第12話



 厨房でご飯をもらってお腹を満たした後、宮殿内を探索することにした。ご飯を食べている間に、新人侍女が先輩に宮殿の内部についてあれこれ質問していたのだ。


(お陰で地道に調べる手間が省けたわ)

 運良く宮殿内の情報を入手でき、早速把握するために歩いている。



 この宮殿の造りは回廊式。道なりに進めば元の場所へと帰って来られる造りのはずだが、広大なためにそれは叶わない。

 引き返すか中庭の十字路もしくは対角線上に設けられた小道を進んで目的の場所へと向かうしかない。


 中庭の小道の間には植栽がなされ、四季折々の花や木で溢れている。また中央には噴水をあしらった水路があり、宮殿内の地下水路と繋がっている。

 噴水の周りにはベンチが設置されているので憩いの場となっていた。


 宮殿の一番奥に位置する場所は皇帝の居住エリアがあり、さらに皇帝の部屋の前を通らなければ辿り着けない場所――後宮がある。



 イザークには婚約者もいなければ好いている令嬢もいないらしい。

 強いて言うなら寵愛を一心に受けているのは猫のユフェだ。主のいない後宮を覗いてみるが、やはりそこは閑散としていた。


 それでも女官と呼ばれる妃を世話する女性たちは、いつでも迎えられるように現在もそこで働いているようだった。


(イザーク様は確か二十一歳のはず。そろそろ妃を迎え入れる時期だよね。現状、向いているベクトルが猫なのがおかしいけど。というか、あの方が人間相手にデレデレすることなんてあるのかな?)



 試しにイザークが女性に心酔しているところを想像してみた。が、別の意味で末恐ろしい結果となって背筋が凍りついた。これは顔がそっくりなだけの別人だ。

「うえっ」と言いながら舌を出したシンシアは、頭を振ると気を取り直して宮殿内を探索する。


 廊下は室内同様に煌びやかな空間になっていた。

 壁には百合の花を抱える乙女や鮮やかな色糸をふんだんに使った動物文様のタペストリーが掛けられ、至る所に象牙や金属の象眼細工が装飾されている。間隔を開けて置かれている飾り箪笥の上にはカットグラスや陶磁器などの工芸品がある。



 庶民感覚のシンシアからすれば触れるのも憚られる品々ばかりで絶対に近寄らないでおこうと距離を取って歩いた。


 装飾は豪華で見飽きないが長い廊下を真っ直ぐ進み続けるのは思いのほか苦痛だ。時折、猫好きの使用人がシンシアを発見して寄ってきては構ってくるので進捗はまずまずといったところだ。


(もう少し順調に進めたかったな。というか、使用人の出入り口は一体どこにあるの!?)



 このまま進み続ければ、皇族礼拝室や中央教会の聖職者との謁見室がある典礼エリアだ。エリアが違ってくるのでどこかに使用人の出入り口があるはずだ。が、歩き続けて次第に疲れが溜まってきたので、一度歩みを止める。


『猫の足だと歩幅が小さいからやっぱり疲れるわね。これだと宮殿から脱出できても教会まで何日かかるかな』


 気が重くなって深い溜め息を吐いていると、背後から黒い影に覆われた。

 また猫好きの使用人に見つかったのだろうか。


 美味しいご飯をもらっているし、良くしてくれるので疲れていても無下にはできない。

 シンシアはくるりと後ろを振り返り、可愛らしく鳴いてみせた。



「こんなところで何をしているんだ?」



 目の前の人間は真っ黒の靴に同じく黒のズボン。光に当たれば艶やかに輝く金糸で刺繍された黒の上衣を着ている。


(何だか声も出で立ちもイザーク様そっくりね)


 シンシアはしげしげと黒い上衣を眺めた。さらに上へと視線を動かすと、そこには紫の瞳を炯々と光らせるイザークの頭が乗っていた。



 シンシアは吃驚してぴゃっと飛び上がった。


(イ、イザーク様っ!? 今はまだ仕事中のはずよ? なんでこんなところに!?)

 部屋に戻ってくる夕方まではまだ時間がある。こんな時間に廊下を彷徨いているなんて珍しい。


「もしかしてユフェ……寂しくて俺を迎えに来てくれたのか? 今日は仕事が速く終わったんだ」


 シンシアの前にしゃがみ込むイザークは嬉しそうに鋭い瞳を細める。スッと手が伸びてくると、指の腹で顔周りを撫でられる。

 最初は驚いてびくついたが、ゆっくりとマッサージするような優しい手つきに身体の力が抜けていく。

 さらに顎下を指先で撫でられ、あまりの心地良さにもっと触って欲しいと自ずと頬を彼の手に擦りつけてしまう。



(嗚呼、今なら撫でてくれと言わんばかりにお腹を出して寝っ転がる、近所の犬の気持ちが分かるかもしれない。私猫だけど――って、駄目よ! 何で自分を殺そうと躍起になってる相手に懐こうとしているの!!)


 慌てて手から逃れようと移動するが、否応なしに抱き上げられる。



「そろそろ部屋に帰ろうか。宮殿を探検するのもいいが、あまり人気が多いところは彷徨くな。悪い輩がおまえを攫うかもしれないし、毛並みが美しいからと毛皮にされるかもしれない。可愛いすぎて剥製にされるかもしれない」


 シンシアを抱き上げたイザークは深憂に堪えない様子で悪い想像ばかりを巡らせる。

(この人、ほんっとーに猫に対して異様な執着をみせるけど。……大丈夫かな?)



 シンシアの心配を余所にイザークは懊悩している様子だ。

 深い溜め息を吐くと、空いている手で前髪を掻き上げた。


「……となると、ユフェ専用の護衛騎士をつけるべきか」


 猫に護衛騎士という発想はあまりにも常軌を逸している。しかし発言した当の本人は至って真面目だった。


 シンシアがじとっと半眼になっていると透かさず「いや、それはやめておこう」と呟いた。正気に戻ったのだと思って、シンシアは安堵の息を漏らす。が、その考えは甘かった。



「護衛騎士の方が俺よりもユフェと過ごす時間が多いなんて我慢できるものか。絶対に許さない」

 イザークの思考についていけず、シンシアは開いた口が塞がらない。


(駄目だ、この人病気。愛猫重症患者だわ。今すぐ更生施設に放り込んだ方が良いわよ)


 独占欲を曝け出しブツブツと呟くイザークはシンシアが呆れ果ててげんなりしていることに気づかなかった。


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