第4話
それから二日後、シンシアは詩人の神官として帝国騎士団に同行することになった。数日間の任務になるのでリアンから散々心配され、付いてこようとされたがなんとか宥めて修道院を出てきた。
朝の祈りを終わらせて教会を出ると、門の前にルーカスが立っていた。見送りに来てくれたようだ。
「魔物の討伐に参加すると聞きました。どうかくれぐれも気をつけて」
「ルーカスが一緒に来てくれたら良いのに……今回は一人だから心細い」
シンシアは俯きがちになって弱音を吐く。
ルーカスは神官ではあるがもともと武官を多く輩出するベドウィル伯爵家の人間だ。本人は剣の腕はないと言い張るが、精霊魔法だけでなく主流魔法も使えるので教会内の騎士の中では五指に入るほど強い。これまで何度も護衛をしてもらった。
しょんぼりとしていると、ルーカスが頭を優しくぽんぽんと叩いて撫でてくれた。
幼馴染みであり、兄のような存在のルーカスは昔からシンシアが落ち込むとこうやって慰めてくれた。物腰が柔らかい見た目とは裏腹に、その手は節くれ立って分厚い剣だこがある。何年も鍛練に励み、努力を重ねてきた彼の手がシンシアは好きだった。
「私はヨハル様から他の仕事を任されているから一緒には行けません。でも、仕事先から応援しているので頑張ってください」
穏やかな笑顔から元気をもらったシンシアは目を細めてこっくりと頷く。
「ありがとう。お陰で頑張れる気がしてきたわ。ルーカスもお仕事頑張ってね。行ってきます」
別れの挨拶を済ませた後、シンシアは帝国騎士団との待ち合わせ場所へと足を運んだ。
待ち合わせ場所には馬を引く騎士や食料や薬を積んだ荷馬車などでごった返している。あたりを見回していると、早速隊長に声を掛けられた。
「あなたが詩人の
シンシャとはシンシアが瓶底眼鏡姿で活動する時の偽名だ。
シンシアは隊長へ丁寧に礼をした。
「この度はよろしくお願いします。私の持ち場はどうなってますか?」
「シンシャ殿には救護所で救護に当たっていただきたい。一般市民の多くが魔物のせいで怪我を負っている状況です。地元の医師だけでは手が足りませんからな。もちろん、怪我をした際の我々の救護も頼みますぞ」
「分かりました。できれば負傷者以外に戦える騎士も何人か配置して欲しいです。私は戦闘系の主流魔法はからっきしなので」
戦場では何が起きるか分からない。念には念を入れておく必要がある。しかし、隊長はシンシアの心配をよそに呵々大笑した。
「心配ありませんぞ。救護所は危険地帯から距離もありますし我々精鋭が魔物をすべて片付けます。小さな魔物一匹たりとも近づくことはできんでしょう」
「そ、そうですか。でも一応保険というものがあっても……」
「はははっ。シンシャ殿は心配性と見受けられる。そもそも日頃から地獄の鍛練に励む我々にとっては上級の魔物でもない限り片手でひねり潰せます」
隊長だけでなく団員たちも「必ず前線で食い止めるから大丈夫です!」と言ってくるのでよほど腕っ節に自信があるのだろう。不安ではあるものの、彼らの筋骨隆々な身体を目にしていると不思議と安心感を覚える。
(そうよね。だって、帝国騎士団の討伐部隊だもの。いくつもの戦場をくぐり抜けてきた彼らに大丈夫かなんて訊く方がどうかしてるわ)
シンシアは素直に彼らの言葉に従うことにした。
「そうですね。疑ってしまってすみません。私は皆さんを信じます!」
――後にとんでもない目に遭うことなど、この時のシンシアはちっとも知らなかった。
(……一体これはどういうこと?)
シンシアは両手に持っていた盥を地面に落とした。その拍子に盥がひっくり返って中の水が地面に広がる。
重傷者に治癒の魔法を施して軽傷者のいるテントへと移動していたその矢先、黒くて大きな塊と鉢合わせになった。
小さな魔物一匹たりとも近づけないと胸を張って宣言したあの隊長を思い出しながら、シンシアは目の前の魔物を呆然と眺めていた。二メートルはくだらないこの巨躯をどうやって見逃したのだろう。
(あの嘘つきっ!! 討伐部隊の目はガラス玉なの!?)
相手からびりびりと感じる魔力から上級の魔物であることは間違いない。上級になると瘴気を持つものも出てくる。
瘴気を持っている場合は魔物近くの空気が汚染されてしまう。瘴気は濃度と吸い込む量によって人体に影響が出る。軽度の場合は頭痛や目眩が、中度になると幻覚が、重度になれば正気を失い錯乱状態に陥る。また、神官クラスや上級の魔法使いしか肉眼で見ることができない。ここにいる負傷者に上級の魔法使いレベルの人間は少ない。
不幸中の幸いか、この魔物は瘴気を持ってはいなかった。とはいっても逼迫している状況は変わらない。負傷者しかいないこの場所で戦えるのはシンシアだけだ。しかし、専門といえば守護と治癒、そして浄化の魔法のみ。
(一応主流魔法も習っているから攻撃できる。できるけど、使ったところで冬の静電気みたいにちょっとバチっとなる程度よ)
あれも不意打ちをくらうと痛い。だがそんなレベルの攻撃で上級の魔物を倒せるわけがない。
それでも、シンシアには負傷者を守る義務がある。
(――私は聖女だから)
少しでも時間を稼いで応援が来るのを待つしかない。シンシアは守護の精霊魔法を使って大がかりな結界を展開した。
ティルナ語で詠唱を終わらせるとすぐに軽傷の騎士に治癒を施して応援を呼んでくるように頼んだ。
彼が馬に跨がって駆けていくのを見送った後、改めて魔物と対峙する。
目の前の魔物は見た目がネズミのような頭で額には魔物特有の赤色の核を有している。目玉が三つもあって常にギョロギョロと忙しなく動いていて、とにかく気持ちが悪かった。
「ここにいる人たちは指一本触れさせないわ」
結界を挟んで睨み合っていると、にわか雨に襲われる。
雨脚が強くなり、前がはっきりと見えないほどの降りになった。そんな中、不気味な笑い声が結界の向こうから響いてくる。
「ククク、それはどうかな。こんな結界など自慢の前歯で齧ってやる」
やはりといったところだろうか。見た目同様に思考はネズミのようだ。
ただし上級ともなればその前歯の攻撃力は馬鹿にできない。破壊されそうになる度に新たなる結界を展開し、厚みを増していく。
持久戦に持ち込んだが、向こうは単なる物理攻撃のみなのでいずれシンシアの魔力が尽きてしまえば終わりだった。
(お願い、早く。早く応援に来て!!)
雨に打たれる中、必死に心の中で祈る。祭服が雨を吸い込んで重みを増していくように感じる。それは雨の重みなのか、それとも背負っている命の重みなのか。
シンシアは唇を噛みしめると精霊魔法に集中した。
(ここにいる人たちは絶対に助けたい)
強い意志とは裏腹に聖力は消耗し続け、限界を迎え始めた。
もうここまでかもしれない、と心の中で弱音を吐いた時だ。
祈りに答えるように空がシンシアに味方した。
雨はさらに激しさを増して辺りに雷鳴が轟き始める。激しい稲光が曇天で光った次の瞬間、ネズミの魔物に向かって天から
雨水をたっぷり吸収していた体毛のおかげで感電の威力が増し、魔物はまる焦げとなって倒れた。
しゅうっという音と獣の焼け焦げる臭いが辺りに立ちこめる。と、魔物の身体が徐々に灰となって消え始めた。
「私、魔物を倒せたの?」
ぽかんと口を開けていたのも束の間。ふつふつと実感が湧いてくるとシンシアは拳を握りしめて叫んだ。
「やったああ! 魔物を倒したわ!!」
浮かれたシンシアは思わず結界を解いて勝利を噛みしめる。
しかしそれが不味かった。本来なら魔物が完全に死んで姿が消えて核だけになるのを待ってから結界を解かなくてはいけない。
完全に消えないということはまだ少しだけ魔物に魔力が残っている状態を示している。
ネズミの魔物は最後の力を振り絞って、真っ黒な球を投げてきた。球はシンシアの額に当たると煙のように広がって消えてしまう。
当たった部分は蛇が這うような気持ちの悪い感覚がする。思わず悲鳴を上げて額に手を当てると、突如シンシアの身体に異変が起きた。
「うっ……」
身体の節々が痛み、骨が軋み始める。あまりの激痛に息ができなくなり、浅い息を繰り返しながら魔物を睨んだ。
「な、にをしたの?」
「ククク、おまえに呪いを掛けてやったぞ。それはこの世で最も悍ましい生き物に姿が変わる呪いだ」
呪いは魔物が得意とする魔法の一つだ。ネズミの魔物は報復できて嬉しそうに鳴いた。
「――せいぜい苦しんで死ね」
不気味な言葉を吐き捨てると消えかかっている尻尾で地面を勢いよく叩き割った。
尻尾に残りの魔力を注力させたらしく、つむじ風が起きて割れた瓦礫を巻き上げながらシンシアに向かってくる。
動けないシンシアはもろにそれを受け、風圧に耐えられず空高く吹き飛ばされた。
みるみるうちに救護所が小さくなっていき、視界から消えてしまう。地面に叩き付けられる前に結界をクッション代わりにすれば助かるが、シンシアにはもう魔力が残っていない。
(私、呪いの前にこのまま地面に叩きつけられて死んじゃうのかな……なんとかしないと。でも、もう駄目……)
心の中でぽつりと呟くと、苦しみから逃れるようにシンシアは意識を失った。
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