第19話
イザークは本当に処罰する気がないのだろうか。噂の『雷帝』がこんなにも温厚なわけがない。
シンシアが内心戸惑っているとイザークがフッと目元を和らげる。
「侍女長からの報告を受けて職務放棄をしていたことは最初から知っている。何か理由があったんだろう? その背景を俺にきちんと教えてくれないか?」
尋ねられたロッテは悩んでいる様子だ。何度も口を開いては閉じを繰り返すと、やがて覚悟が決まったのか本当のことを話した。
「……実は動物と意思疎通ができなくなっていたんです。部屋で泣いているとユフェ様がわざわざ木に登って様子を見に来てくれました」
ロッテは一旦言葉を切ると俯いて右手で自身の左手首をきつく握り締める。
「辺境地であるランドゴル領は王都のハルストンよりも魔力濃度が薄いです。私は生まれも育ちもランドゴルで、他の環境には不慣れです。魔力濃度の差に身体が慣れず魔力酔いを起こしていました」
魔力酔いとは空気中に含まれる魔力と体内の魔力濃度の差によって起きる一種の病気のことだ。時間が経って身体が環境に慣れれば魔法が使えるようになるが、それまではうまく使うことができない。乗り物酔いのように体調や体質によって酔う酔わないがあり、ロッテは体質的に酔いやすい方だった。
「前にも一度魔力酔いを起こしたことがあったので、あらかじめ薬を持参していました。でも、それでは足りなかったので宮殿の薬師に頼んで薬を頂きました」
「薬? 魔力酔い止めの薬か?」
イザークは聞き返すとロッテは大きく頷く。
「はい。……でも薬は効かなくて。動物たちの言葉が分からなくなっていったので原因は魔力酔いではなく、魔力を失ったのかもしれないと思うようになりました。だから侍女長にユフェ様のお世話を辞めたいと申し出たんです」
ロッテは目を伏せると握っていた自身の手首をさらに強く握りしめる。イザークは魔力酔い止めの薬と聞いて思案顔になった。
「……事情は分かった。だが今は力を使えている。ずっと服用を続けていたはずなのにどうしてだ?」
「力が戻る直前の記憶が曖昧で……。ユフェ様は知っているんじゃないでしょうか?」
不意に話を振られてシンシアは冷や汗をかく。
浄化の力を持っているのは聖女だけだ。妖精猫という存在が精霊魔法を使えるにしてもどこまでの魔法が適用されるか分からないため下手なことは口にできない。
三人の視線が一気にシンシアへ集中する。
『私はただ倒れていたロッテに声を掛けただけですよ』
きょとんとした表情でシンシアは嘯いた。
イザークは素直に「そうか」と答えると再びロッテに視線を向ける。
「ロッテ、今日はまだ体調が優れないだろう。宿舎で休み明日からまたユフェの世話に励むと良い」
その言葉にロッテは目を見張った。
「えっ? でも、あの。私がまたお世話をしてもよろしいのですか?」
瞠目するロッテに対してイザークが微苦笑を浮かべながら口を開く。
「もともと侍女長からロッテの配置換えしてもいいかと尋ねられていたが、それを断ったのは俺だ」
「どうしてですか?」
浮かない顔をしたロッテはすぐに口を開いた。
「僭越ながら陛下、私はユフェ様にお仕えする資格はありません。今からでも配置換えをさせてください」
『えっ。どうして!?』
話が丸く収まったと思った矢先、思いもよらない申し出にシンシアは声を上げた。
ロッテは申し訳なさそうに微笑む。
「正直に力が使えなくなったことを陛下に申し上げるべきなのに、私はランドゴル伯爵の耳に届くのを恐れて画策していました。特にユフェ様には辛く当たってしまって。……これは私ができるせめてもの罪滅ぼしです」
『辛くなんてなかったわ。ロッテの方がずっと苦しかったと思うから。私はあなたのことを怒っていないし、これからも側にいて欲しい』
しかしロッテは首を横に振った。
「いいえ。ランドゴルの力がなくなったと分かれば私は追い出される。父に幻滅される。あの時はそればかりが頭を支配していて、我が身可愛さで動いたんです。そんな私が側でお仕えする資格なんてありません」
話を聞いていたイザークは小さく息を吐くと肩を竦めた。
「何か勘違いをしているようだが。伯爵は娘を路頭に放り出すような冷血漢じゃない」
「私は庶子です。ランドゴルの力が宿って初めて父と顔を合わせました。『お父様』と呼ばせて頂きました。父にとって私は力がなければ取るに足らない存在なんです」
自分の暗い身の上を打ち明けるロッテに、イザークは一通の手紙を差し出した。
読むように促すと手紙を受け取ったロッテは、封筒を開けて中の便せんを読み始める。
次に口元に手を当てて声を呑み、全てを読み終えると顔を上げてイザークを見つめた。
「伯爵はロッテがここに来る前に何通も俺宛に手紙を送って頼んできた。初めての奉公で至らない面もあるかもしれないとか、魔力酔いが起きて役に立たないこともあるかもしれないがその時は大目に見て欲しいとか。侍女長にまで根回しをしていたらしい。きっと愛情表現が下手なだけだ。伯爵と向き合うためにも手紙を出すと良い。いろいろ解消されるはずだ」
イザークは厳めしい表情を緩めると穏やかな声色で言った。
「ユフェがロッテを気に入っているからクビにするつもりはない。引き続き世話係をやってくれるか?」
「……はい」
ロッテは目尻に溜まった涙を払うと、これまでとは違う晴れ晴れとした笑顔で返事をした。
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