8
「二人の幼馴染みだったらしいんだ。
僕の、本当のお父さん。
それ以上のことは知らないけれど、荷物でしかないアルバムを、本土から
忘れたくない、大切な――――……
だからこそ、軽んじられなかったのだとすれば…………」
記録なんて碌に残っていないから、これから僕が話すのはあくまで僕の想像だよ。そう前置いて兄はちょっとの間沈黙し、口を開いた。
「二人は、どうして僕の首を絞めたのか。
二人は、どうしてああなったのか。
僕がソウマさんとマヤさん――二人にとって断罪者であったと仮定すると、何となく筋道らしきものが見えてくるんだ。
他に人のいない環境が、二人を後押ししたのかもしれない。ソウマさんとマヤさんはこの島で暮らす内、肉親であるにも関わらず。互いを意識するようになってしまった。
けど二人は僕等と違う。外の世界を肌身で知ってる人間だ。近親愛は悪いものだと僕等以上に強く感じていたはずで―――それでも愛とか子孫を残そうとする生物的本能が躊躇いを上回ったんだろう。いつしか二人は恋仲になった。
この島にソウマさんとマヤさんしかいなければ、二人はそれを受け入れられたのかもしれない。
でも、二人の傍には僕がいたんだ。
マヤさんと『本当のお父さん』の間に産まれた子供―――死んだ父親と顔がそっくりな―――幼馴染みの忘れ形見が。
近親愛は不当なものだと二人が堅く信じていたのなら『本当のお父さん』に対して、二人は随分と後ろめたかったんじゃないかと思う。……こういう場合も、不倫て言葉は当て嵌まるのかな。とにかく二人の主観ではたぶん、親しい――大切な人を裏切りながら、背徳的関係に溺れてしまったわけで………………
そんな二人を僕が見てる。
当時の僕はまだ子供で、二人の事情なんか知らなかったし、知ったところで別段責めようとも思わないけど、二人は僕に幼馴染みの面影と彼の非難の眼差しを重ねていたのかもしれない。夜、二人が僕の首を絞めたのは、それを何とか振り払おうとしたから―――――……全然手に力、入ってなかったんだよ。
さて。
危ういなりに僕等の関係は、どうにか均衡を保ってた。それがおかしくなったのはやっぱり、二度目の出産を機にマヤさんが体を壊したのがきっかけだろう。
命を生むんだ。出産は母体に、それ相応の重い負担が掛かる。死のリスクは当然の如くもので、だから妊娠・出産を経て体調を崩したマヤさんが、本土で感染していたんだろう病気を発症したことは、ありがちな悪い偶然だったと思う。だけど、二人にとってはそうでなかったとしたら?
偶然でなく必然………罪に対する罰であると捉えてしまったのだとしたら?
妊娠さえしなければ、マヤさんは病気にならなかったかもしれない。その可能性を強く意識したからこそ、二人は罪と罰の象徴である僕達を直視できなくなって遠ざけた…………
もう一度言うけど、あくまで僕の想像だよ。想像だけど、ソウマさんは強い自責の念に苛まれてた―――そんな気がするんだ。
どういう経緯で二人が一線を越えたかは分からない。ただ、体格と力の差がある以上、ソウマさんの合意が全くない状態で二人が肉体関係を結ぶのは難しかったんじゃないかと思う。つまりソウマさんがマヤさんを拒めていたなら、あるいはソウマさんがマヤさんを求めなかったら、二人は単なる家族のままでいられたかもしれない。マヤさんは妊娠せず、病気にもならなかったかもしれない。
それを考えてしまったから、ソウマさんは自分を追い詰めるみたく、マヤさんのため献身的に働いていた――――――
けど、どんなに後悔して罪を償おうとしてみても、病気が治るわけじゃない。二人とも、次第に心身が摩耗して………だから必要だったんだろう。
ソウマさんの行為がだんだんエスカレートしたのは、僕に重ねた『本当のお父さん』――二人を責める断罪者の幻に、やり場のない怒りをぶつけていたから………その幻さえ消えてしまえば、二人を苛むものはいなくなる………苦しみがなくなる……そう、期待したから………………
アルバムを燃やしたのも、そんな思考と行動の延長なんじゃないかと思う。―――『瓶詰地獄』の中にあったよな。主人公が胸に渦巻く苦しみを振り払おうと、救助船に見つけて貰うため崖上に立てた目印を引き倒して、聖書を焼いてしまう場面。たぶんだけどさ、あれとちょうど同じことをしたんだよ。
外界との繋がりを象徴するものを破壊して、二人の楽園を完成させようと試みた。でも、そんなことしたって本当は無意味だったんだ。だって二人を苛む地獄は実のところ、二人の頭の中にあったんだから。『瓶詰地獄』の主人公は、全てを壊した後でそれに気づいた。
ただ、ソウマさんの場合はまだ僕がいた。ソウマさんはまだ僕を殺していなかった。
家族を殺す。
子供を殺す。
人を殺す。
躊躇いがあったんだと思う。
だからずっと、一線を越えられなかった。けど、マヤさんが亡くなって、箍が外れた。
マヤさんに対する罪悪感が、自己嫌悪が、絶頂に達したのかもしれない。マヤさんが苦しんで死ぬ一因となった『断罪者』を許せなかったのかもしれない。自分達を追い詰めた運命に何者かの――『断罪者』の意思が関わっていると錯覚したのかもしれない。
いずれにせよ、ソウマさんはきっと怒ってたんだ。怒って、怒って、怒って、怒って、何かに怒りをぶつけないではいられなかった。そして――――――――――」
兄はそこで言葉を切って、自分の首にまた右手を伸ばしかけ、僕の視線に気づいたらしく決まり悪そうに苦笑した。
「…………あの時のことで一つ、疑問があるんだ」
「疑問?」
「ああ。―――いや、疑問というより引っ掛かってること、と言った方がいくらか正確かもしれない。僕は、どうして生き残ったんだろう」
兄の言いたいことがいまいち掴めず、僕は思わず首を傾げた。どうして生き残ったのか。答えは至極単純だ。
「戦って、勝ったからだろ。だから生き残った」
「そうだな。そうだ。でも、どうして勝てたんだろう」
言いつつ、兄は瞳を細めた。
「僕は子供で、ソウマさんは大人だったのに。不意打ちがうまく決まったとしても、僕の武器は小さなナイフだけだったんだ。反撃は簡単に出来たはずで……なのに全てが終わった時、僕は大きな怪我を負っていなかった。錯乱してたせいか、はっきりした記憶は残ってないけど、もしかしたら」
ソウマさんは、抵抗しなかったのかもしれない。
呟いて兄は深く項垂れた。
「分かってるんだ。当時の僕は、ああする他なかった―――でも、でもさ、ソウマさんの最期を思い出したら時々、考えちまう。僕がもっとしっかりしてれば、二人とちゃんと話し合っていれば、別の未来があったんじゃないかって。馬鹿馬鹿しいよな。子供が大人の問題に首突っ込んで、どうこう出来るわけがない。僕に何が出来たんだ? 何をすれば良かったんだ? 考えても答えなんか出ないのに、頭の中を後悔がぐるぐるぐるぐる回ってる…………」
震えた呼吸音と目を拭う動作から、ようやっと兄が泣いていることに気がついた。やはり、どんな言葉を掛ければ良いか分からず、狼狽える。自分が泣いた時、兄はどうしていたか―――思い出しても、それはあくまで兄が
「僕は」
迷いながらも、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「父さんと母さんのこと、全然覚えていないんだ。だから話を聞いても、二人に対して何を思えばいいか、やっぱりよく分からない。安易にどうこう思えるほど、僕は二人を知らないからさ。けど、これだけは確かにずっと思ってる。兄さんがいてくれて、よかったよ」
「……………」
しばし間を開け、小さな声で兄は言った。
「――――――そっか。僕も…………僕は、お前がいたから………………」
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