金魚
「ツバキさん、そろそろリハあるから準備して」
何がリハーサルだ。
長い養成所生活を抜け出し小さな劇団での活動を経、ツバキという名を得て初めてのテレビの仕事が「サスペンスドラマの死体役」なんて。 舐められている。
演技のえの字も知らないようなアイドル崩れが芝居の真似事で歓声を浴びている横で、死ぬほど努力した私が何故端役をやらねばならないのか。
マネージャーからいくら「名誉な仕事に選ばれた」と讃えられようと、鞠音は全く心に響かなかった。
鬱屈な気分のまま出演者用テントを出る。
すっかりと日の落ちた大阪の街は、妖しげなネオンが月光を押し退けて太陽の代わりをはたしている。
忌々しい欲望の光だ。 幼少からこの街で暮らしているが、鞠音は一度だってこの夜の輝きに惹かれたことなどない。
8月も終わると言うのに蒸し暑い。近くの川から流れ吹く温い風がより一層彼女を不快にさせた。
「…ちょうちん?」
雑多なネオンの光の脇で、遠慮がちに輝くそれに目が止まった。
ビルの灯りの下に垣間見える、微かな光。川沿いにずらりと並べられた提灯の列、見ればちらほらと夜店も並んでいる。
そういえば、夏祭りをイメージしたビデオを撮影するという話だったか。
少し目を凝らすと、まばらながらも人影がみられた。皆思い思いに夏の終わりを満喫しているようだ。
気がつけば彼女は提灯灯りの下までやって来ていた。
リハーサルの時間などとっくに過ぎている。
それは分かっていたが、彼女はここに来なければならないような、そんな強迫観念じみた無意識に突き動かされたのだ。
ぼんやりと淡い提灯の灯りを眺めていると、何処から来たのか、10歳くらいの小さな女の子が「きれいだからあげるね」と金魚をくれた。
ビニールの袋の中で泳ぐ淡い赤色は、どこか窮屈そうで、苦しそうで、少しでも早く楽にしてあげたかった。
鞠音はビニールの口紐を緩めると、近くの草むらへ金魚を放した。息が出来ないのか口をパクパクと動かしていたが、次第に動かなくなっていった。
金魚の最期を見届けると、鞠音は何処かへと消えていった。
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