愛車と共に異世界で

猫柳渚

第一章:旅立ち

気付いたら異世界

 トンネルを抜けると、そこは見渡す限りの草原だった。


 一人キャンプの帰り道、車で東京へ向かうトンネルを潜っていたはずで、そこを抜ければコンクリートジャングルが見渡せるはずで。

 現代日本の、それも都内周辺にこんな地平線まで見渡せるような草原なんてあるはずもないくて……。

 あまりの出来事に頭が混乱する。

 とにかく落ち着こうと、運転席でハンドルを握り締めながら深呼吸。そして道路の真ん中で停車しているのはマズイという考えに至った。


 戻るにしても進むにしても車を路肩に寄せないと。

 そこでようやく周囲に意識が向いて、気が付く。

 地面がコンクリートじゃなくて剥き出しの地面だ。


 ますますあり得ない。今の時代、ナビで指示されるような道路はどんな山奥でもコンクリートで舗装されているはずなのに。それが国道のトンネルの出入口付近ならなおさら舗装されていなかったらおかしい。


 これはいよいよもって異常だ。今すぐに引き返そう。


 Uターンしようと後方確認のためバックミラーに視線を向けて、唖然とする。


 車の背後、つまり私が出て来たはずのトンネルは、ただの洞窟に変わり果てていた。

 地面や壁、天井は岩肌で構成され、等間隔で並んでいるはずの蛍光灯も見当たらない。しかも車が一台入れるかどうかの細い洞窟だ。

 一度入ってしまえばUターンなんて出来ないだろうし、タイヤが溝にでも嵌ってしまったらお終いだ。

 それどころか、洞内はブレーキランプで照らされた数メートルで行き止まりになっているようにも見える。


「え、えぇ? 嘘、どうなってるの?」


 戸惑いつつスマホを持って、慎重にドアを開けて車外に出てみる。

 いつでも走りだせるようにエンジンかけっぱなしで、扉も閉めずに恐る恐る洞窟へと近づいて中を覗き込んでみる。


 やっぱり、10mくらいで行き止まりだ。横に抜け道もなさそう。

 ふと、最奥の壁に何か模様が描かれているのが微かに見えた。スマホのライトで照らしてみれば、壁一面に幾何学模様が描かれていた。


「なにこれ、もしかして、魔法陣……?」


 もしかしてこの魔法陣から出て来たってこと? まさか、ね。


 洞窟に入って、念のため魔法陣の写真を撮っておく。そしてライトで内部をくまなく探ってみたけど何もないのは変わらなかった。


 洞窟の調査を諦めて車に戻る。

 運転席に座り、しばらくどうしようか考えて、ナビを操作してみた。けれど画面はグレーに塗り潰されており、現在地を示す青い矢印がポツンと配置されているだけだった。

 適当な地名を入力してみたけど、GPSが機能していないのか画面に変化はなかった。

 スマホは圏外。地図アプリも車とナビと同じく使い物にならなかった。


「詰んだ……どうしよう」


 力なく座席にもたれかかれば、フロントガラスには変わらず果てしない平原が広がっている。


「……ここでボーっとしてても仕方ないし、進んだ方がいいかな」


 どう考えても後ろの洞窟が東京に繋がっているとは思えない。というか行き止まりだし。

 かと言って、ここでじっとしていても事態が好転するわけでもない。


「とりあえず人を探そう。現在地を聞けば帰る目処も立つ、はず。頼れそうな人はどこに行けば会えるかな……」

『目的地を設定しました』

「え……!?」


 聞き覚えのある声が車内に響き、驚いてナビを見てみれば、地形もない灰色の地図に運転経路を示す青い線が伸びていた。そして、目的地まで50km、と。

 このナビに音声設定機能なんて搭載していないし、そもそも目的地に該当するようなことは言ってない。

 どういうこと……?

 戸惑いながら目的地点の名前が表示される箇所を確認してみるも、何も書かれておらず空白だった。


 えぇ、なに……? 怖いんだけど。


 摩訶不思議な現象に恐怖が浮かぶ。だけど当てもなく走り回るよりはナビに従った方がいいか……ガソリンも有限だし。

 それにナビの指し示す場所に何があるのか、正直気になる。


 私は覚悟を決めて、眼前広がる草原、その先の目的地を見据えながら、車を発進させた。


「それにしても、なんでこんなことになっちゃったのかなぁ」


 運転しながら呟いて、ここに至るまでの経緯を思い返してみる。

 趣味の週末キャンプの帰り道、明日からまた仕事かと、鬱屈とした気持ちで山道を走っていた。


「はぁ、このままどこか遠くに行きたいな」


 そう呟いたのを覚えてる。


 新社会人として入社した会社は第一志望ではなかったもののそこそこに良い会社だった。でも、上司が最悪だった。

 若い女と見るや手当たり次第にちょっかいを出し、思うようにいかなければパワハラするような奴だ。

 そのせいで、わずか半年足らずで二人の同期が会社を去った。少なくなった人数の負担は残った人間に回ってくる。業務も、上司の対応も。

 日に日にクソ上司の私への当たりは強まっていき、そろそろ限界だった。

 もういっそ、このまま全てを投げ出して愛車と共に遠くへ旅にでも出てやろうか。と、何度思ったことか。もちろん、そんな度胸もないからやるつもりはなかったんだけど。

 唯一の拠り所だったドライブを兼ねてのキャンプに行って、その帰り道でトンネルに入って――そこから記憶が曖昧だ。

 結構長い時間、トンネルを走り続けてたとは思うけど、気づいたらあそこにいた。


「まさか私が遠くに行きたいって言ったからこんなことに? ははは、そんなまさかね!」


 私の愚痴を神様的な誰かが聞いて、それを叶えたとでも言うのだろうか。馬鹿馬鹿しい。

 日本人の誰も彼もが常にどこかへ行きたいと願ってるだろうし、愚痴っただけでそんな都合の良い出来事が起こるなら、こんな謎現象はもっと発生しているはずだ。


 そこでふと、車関係の怪談でメチャクチャ遠い距離を一瞬で移動していた。なんて話があったことを思い出す。もしかして、私の遭遇している現象もそれだろうか?

 ……だとしたらナビもスマホも使えないのはおかしい。仮にここが日本じゃないとしてもスマホの地図は使えるはずだ。


 可能性としてもう一つ、頭の中に浮かんだのが――異世界へ迷い込んだ。という話だった。


 トンネルは昔から私たちの住んでいる世界とは違う世界に繋がっている。みたいな話が多い。ジブリの千と千尋とか……。


「――商店街が見えたら帰ろう」


 一時間前にラーメンを食べたとは言え、食べ歩きを趣味にしている身としては美味しそうな料理が並んでいたら我慢できる自信がない。

 単身、別世界に迷い込んで豚になるなんてまっぴらごめんだ。


「というか、進んだのは悪手だったかなぁ。もっと洞窟を探ったほうが良かったかも。どう思う?」


 私は愛車のスペーシアカスタム(青色)に問いかけた。

 もちろん答えなんて返ってくるはずもないし期待もしてない。一人で運転してると寂しくついつい喋りかけちゃうんだ。


 いや、さっきナビが返事してたしもしかしたら――と、期待したけど、結局誰からも返事はなかった。


 気晴らしに、私は閉まりっぱなしになっていた窓を開ける。

 突風が肩まで伸びていた私の髪の毛を弄んだ。慌てて、ハンドルを太ももで押さえながらヘアゴムで髪の毛を後ろに纏める。


 4月の山道は所々に雪が残っているくらいに寒かったけど、謎の草原に吹く風は陽気で心地よい。まるで春みたいな気候だ。

 見晴らしの良い景色に気持ちの良い風、異常な状況下にも関わらず、気分が高揚した。


 スマホを操作して、お気に入りの曲をかける。

 まあ、意味のわからない状況だけど、せっかく気持ちの良い場所を走ってるんだしドライブを楽しもう。


 陽気なアニソンに釣られて、私は自然と歌を口ずさんでいた。それは徐々に調子を増していき、熱唱へと変わる。


 気持ちい〜! これだからドライブはやめられない! もうこれだけで悩みも日頃のストレスも吹っ飛んじゃうよね。


 あ、前に何か動物がいる。シカかな? でも、シカにしては色が濃いような……大きさ的に、もしかしたら馬かもしれない。まあいいや、ちょっと並走でもしてもらおっと。


 熱唱から鼻歌へ変えて、深く考えずポツンと草原を歩いている動物へ近づいた。

 動物も私に気づいたのか立ち止まり、こっちを見る。


「ん? なんか、おかしい……」


 シカ、にしては角がない。いや、メスは角がないんだっけ。それとも馬、にしては胴体が異様に太い気がする。

 なんだろう。と目を凝らしながらさらに距離を詰めて、ようやくそれがシカや馬じゃないとわかる。


 翼だ。胴体に翼が生えている。顔つきも、シカや馬みたいな哺乳類じゃなくて、嘴の生えた猛禽類だったのだ。

 

 上半身が鷹、下半身が馬の生き物が眼前に立っていた。


「え、な、えぇ!?」


 驚いてブレーキを踏む。ズザザッ! とタイヤが地面を滑って砂埃が舞い上がり、それに驚いた馬鳥が私へ威嚇するように翼を広げて来た。


 こ、これって確かヒポグリフ、ってヤツじゃないの?


 知識として存在は知っている、けど、それが現実の生物でないことも知っていて、訳がわからず茫然とする。

 数秒間の睨み合いの末、ヒポグリフは私に警戒を向けたまま走り出すと、青空高く飛び去って行った。

 私は架空の存在であるはずのヒポグリフが見えなくなるまで動けなくて、異形の存在が完全にいなくなってようやく思考が追いつき、叫んだ。


「えぇーーーーー!?」


 どうやら私は本当に異世界に迷い込んでしまったみたいだと、自分の絶叫が周囲へ溶けていくのを感じながら、理解した。

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