第14話
「良いわよねえ、まだ一ヶ月と経っていないのに半年以上いるあたしたちよりも早くに出世するんだもん。ここに来てすぐに皇帝陛下付きの侍女になって、次に陛下が溺愛する猫の世話係。同じ伯爵家出身の私と違って優遇されて羨ましい」
「侍女長も侍女長ね。どうして特別扱いするわけ? 宿舎で一番広い角部屋を新人に与えるなんてずるい。本来あそこは成績の良い侍女にしか与えられない部屋よ。もうすぐ私の部屋になるはずだったのに!!」
侍女たちはロッテが受ける待遇や早い出世が許せないらしい。
後からやってきた新参者が自分以上の能力を発揮させると、ある特定の人間はそれが羨望から嫉妬へと変わる。
(きっとロッテだって、慣れないながらに努力して頑張ってきたと思うわ。……現状世話の放棄はされてるし口も利いてもらえないけど)
嫌われている相手ではあるが、やはり虐めの現場を目の当たりにして良い心地はしない。
気持ちが沈んでいると三人のうちの一人が手にしていた水差しをロッテの頭上に持ってくると、それを傾けた。
注がれた水は黒々とした汚水だった。
「動物と話ができるって? だからあなたは獣臭いのね。私は親切だから洗濯水を持ってきてあげたわ。雑巾を洗った水だけど洗剤はちゃーんと入ってるし、少しは臭いが消えるでしょう?」
「……」
ロッテは無言でその行為を受け止めていた。艶やかなポニーテールの栗色の髪は汚れ、お仕着せも濡れて清潔な白いエプロンが灰色に染まっていく。
「あなたって芋臭い・獣臭い・鈍臭いの三拍子が揃ってるのね。先輩がわざわざあなたのために洗濯水を持ってきてくれたのよ? 早くお礼を言いなさい」
無様な格好に満足してせせら笑う侍女たち。
頭のてっぺんからずぶ濡れになったロッテは尚もだんまりを決め込んだ。
その態度が気に食わないのか水差しを持っていた侍女がポニーテールを無遠慮に掴んで引っ張り上げる。
「そういう澄ました態度が気に入らないのよっ! 侍女長のお気に入りだからって調子に乗らないで? 伯爵家の中でも下位のくせに、私たちのこと甘く見ないでちょうだい。あなたが仕えているユフェ様を虐めてもいいのよ? こっちは地味な仕事を受け持つ掃除係。雷帝の猫と関わりなんてないから、疑われるのはあなたになるわ!」
髪を引っ張り上げた侍女は口角を吊り上げ、勝ち誇ったようにロッテの耳元で囁く。
ロッテは痛みで顔を歪ませるが、淡々とした声で答えた。
「……それは違うわ。私はランドゴル家の人間だから、動物を虐めるなんてことは前提としてあり得ない。もしユフェ様に何かあれば私以外の使用人全員が嫌疑をかけられるわよ」
ロッテは彼女たちが愚行にでないように諭しているようだった。けれど、皮肉めいた笑みが挑発しているようにも見える。
「なんて小賢しいのかしら!!」
髪を掴んでいた侍女は顔を真っ赤にさせ、手を振り上げた。
『三人が一人にたかるなんて恥ずかしくないの? いい加減にしなよ!!』
我慢の限界に達したシンシアは茂みから飛び出すとロッテと侍女の間に割って入った。
「シャーッ!!」と牙を剥き出しにして三人を睨めつける。これ以上ロッテが危害を加えられないように威嚇した。
(陰湿な侍女たちに私を傷つける度胸なんてない。そんなことしたら家名にも傷がつくだろうし、私の飼い主はあの雷帝イザーク様だから恐ろしくて喧嘩なんて売れないはず)
シンシアの思惑通り、侍女たちは怖じけづいて後退る。威嚇してさらに詰め寄ると、顔面蒼白になって蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
三人がいなくなったのを見届けた後、ロッテの方へと身体を向ける。
『ロッテ、大丈夫? 虐められてること、侍女長に報告した方が良いよ』
「……」
ロッテは濡れた顔を手で拭い、立ち上がるとお仕着せの表面に付いた水気を払う。
助けたのにまさかのだんまりを決め込まれて流石のシンシアも腹に据えかねた。
何か言ったらどうなの、と尋ねようとするとチチッと短く鳴きながら小鳥が空から降りてきた。
それはいつもロッテの頭に乗っている小鳥で、心配しているのか何度も地面を跳ねて鳴いている。
ロッテは頬に張りついた髪を耳に掛けると暗い表情でこちらを見てきた。
「心配してくれてありがとう。だけど、もう私には構わないで」
『どうして? 独りで抱え込むなんて駄目よ。今は大丈夫でもいつか心が死んでしまうわ。それだと遅いのよ!?』
考えを改めるようにシンシアが促せば、ロッテは苦しげに表情を歪めて
「やめて、話しかけないで。私は……私はもうあなたたちの言葉がほとんど分からないの」
『えっ!?』
予期せぬ告白にシンシアは驚いて目を見開いた。
どうしてそんな状況になってしまったのだろうか。初めて挨拶した日、ロッテとはまだ会話ができていた。そんな急に話せなくなるものなのだろうか。
(もしかして、動物の世話をするのが嫌だって言っていたのは言葉が理解できなくなっていたから?)
だとすれば昨日のちぐはぐな通訳も合点がいく。
シンシアはなんと声をかければ良いのか考えあぐねた。
「……意思疎通のできない私に何の価値があるの?」
虚ろな瞳でぽつりと呟くロッテは頬を濡らしたまま、その場から走り去った。
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