第6話



 頭を動かせば、鋭い紫の瞳と視線がぶつかった。

 イザークは眉間の間を揉みながら上半身を起こすと逃げようとするシンシアを引き寄せた。


「……おまえが俺を救ったのか?」

(はい、そうです。だから私がイザーク様の上に載ったことはどうかお見逃しください。というか、今ならきっと起きたばかりで寝ぼけているだろうし、誤魔化せるのでは?)


 淡い期待を抱いたシンシアは身体を拘束されているので声でしっかりと敬意を示した。

「イザーク皇帝陛下に謁見いたします」


 するとイザークがカッと目を見開いた。

 眉間に皺を寄せ、それはもう魔王に匹敵するくらいの恐ろしく厳めしい顔つきだ。

「なんだ? うななん、にゃにゃーんだと!?」


 想像以上に低い声で尋ねられたシンシアは心の中で悲鳴を上げる。

 イザークの不興を買ってしまったらしい。

 聖力は顕在だがそれ以外は呪われているので人の言葉を話せないようだ。



 つまり弁解の余地なし! からの人生ハードモード! そして処刑台へまっしぐら!


 せめて処刑されるなら人間の姿が良かったと、シンシアは泣き言を心の中で漏らす。

(猫のまま死んだら誰も私がシンシアだって気づいてくれないわ)



 無意識のうちに怯えていると、突然身体がふわりと浮いた。

 目線が高くなり、イザークの頭よりも空高くに掲げられている。驚いて下を見ると、シンシアは堪らず息を呑んだ。


 何故なら、目つきだけで人を殺せるくらい極悪非道な顔つきのイザークが、これまで見たこともない蕩けるような笑みを浮かべていたからだ。



「嗚呼、俺はどうして猫に触れるんだ!? はっ、まさか夢なのか? 俺は猫アレルギーで猫に触れたくても触れられないんだぞ!?」


 眉間に皺を寄せる彼は、気に入らないことがあればすぐにでも相手を処刑するような印象だったのに、今は鼻息荒く目を細めて興奮している。

 戴冠式での第一印象とあまりにかけ離れているため、シンシアは面食らった。


「はあ、猫に触れられる日が来るなんて。――幸せだ!」


 とにもかくにも、処刑は回避できたようでシンシアはほっとする。

(猫アレルギーが出ないのは私がもともと人間だからなんだけど……良かったですね)



 爛々と目を輝かせるイザークは尚も語りかける。


「ということはつまりだ、本当に猫の肉球がぷにっとしているのか確認ができる」

(ええ、ええ。良かったですね。私もそれくらいで頭と胴体が繋がるのであれば肉球を差し出します。存分にぷにってください)

「そしてもふもふもできる」

(ええ、ええ。いくらでも触ってくださって結構ですよ)

「そして悲願の猫吸いができるというわけだ!」

(ええ、ええ。いくらでも猫吸いをしてくだ……はいぃっ?)


 頼むからそれだけは勘弁して欲しい。

 恍惚としていても空恐ろしい顔面凶器が間近に来るなど、失神ものである。


 ここでの顔面凶器は二つの意味を持つ。眉目秀麗な美男である意味での顔面凶器と『雷帝』の異名が納得できるほどに殺気に満ちた顔面凶器。飴と鞭の顔といった方が分かりやすいのかもしれない。


(美形の怖い顔に迫られるなんて一生に一度もない体験だろうけど、こんなの拝みたくないわよ)

 シンシア否定を込めて必死に首を横に振るがイザークは気にしていない。


「今まで猫に近づくことすらできなかったんだ。存分にもふもふするぞ!」

 高らかに宣言するイザークはシンシアを空高く掲げたまま、ご満悦でくるくると回った。




「陛下」

 すると数人の騎士と文官の格好をした青年がどこからともなく現れ駆け寄ってきた。

 皆、息を切らしてひどく疲れ切った顔をしている。


「キーリ」

 イザークはシンシアをしっかりと胸の辺りで抱え直すと咳払いをして文官の青年を呼んだ。



 片眼鏡を掛け、銀色の長い髪を後ろで一つに結ぶ青年は見覚えがあった。

(あ、この人はイザーク様の側近で宰相のキーリ・マクリル様だ)


 彼はこれまで貴族たちの汚職を数々暴き、問答無用で処刑台送りにした男だ。

 貴族たちの間では雷帝に続いて敵に回してはいけない男と言われている。

 生真面目そうな印象の青年は安堵の息を漏らした。


「突然救護所付近へ行くと言って宮殿を飛び出したかと思えば現地に陛下のお姿はなく。何故このような川辺に? ご無事でなによりです」

 キーリの言うとおり、どうして雷帝と恐れられる人が川辺で倒れていたのかシンシアも気になった。


「心配をかけてすまなかった。それについては後で説明する。今は火急に宮殿へ帰らなくては」

「かしこまりました。すぐに転移魔法を展開します。――ところで抱いているのは猫では? 触れて大丈夫なのですか?」

 キーリはイザークと間を詰めて誰にも聞こえないように声を潜める。


「何故かこの猫は大丈夫だ。だから俺の猫にする」

「もしかして早く帰りたいのはその猫が理由ですね? はあ、必死になって探していたのが馬鹿らしく思えてきましたよ」


 わざとらしく肩を竦めて嫌味を口にするキーリ。

 雷帝に軽口を叩ける人間はきっとキーリみたいな側近くらいだろう。そしてイザークもまた、彼に何と言われようと気にしていない様子だった。


「早く帰った方がキーリも嬉しいだろ?」

「それもそうですね。仕事は溜まる一方なので一つでも早く片付けて頂きたいです。早速準備しましょう」


 話を聞いていたシンシアは人の言葉が喋れなくなっているということも忘れておずおずと口を開いた。

『あのう、一応この国には選択権というものがあるはずなので、私はここでお別れします……』


 するとイザークが覗き込むようにしてシンシアを見ると満面の笑みを浮かべる。


「おお、そうかおまえも俺と一緒に行くのが嬉しいんだな」

『いや、違っ……』

「鳴くな鳴くな。帰ったらすぐにおまえの部屋を用意させよう」

「陛下、その猫嫌がってません?」

(その通りです。キーリ様のお力で雷帝から私を解放してください!)



 シンシアが懇願の眼差しをキーリに向けるが、イザークは一蹴した。


「ははは。気のせいだキーリ。思い違いも休み休みに言うんだな。さあ転移させてくれ」

『気のせいでも思い違いでも何でもない。事実です。お願いだから解放してええ!』


 そんな悲痛な叫びが通じるはずもなく。

 人権というものがなくなってしまったシンシアは皇帝陛下の愛猫あいびょうとして、宮殿へ連れ帰られてしまった。


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