不殺人事件

 ソレ刺す前にちょっと聞いてくれません?

 バカな話と思うかもしれませんが、何十年か前に僕はある男と賭けをしまして。

 なんでもそいつは『死後にお前は地獄に落ちるが、このゲームに勝てたなら地獄行きはキャンセルにしてやろう』っていうんですよ。


 酔ってたせいもあって、二つ返事でゲームを受けましてね。負けたら魂を払えだなんだ言われましたが、『うるせぇ、誰がお前なんぞに負けるものか』なんて喚き散らしたらしくてね。

 結局勝っちゃったんですよ。勝利の女神だか幸運の女神だかと寝た覚えはないんですが、どうにもその夜は馬鹿みたいについてましてね。ロイヤルストレートフラッシュなんてものは生まれて初めて見ましたね。


 ただ散々その男をバカにしたせいか妙な体質にされちゃいまして。あいつは呪いと言ってたかな?どうにも人から憎まれるようになったんです。あの夜を境に、どこへ行っても親の仇みたいな扱いをされるようになりましてね。落ち着いて酒を飲むこともできなくなった。とんだ逆恨みですよ。

 

 そのうち金貸しも酒屋も相手にしてくれなくなって、とうとうどうにもできなくなったんで橋から身を投げたんですよ。満月のきれいな夜でね、『地獄行きはキャンセル』って言葉を信じてはいませんでしたが、こんなに月がきれいならきっと天国に行けるんじゃないかと思ったもんです。


 結果は見てのとおりですよ。あの世の、天国の門まで見えてたんですがね、門番の天使に近づいたとたんに唾を吐かれまして。『ここはお前のような者が来ていい場所じゃない」って下界に突き落とされまして。


 気が付いたら岸に打ち上げられてまして、その後はもう何をやっても死ねなくなってましたね。殴られても切られても刺されても、気づいたら傷が塞がってんですよ。一度車に撥ねられたときがあったけど、時間を巻き戻したみたいに元通りになってましたね。まぁもう来るなってことなんでしょうねえ。



 いつもはね、逃げてたんです。痛いのは嫌だし、死ねないからって殺されるのはまっぴらでしょう。でも、そういう生活が何年も何十年も続いて、もういいかなって思っちゃいまして。

 逃げるのに疲れたんでしょうね。それで一回試しに殺されてみたんですよ。相手は40くらいの男で、いつものように因縁をつけられて殴られて、それで丁度手近にレンガブロックなんかが転がってたのが見えてたもんで、『それで殴ったら死んじゃいますから、やめてくださいね』って言ったんです。

 期待通りでしたね、そいつはそれで僕のことを力いっぱい殴ってくれましたよ。ひどく痛みましたけど、一瞬楽になれましてね。死ねない体とは言え一瞬はあの世に近づけたんだと思います。すぐに引き戻されましたがね。




 じゃ、これで命乞いはおしまいです。

 とどめ刺しちゃってください。ざっくりと。

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