第19話

「おりゃああああああああああああああああ」


 驚いて後ろを見やると、雄叫びを上げながら駆け出して来たのは翔だった。


 翔は素早く蒼空の元へ足を踏み込み、蒼空に掴まれている豊川の頬目掛けて凄まじい勢いで殴り飛ばした。


 翔に殴り飛ばされた豊川は、そのまま後方に吹き飛んでいった。


 豊川から離れた瞬間、ようやく蒼空の脳内はクリアになった。

 怒りから開放された蒼空は、そのまま膝から崩れ落ちた。


「そーちゃん!」


 陽菜と彩乃が蒼空のもとに駆け寄る。

 そして、「大丈夫?」と声をかけていたが、呆然自失の状態の蒼空の耳には全く入ってこなかった。


「かけちゃん!」


 色羽の悲鳴がした方を見ると、翔が先程豊川を殴り飛ばした右の拳を苦悶の表情を浮かべながら押さえていた。


「こんくらい、なんのこたねぇぜ」


 翔はいつものように笑みを浮かべるが、やはり痛いのかすぐに笑みは消え、痛みに呻きだした。


 彩乃は翔の方に駆け寄る。


「見せてみなさい」

「はっ、大丈夫って言ってんだろ」

「どう見ても大丈夫なわけないじゃない。いいから見せなさい」


 そう言って彩乃は、右腕を隠す翔から強引に拳を見せさせる。

 そこにあったのは、真っ赤に腫れ上がった翔の拳だった。


「アンタ…………これ」

「へへっ。名誉の負傷ってやつだよ」


 翔は力なく笑う。


「あっ……あぁ……!」


 今になって蒼空は自身がしでかした事の重大さに気づいてしまった。

 自分はなんてことをしてしまったのだろう。

 蒼空は、その場で頭を抱えてうずくまる。


 これじゃあ僕は人殺しじゃないか。


 一時の感情に任せて激昂し、友人たちの前で凶行に及んでしまった。

 そして、危うく大切な人たちの前で殺人鬼になるところだった。


 そのせいで、翔は怪我を負ってしまった。

 全て自分のせいだ。


 蒼空は力なく、よろよろと立ち上がる。


「そーちゃん……?」


 眼下では陽菜が心配そうに蒼空を見上げていた。

 だが、今の蒼空には陽菜に声をかける気力――いや、資格がなかった。

 蒼空は陽菜から視線を外す。


 豊川の方を見ると、翔に殴り飛ばされたまま気絶していた。


 蒼空には今更彼のことを殺す気はなかった。


 もう彼のことなんてどうでもいい――全て終わってしまったのだから。


 友人たちに背を向け、蒼空はトボトボとおぼつかない足取りで歩き始める。


「蒼空!待ちなさい!」


 彩乃が叫ぶが、蒼空は無視して背を向けたままだった。


 蒼空は目的も無く、ただその場から逃げるように歩き続ける。

 今の蒼空には、後ろを振り返ることは出来なかった。

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