非殺人事件
「私がやったんです」
歳は二十代前半だろうか、長い美しい黒髪が目を引く。整えられた前髪から覗く表情はとても誰かに害を成すようには見えない。
しかし彼女のワイシャツは渇いた血で彩られ、片手には凶器と思われるハサミが握りしめられており「たった今殺してきました」と言わんばかりの生々しさでもって訴えかけてくる。
誰がどう見ても殺人の自首だった。
彼女は人を殺したという。
事実であれば殺人であり、我々警察が動かねばならない事態だ。
実際彼女の自首から数分後には現場に赴き、被害者や証拠を確認したうえで拘置する手筈だった。
だが、彼女はこうして今も取調室にいる。
結論から言うと、彼女が言う「被害者」はこの世のどこにも存在しなかった。
返り血やハサミに付着していた血液から、彼女がヒトを傷つけたことは明らかだ。 しかしながら、そのヒトがいないのだ。
「どうしてその人を殺そうと思ったのかな。動機は?」
もう何度目かもわからないその問いに彼女はこれもまた何度目かわからない同じ答えを返す。
「殺さなきゃって思ったんです。その人の事、良く知らない、というか初めて会ったんですけど。生かしておいちゃダメだって思ったんです」
会社から帰宅途中、その人物を見かけたとたんに「殺さなくては」と思い立ち、そのまま所持していたハサミを取り出して何度も背中に突き刺した、という。
被害者は叫び声一つ上げずに血だまりに倒れ、我に返った加害者はそのままの足で近場の交番へとやってきた。その後連絡を受けた近隣の署の人間が確認に赴いたが、被害者と思われる人物は見つからなかった。
何ともおかしな事件だ。しかし加害者女性から薬物反応などは見られない。
彼女は何を殺したのか?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます