も更けて辺りが静寂に包まれる頃、窓から覗く空は雲一つなく、月が皓々と輝いていた。



 ユフェの部屋兼仕事部屋でイザークは机の上で肘をつき、手を組んで深刻な表情をしていた。

 肘の間にはキーリから受け取った報告書が置かれていて内容は魔力酔い止めの薬についてと薬師の薬棚で見つけた例の小瓶の中身――魔瘴核ましょうかくの欠片についてだった。


 魔力酔い止めの薬は空気中の魔力濃度と体内の魔力濃度の差を中和させて酔いを抑える作用があり、材料には薬草と魔物の核を浄化した清浄核せいじょうかく粉末が用いられる。


 服用する人間に多いのは王都から離れた辺境地へ赴任する騎士団や調査団だ。彼らは任務で魔法が使えなくなるといった事態に陥らないよう、日頃から備えていた。


 当然ながら先日の討伐部隊も魔力酔い止めの薬を服用して魔物討伐に臨んでいた。それにも拘らず、戦闘中に全員の魔法が使えなくなってしまった。

 話を聞いた当時は魔法を使えなくする新種の魔物を疑った。しかし、今回のロッテの件とイザーク自らが見つけた小瓶が決定打となり、魔力酔い止めの薬に問題があったことを疑わざるを得なくなってしまった。



 キーリの報告書によれば、魔物の討伐部隊がネメトンへ派遣される数日前に魔力酔い止めの薬が切れていた。

 薬師の管理簿から新たに薬が補充されたことも確認が取れたので薬を回収して調べると、すべてに魔瘴核が含まれていた。


 宮殿の薬師は中級以上の魔力を持っている。小瓶を開けなければ瘴気に気づかないにせよ、使用する際にそれが魔瘴核だと気づくはずだ。いみじくもこの薬は討伐部隊を陥れるために作られたことになる。


 そもそも魔瘴核は帝国騎士団の手で中央教会に運ばれ、聖女によって清浄核へと清められ厳重に管理される。

 管理されている場所は神官クラス以上かつ、ヨハルの許可がなければ立ち入ることはできない。つまりそれは教会内に内通者がいることを示している。

 現状についてどうヨハルに報告すべきか逡巡していると扉を叩く音が聞こえ、カヴァスが中に入ってきた。



「イザーク陛下に拝謁いたします」

 跪こうとする彼を手で制し、本題に入るよう促した。


 形式的な敬礼をやめたカヴァスは肩を竦めてみせるとフランクな態度を取る。

「待たせて悪かったね。シンシア殿だけど、私の情報網や追跡能力を駆使しても見つけることはできなかったよ」

 その答えを聞いてイザークはあからさまに落胆した。



 カヴァスは英雄四人のうちの魔法使いであるフォーレ公爵家の人間だ。ランドゴル伯爵家と違い、精霊女王から与えられた力は脈々と受け継がれている。


「フォーレ家の力、記憶視でもどうすることもできなかったのか」

「記憶視は精霊樹があって初めて使えるんだ。世話をする精霊が常若の国へ渡ってしまって数も減っているから、それだけ使える範囲も狭まってくるよ。しかもネメトン付近に精霊樹なんて自然災害で一本も残っていない」



 フォーレ公爵が精霊女王に与えられた力は植物を操る力。

 中でも精霊樹の記憶を視る能力は、精霊樹周辺で起きた出来事を知ることができる。

 イザークは肘掛けに手を置くと、前のめりになっていた身体を椅子の背に沈めた。


「まあまあ。そんなあからさまに落ち込まないで。私だって意地悪がしたくて言っているんじゃないからね。まあでもちょっとした収穫はあったから渡しておくよ」


 後ろ手にしていた手を前に持ってくる。その手の中にあるのは綺麗に畳まれた、けれど泥まみれで穴の空いた布きれと、ひび割れた瓶底眼鏡だ。


「討伐部隊の人間に確認したらシンシア殿が身につけていたものだと言っていたよ」

「どこでこれを見つけた?」


 受け取って布を広げると修道女が頭にかぶる頭巾だった。眼鏡はテンプル部分が湾曲し、ガラスは割れて一部が抜け落ちてしまっている。凄惨な状態の手がかりにイザークは哀感を覚えた。

 カヴァスは腕を組んで顎に当てると口を開いた。


「不思議なことに、二つとも木の樹冠にあったんだ。討伐部隊が地上を血眼になって探しても見つからないわけさ」


 樹冠にあったということは魔物から逃れようとして必死に上へよじ登ったのだろうか。考えたくはないが魔物の攻撃を受けて吹き飛ばされた可能性だってある。


(手がかりがボロボロってことは怪我を負って動けなくなっているんじゃないか?)

 手の中にある頭巾と瓶底眼鏡をしげしげと見つめる。


 燻る不安を抑えながら、イザークは純真無垢な笑顔を向ける少女との出会いを思い出していた。







 それは新緑が芽吹き、爽やかな空気に包まれた初夏。庭園では縁取られた緑のツゲの中に、ゼラニウムやデルフィニウム、ダリアなどの色鮮やかな花が植えられている。

 芝生の上には数多くのテーブルが置かれ、清潔なクロスが敷かれた上には日頃から腕を磨く料理人たちの豪華な料理が並んでいた。


 その日、宮殿では先帝の誕生日のお茶会が開かれていた。爵位のある貴族や大富豪、そして諸外国からも要人が訪れていた。



 十五歳になり、オルウェイン侯爵の庇護から離れて宮殿に戻ったばかりのイザークは、皇子として茶会に出席する予定だった。ところが部屋を出る直前に飲んだお茶には毒が盛られていた。兄弟あるいは妃の差し金であることは容易に想像がつく。


(ここ数日の食事はすべて警戒していたのに……油断した)

 宮殿に戻るまで、侯爵お抱えの薬師から毒の知識と解毒についての指南を受けていた。ある程度毒の耐性をつけているので死ぬことはない。が、これから始まる茶会が試練になることは間違いないだろう。


 嗤笑ししょうする兄弟が頭を過った途端、イザークは素直に舌打ちした。絶対に彼らには今の無様な姿を見せたくない。

 目眩と吐き気に襲われて意識朦朧とする中、壁に手をついて歩く。額に珠のような汗を滲ませながら進んでいると、前方に見たことない少女が立っていた。



 身に纏っているのは貴族や大富豪の子供が着るようなフリルやレースのついたドレスではなかった。清潔感はあれど装飾の類いはほとんどなく、白いリネンのドレスは明らかに場違いだ。

 さらさらとした金色の髪を揺らしながら、大きな若草色の瞳で不安そうに辺りを見回している。その顔立ちは生まれてこの方見たこともないほど容姿端麗で、本に描かれていた妖精のようだった。


(毒が回って幻覚でも見ているのか?)

 焦点の合わない瞳で観察していると、視線に気づいた彼女がこちらを向いた。人がいたことに安心したのか少女は「あっ!」と弾んだ声を上げた。

 しかし、すぐに心配でたまらない様子でこちらに近寄ってくる。


 イザークは反射的に後ろへと数歩下がったが激しい目眩に襲われてその場に蹲ってしまう。荒い息を繰り返し、床に視線を落としていると、可愛らしい足先が映り込む。


 すると、流れるように少女がイザークの手首を掴んでティルナ語で精霊魔法を詠唱し始めた。歌をうたうかのように抑揚のある声は力強く耳心地が良い。自ずと目を閉じて聞き入っていると、重たかったはずの身体が次第に軽くなり、体調が良くなったことに気がついた。


(この歳でティルナ語を習得し、精霊魔法が使えるのか?)

 イザークはまだティルナ語を習得できていなかった。一年近く勉強しているが、発音は難しく毎回舌がもつれてうまくいかない。

 自分よりも年下の子が流暢にティルナ語で精霊魔法を使いこなせることに驚いて顔を上げると、ひんやりとした手が額に触れた。


「顔色が随分良くなったわ。熱はない?」

 穏やかな笑みを向ける少女は確認するようにイザークの頬や額に何度も触れてくる。

「な、何をするんだ!」


 予測できない行動に戸惑い、どう対処して良いのか分からない。とにかく無遠慮に触れてくる手を勢いで払いのけると、少女は目をぱちぱちとさせてから「ああ」と言うと何か納得した様子だった。それからスカートを摘まんでまだまだ板についていない礼をする。


「勝手に触れて申し訳ありません。今まで街の人たちと接してきていたから上流階級の礼儀作法は勉強中なんです。えっと、体調は平気ですか? もう苦しいところはないですか?」

「っ……」


 イザークは体調を尋ねられて瞠目した。

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