第11話



 怪しんでいない様子にシンシアは内心小さく息を吐く。


 ロッテは手に提げていた美しい彫刻の木箱を開けた。中にはブラシと色とりどりの首飾り用のリボンが並んでいる。

 小鳥が木箱の縁に降り立つと、嘴を使って色の提案をしてくれる。


 彼女は小鳥が選んだエメラルドグリーン色のリボンを取り出した。

 次にブラシを手に取って、優しくシンシアの毛並みを整え始める。



「ユフェ様は聡明でとっても美しい猫ですね。私の実家はあの魔王を倒した魔法使いの末裔であるランドゴル家。でも魔王を倒したお祖父様の血はどんどん薄くなってしまったから、家の者は動物を操ることはできません。その力が使えるのはもう私くらいです」

『そうだったの。でもロッテと話せて良かったわ。ここじゃ誰とも話なんてできないだろうから……』



 ふと、シンシアは仕事をしているイザークを一瞥した。

 どうして彼がロッテを自分付きの侍女にしたのか合点がいく。


 宮殿内は猫アレルギーの彼のためにシンシア以外の猫はいない。イザークはユフェが寂しくないよう話し相手を作るため、ロッテを世話役にしてくれたようだ。


(おかげで意思疎通できる相手ができて良かった。でも、ランドゴル伯爵家なんて結構すごい家柄なのに……なんでロッテは侍女なんてやってるの?)



 ランドゴル伯爵家は国内の名門貴族の一つだ。

 教会育ちで貴族社会に疎いシンシアでさえもその名前は度々耳にしていた。


 それにベドウィル伯爵家出身のルーカスから名門貴族くらいは覚えておいた方がいいと言われた。最近教えてもらったばかりなのでその辺の事情も知っている。


 近年のランドゴル伯爵家は動物を手なずける力が失われつつあるにせよ、家柄自体は衰退しているどころか繁栄を極めている。今では上位貴族と肩を並べるくらい勢いに乗っているらしい。

 そこの令嬢とあらば縁談など引く手あまただろう。



(貴族の令嬢は社交界へ出る前に行儀見習いをするらしいけど、ロッテの年齢的に遅いんじゃないかな? 社交界デビュー前に行儀見習いをするなら確か十三歳とかそれくらいよね?)



 貴族の細かい風習がよく分からず首を傾げていると、書類を小脇に抱えたイザークがシンシアの元にやってきた。


「ユフェ、俺は今から会議に行ってくる。夕食までには戻ってくるからそれまで良い子にしててくれ」


 イザークはシンシアに話しかけると、優しく顎を撫でてくる。続いてロッテの方へ顔を向けるといつもの厳めしい顔つきになった。

 相変わらず恐ろしい目つきにシンシアは身が竦んでしまう。



 ロッテは緊張している様子ながらも、恐れる様子もなくその視線を受け止めていた。


「侍女長から仕事の内容は聞いているな?」

「はい陛下。身のまわりのお世話についてはお任せください」

「あとはユフェの遊びや話し相手になってくれ。宮殿での生活は寂しいかもしれないからな。……俺はロッテの、ランドゴル家の才を買っている」


 すると榛色の瞳が激しく揺れた。

 イザークに悟られないように俯くと唇を噛みしめる。


「……ユフェ様のお世話ができて私はとても光栄です。ご期待に応えられるよう誠心誠意尽くさせていただきます」

 ロッテは無理矢理笑顔を作る一方で、手に持っているブラシをきつく握り締める。

 その様子を見ていたシンシアはなんだかちぐはぐな態度に首を捻った。



「それでは陛下、行ってらっしゃいませ」


 ロッテは一度席を立ってイザークの見送りをした。廊下へ出てイザークの姿が見えなくなるまで深々と礼をした後、上体を起こしてこちらに戻ってくる。



 シンシアは引き続き毛並みを整えてもらえると思って待ち構えていた。ついでに浮かない顔をしていたことについても訊いてみようと思う。

 不安な点があるならお互い最初に解消しておいた方が良い。


 ところがロッテはソファに置いていたリボンを拾い上げると、手早く木製の小箱に閉まってしまう。


『えっと、ロッテ?』

 シンシアが目を白黒させているとロッテがあざ笑った。


「わざわざ煌びやかな宮殿まで来て動物の世話なんてごめんだわ。意思疎通ができるからって何で私が猫の世話をしないといけないのかしら?」


 ロッテの目に余る豹変ぶりにシンシアはぽかんと口を開けた。ずっと間抜け面をしていたからか、ロッテが苛立たしげに睨めつけてくる。



「皇帝の猫だからって調子に乗らないでくれる? 私は陛下の前では仕事はするけど、二人きりの時はあなたの世話なんてしないから!」


 ロッテはフンっと鼻を鳴らすと小箱を持って足早に部屋から出て行ってしまった。

 何が何だか分からず取り残されてしまったシンシアは暫くの間呆然と佇んでいた。






 ロッテは宣言した通りイザークの前では猫思いの良い侍女を演じていた。

 そして二人きりになればにべもなく世話を放棄される。仕事の評価は気にしているのか部屋の掃除など身の回りは清潔にしてくれるがそれだけだった。


 女って怖い! と、ロッテの二面性を見る度にシンシアは心の中で叫んだ。


(いやまあ、人間相手と猫相手とで態度が違う顔面凶器のイザーク様も大概よね。この宮殿の人たちは本当に落差がある。表裏がないと生き残れない規則でもあるのかな?)


 シンシアはもう何度目かの昼食抜きを経験しながら、窓辺の椅子に座って日向ぼっこをしていた。



 朝食と夕食は必ずイザークと一緒に食べる、というよりも食べさせられるので餓死する心配はない。

 昼食だけはロッテが用意することになっているが彼女は午前中に掃除を終わらせるといなくなってしまう。よって、シンシアは昼食を調達しに行かなくてはいけなかった。



 時計の針を確認したシンシアは椅子から降りると廊下へと駆け出した。


「まあっ、ユフェ様じゃない!」

 廊下を通りかかった数人の侍女がひょっこりと部屋から現れたシンシアに声を掛けてくる。

「ミャウ」


 侍女の足下まで歩き、挨拶をすればたちまち黄色い声が上がる。この侍女たちは掃除係で昼頃になると一仕事終えて廊下に現れる。そのタイミングを狙ってシンシアは彼女たちの前に現れることにしていた。


「もしかして今日もお腹が減っているの?」

「ミッ!!」

「ふふ、厨房へ行きましょう。私の友達があなたが来るのを首を長ーくして待っているわ」



 嬉しくて尻尾がピンと立つ。

 人間だった頃のプライドはないのか? と、訊かれそうだが貧民街で行き倒れていた経験上、プライドで飯が食えた例しがないし、そんなものより命の方が大事だ。


 侍女の一人に抱き上げられて厨房へと向かっていると、前方の人だかりが目に留まった。中心にはうら若い騎士が甘い笑顔で接している。

 焦げ茶色の髪に切れ長のアイスブルーの瞳をしていて、右の目元には色気漂うほくろがある。女心をくすぐる美貌に周りの侍女たちは溜め息を吐き、頬を紅潮させて秋波を送っていた。


 見覚えのある顔だったのでじっと観察していると、シンシアを抱いている侍女がどうしても虫が好かないといった様子で言葉を漏らした。


「あらカヴァス様だわ。相変わらず女の子に大人気ねえ」

 名前を聞いてシンシアは彼がイザークの側近騎士であることを思い出した。

 女性関係に耽溺しているように見えるが剣の腕は相当だとルーカスから聞いたことがある。


 シンシア一行は遠巻きにその集団を横切る。カヴァスは誰に対しても平等に甘い笑顔を向けていて時折、顔と手を侍女の耳元に寄せて囁く仕草をする。

 相手はたちまち顔を赤くしてのぼせ上がっていた。


(ああいう男っていろんな女の子に手を出しておきながら、二人きりになれば『君が一番だよ』なんて言うのよね。シンシャとして何度か恋愛の話を聞いたけど、みんな弄ばれた挙げ句、捨てられていたわ)


 幼い頃から教会で育ったシンシアは恋愛がよく分からない。が、カヴァスがいけ好かない野郎だということは容易に想像できる。


 これまで恋愛の悩み相談を女の子たちから聞いていたし、既婚者からはパートナーに選ぶなら誠実な男に限ると散々聞かされていた。


(皆に甘いんじゃなくて私にだけ特別、とか。そういうのが良いな)



 自分にだけ特別な一面を向けてくれる人。

 例えばいつも強がりなのに自分にだけ弱い部分を見せてくれる人。いつもは無愛想なのに二人きりの時は笑顔になってくれる人。


 ふと、脳裏に浮かんだのはいつもは極悪非道な顔つきなのにうっとりと優しい瞳で見つめるイザークだ。頭を撫でてくれる温かな彼の手を思い出し、堪らず胸がキュッと苦しくなったところで、シンシアは我に返った。



(……はいっ!? なんでここでイザーク様が出てくるの!?)

 おいおいちょっと待て。いや、今のは例えが悪かった。

(イザーク様が優しいのは猫限定で人間には適用されないから! だって向こうは聖女の私を殺したくて堪らない雷帝だもの!!)


 猫の生活を送ったせいで少しほだされているのではないかと自身を心配するシンシア。変に心を許してはいけないと、改めて気を引き締めることにした。


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