突然の同乗者

「落ち着け、落ち着け、落ち着け、落ち着け――」


 窓を閉め切り、ハンドルを握り締めながら車をかっ飛ばす。

 どれだけ走っても一向に代わり映えしない風景を見つめながら、私は自分に言い聞かせるように独り言つ。


「いやいや、あんな生物あり得ないって、見間違い見間違い! でも、仮にシカや馬だとして飛んでいくわけないし……じゃあ幻覚? あぁ幻覚か! 働き過ぎかなぁ! まだ入社して半年しか働いてないけど相当なストレス溜まってたんだな、アハハ!」


 半狂乱になりながらアクセルを踏み込む。時速はすでに100km/hを超えているけど幻覚だからモーマンタイ!


「ってダメに決まってるでしょうが!」


 アクセルを離し、エンジンブレーキで速度を落としながら窓を開けて深呼吸する。

 爽やかな空気が錯乱した脳みそを洗浄していき、同時に吹き抜ける風が『これは現実なんだよ』と教えてくれて、なんとか落ち着きを取り戻す。


「異世界、はもうこの際受け入れるとして、問題はなんで来ちゃったか、だけど……もしかして私、死んだ?」


 今まで何度か旅行に行って家に帰り着いて、ふと不安になることがあった。本当は出先で崖から転げ落ちていて、死んだことに気づかず過ごしているんじゃないかって。

 けれど、そんなことあるはずもなく、頬を引っ張ってもちゃんと痛いし、目の前に広がる絶景は現実だ。


 もう一つの可能性として考えられるのは洞窟に描いてあった魔法陣だけど、だれかが私を召喚したとして目的は? というか誰が? 洞窟の周りに誰もいなかったよね……?


 疑問がグルグルと頭を巡るがなんらかの答えが出るはずもなく、私は深く考えるのをやめた。


 幸い、キャンプ帰りに給油しておいたのでガソリンはまだ八割以上残っている。けど、楽観視できるほどじゃないのも事実で、三日も走れば空っぽになるだろう。

 もし燃料がなくなったら車は置いていかないといけなくなるんだろうし、その前に人を、それも頼れそうな人を見つけておかないと。

 流石に身ひとつで見知らぬ土地を旅して生き抜いていく知識も技量も私は持ってない。


 ナビの終着点に状況を打開できるようなモノがありますように……。

 そんな都合の良い展開を祈りながら、残り30kmと表示されたナビを確認して、半分以下に減った缶コーヒーをチビチビ飲みつつ空を見た。


 異世界でも空は私の知ってる青色で、雲も変わらず真っ白だ。

 大丈夫、世界は違っても全くの別世界に来たってわけじゃない。物理法則とかその辺りの常識は変わってないはず。

 魔法とかあるかもだけど、ドライブやキャンプの合間に異世界モノの小説とか読み漁ってるし、実物を目の当たりにしてもすぐ慣れる自信もある。

 むしろ使いこなせたりするかもしれない。私の秘めたる才能が爆発して、いろいろ良い感じになるかもしれない。


 ポジティブに考えばこれはチャンスだ。文明レベルはどれくらいかわからないけど、飛行機とか飛んでないし、このだだっ広い平原を見るに私の世界より高いなんてことはないはず。

 車っていうアドバンテージもあるし、うまく立ち回れば世界制覇も夢じゃないかも。


「うん、なんかイケる気がしてきた! こうなったら異世界スローライフでも満喫してやろうじゃんか!」


 一念発起、私は空に向けて叫んでみた。これでさらに気分は高揚――したのも束の間、青空の中で何か光が瞬くのが見えた。


 キラキラと無数の小さな光がチラつきながら、上空を左から右へ動いている。

 なんだろう、と眺めていたら、光の集団が大きな雲にぶつかる寸前、急に進行方向を変えて地面へと落ちていく。

 それに追従するように、今までゆったりと漂っていた雲も地面に落下し始めた。


 思わず停車し、謎の現象に見入った。と、明滅するように光る集団は地面すれすれで再び方向を変え、地面の上を滑るように、真っすぐこっちに向かってくる。

 雲も同様の動きをしていた。雲は完全に意思を持って光を追いかけている。


「なんか、ヤバい?」


 このままじゃ確実に直撃コースだ。

 私はアクセルを踏み車を発進させるが、判断が遅くて踏み込みが甘かったのと、予想よりも相手の移動が速かったのもあって、車の速度が乗り切る前に光の集団が車体に到達し、全開にした窓からたくさんの何かが入って来た。


「う、うわわっ! 痛い痛い!」


 ペチペチと私の顔にぶつかりながら謎の物体は右から左へ開け放たれた窓をから車内を通り抜けていく。けれど何体かは車体にぶつかり、その場でのたうち回った。


 その姿はまるで魚だった。

 若干、青みがかった半透明の細長い身体には尾ヒレや背ビレがついていて、左右に小さな翼みたいな部位が広がっている。

 見た目的にはトビウオに近いだろうか。


 直後、右側から嫌な気配を感じて振り向いた。そこには、大きな”口”が私を呑み込もうと迫っていた。


「きゃあぁぁぁぁぁ!?」


 アクセルをべた踏み急加速で大口を避ける。

 直後に「ビュォオ!」と突風みたいな音を轟かせながら、巨大な雲は車のすぐ後ろを通過していった。


 辛うじて衝突を回避した私は、正体を確認するため車を走らせながら振り返る。

 そこにいたのは、大きな鯨だった。車の何倍もありそうな雲の鯨は私に見向きもせず魚の群れを追いかけていく。


 私は車を停めて、空で繰り広げられる自然の摂理を眺めながら震える。


「……やっぱり無理かも」


 さっきまでのポジティブは消し飛び、半泣きになりながら呟いた。


 出鼻を挫かれたものの、メソメソしていても始まらない。鯨が戻ってこないかを警戒しながら車内に取り残された魚たちを外へ追い出す。

 幸い、ぶつかって死んでしまった子はいないみたいで、みんな元気に飛び去って行った。いくら魚でも、異世界に来て早々に生き物を殺傷するのは気分が良くない。


 さて、出発しようかと運転席に座り直せば、バックミラーに1匹の魚が泳いでいるのが映った。どうやら後部座席に残っていたらしい。

 狭い車内をゆったりと回遊している。翅を広げて泳ぐ姿は絶妙な可愛さがあった。

 でも、連れて行くわけにもいかないので、エンジンスイッチの下にある後部扉の開閉ボタンを押して、後部左右の扉を開け放ち出口を作ってあげる。


「ほら、早く行かないと置いていかれちゃうよー」


 椅子から身を乗り出し、手を振って外に出るよう誘導するが、魚は一向に車から出ようとはしなかった。

 仕方がないので運転席から後部に移動し、捕まえようとしてみたけど、車内を器用に泳いで私の手を逃れる。


「この子、ここが気に入ったのかな……?」


 見たところ怪我をしているわけでもなさそうだし、出て行かないのはここを住処と決めてしまったからかもしれない。

 困ったな。無理やり追い出したとして、もう仲間たちはどこかへ行ってしまった。

 大きさ的にたぶん単独では生きていけない生物だよね?


 いつまでもここで立ち往生しているわけにもいかないし……仕方ない、連れて行こう。

 害もなさそうだし。ちょうど心細くなって来ていたところだったし。何より非常食として重宝しそうだ。

 魚なんたがら、きっと食べたら美味しいと思う。


 様々な連れて行く理由を頭の中で羅列しながら私は運転席へ乗り込み、前を見ながら青天霹靂に現れた同乗者へ告げる。


「世話とかしないからね? 餌とかわかんないから、自分の食い扶持は自分で確保してよ」


 伝わるわけないのは理解しながらも最低限の文句だけは言って、ナビの示す目的地へと車を発進させた。


 それにしても、どういう原理で浮いているんだろうか。翅を動かしている様子もないけど。

 トンボみたいに見えないくらい早く動かしてるんだろうか。

 スイスイ、と呑気に泳ぐ魚をバックミラーで眺めながら考えてみるけど、一向に理屈はわからなかった。


「そういえば、名前つけといた方がいいかな」


 いつか食べるとしても、せっかく一緒に旅をするんだから呼び名はあった方がいい。私の気分的にも。


「トビウオ……トビオ、オウビ、トビー……うん、トビーがいいかな。君の名前は今からトビーね」


 私が言うと、トビーはこちらを向きながらパクパクと口を動かした。きっと声に反応しただけなんだろうけど、私の言葉に応えてくれたみたいで嬉しい。


 トビーとの邂逅から10分ほど経過し、目的地まで1kmを切る。ちょうどあの丘の向かう側が終着点だ。

 果たして、反対側には何があるのか。


 不安半分、期待半分でトコトコと少し勾配のキツい丘を登り、あと数メートルで頂上へ達しようとした時だった。


『目的地に到着しました。案内を終了します』


 唐突に放たれたナビの発言に「えっ?」と反応した刹那、丘の向こう側から大きな影が飛び出して来た。


 咄嗟にハンドルを切って急ブレーキをかける。同時に馬の嘶きが聞こえて来て、振り向けば馬が前脚を上げている姿が。

 そして、背中に乗っていた人が転がり落ちる場面を目撃する。


 乗っていた人を振り落としたまま、馬はどこかへ走り去ってしまった。

 落馬の瞬間に遭遇してしまい、驚きながらも地面に転がる人物に声をかけようと窓を開いて、絶句する。


 立ちあがろうとした拍子に頭部を覆っていたフードが外れて顕になった素顔は、とても綺麗な子供だった。


 保護欲を煽るたれ目は、空のような青い色をしていて、顔全体の造形も人形みたいに美しい。

 年齢は十代前半かな。成長したらかなりの美人になるんだろうな、と容易に想像できる。


 背中まで伸びた薄緑色の髪が風で煽られ、大きくなびいて露出した耳を見て、私は再び驚愕する。


 普通の丸みを帯びた形とは異なり、長く先端が尖っていた。俗に言うエルフ耳、それが私を見上げる子供についていた。


 纏っている白いフード付きローブも、所々には金色の優美な装飾が施されていて、一目で高価な服だとわかる。きっと特別な家の子供なのだろう。


 数舜の見つめ合いの後、そこまで観察してようやく私はこの子が落馬したことを思い出して声をかけようと口を開いた。

 けれど、先に言葉を発したのは相手の方だった。


「助けてください!」


 声まで玲瓏で、鼓膜を心地よく揺らす。ただ内容はとても物騒だった。


「悪い奴らに追われているんです! 助けてください!」


 さらに不吉な言葉をつけ足して繰り返す。この子がやって来た方角を見れば、馬に乗った男が二人、こっちに向かって来ているのが見えた。

 どちらも堅気とは思えないくらい厳つい顔をしており、私と目が合うと同時に、男の一人が腰から剣を引き抜く。

 あの剣が本物かどうかはわからないけど、男たちの纏う雰囲気が尋常じゃない。少なくとも、穏便に話し合いが出来る相手ではないだろうと直感できるくらいにはヤバい。


 私はすかさず後部扉の開閉ボタンを押した。ピー、ピー、と間の抜けた音を発しながら開いていく扉を横目に私は叫ぶ。


「乗って!」


 弾けるように立ち上がったエルフの子供は後部座席に飛び乗った。それを確認して、思いっきりアクセルを踏み込んだ。

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