「第十話」狭まる五感、閉じる意識

 「しっかり! ほら、早く起きな……さいっ!」

 「ぐぶぅっ!?」 


 ぐるぐると目を回している戎坐の股間を、舞香は踵で踏んづけた。コリッと嫌な感触が彼女の靴から踵に伝わり、戎坐もまた冷えたじんわりとした痛みが広がっていくのを感じていた……股間の部分を抑えながら、彼はふらふらと立ち上がる。


 「気分はどうかしら?」

 「お、おう……へへっ、あとで一発殴らせろ……」

 「そうね、取り敢えずアレをどうにかしてからにしましょう……!」


 小刀を構える。目の前には既に、寺の瓦礫をぶっ壊しながらこちらを凝視している大男がいた。


 「──来るわよ!」

 「ああ!」


 大跳躍。なんと大男はその巨体に見合わぬ俊敏さで空へと舞い上がり、そのまま舞香と戎坐の立つ地面へと破壊を伴う着地をしてきたのだ! 

 しかし、既にそこには両者の姿はない。──斜め後ろ、死角。大男の足元に風のごとく突っ込んでいったのは舞香だった。


 「でぇりゃあっ!」


 斬撃、刃が肉を裂く。つぷりつぷりと滑り込んでいく刃はそのまま片足を半分ほど深く切りつけた……舞香が即座に距離を取ると、大男は自分の体重を支えきれずに膝を突いたのである。


 (長期戦は無理! どうにか動けない状態にして、逃げる!)


 もう片方の足を狙い、舞香は再び突撃する。背を向けている、痛みに悶えている……反撃などされるわけがない。──そんな彼女の甘い見積もりは、横殴りの一撃で砕かれた。


 「──かはっ」


 ブロック塀に身体を叩きつけられ、舞香の口から血反吐が零れ出る。

 朦朧とする意識、猛烈な痛みの中、彼女は確かに大男が立っているのを見た。切りつけた足が再生して……いいや、付着しているはずの血液さえ綺麗に無くなっていたのだ。


 一体あれはどんな【奇跡】だ? どうすればあれを攻略することができる?

 そんな舞香の冷静な思考は、目の前の圧倒的な暴力によってねじ伏せられようとしていた。


 「ぐぅ、うう……」

 (骨がイカれた! 致命傷、動けない……!)


 もう何を食らっても死ぬ、殺される。反撃もできない、逃げることも不可能!


 「──頭冷やせ! クソジジイ!」


 絶望の淵にて、舞香は聞き覚えのある声を聞いた。それは戎坐の声だった……そして彼は何を思ったのか、バケツ一杯分の水を大男にぶっかけたのだ。


 「かい、ざ……?」

 「これでちったぁ酔いも覚めたろ! さぁ、いい加減に正気に戻りやがれ──ぐぶっ!?」


 大男は踵を返し、そのまま反対側で叫んでいた戎坐を掴んだ。巨人が人間を掴むような、そんな馬鹿げたワンシーンのようだった。


 「ぐっ、がぁ……ッ!」

 「戎坐! ……っ、ううううっ」


 助けなければと身体を動かそうとするも、舞香の身体は既に満身創痍だった。無理矢理にでも動かそうにも激痛が走り、立っていることさえ出来ずにブロック塀に背中を預けている状況なのだ。


 万事休す。というか、絶体絶命。


 「──お、おらぁぁぁぁああ!」


 そんな状況において、周囲に響いたのは針川の情けない声だった。

 腰が抜けた状態の彼は、なんと彼自身の掌から水鉄砲……そう、丁度ホースから吹き出す水流のようなものを吹き出していたのだ。そしてそれは、戎坐を鷲掴みにしている大男の顔面にぶち当たっているのだ。


 「はり、かわ……!」

 「くそっ、くそっ……もうどうにでもなれ! 畜生め!」


 半ばヤケクソ気味に水を発射する針川。彼が持つ【奇跡】である”水を手から出す能力”は、戦いにおいてはあまりにも無力だった。──無力な、はずだった。


 「……うーん」


 どさり、と。

 なんと、大男は顔面に水を浴びたのを境に、ぐったりと地面に倒れてしまったのだ。掴んでいた戎坐を手から離し、完全に意識を失って……いいや、大きなイビキをかきながら寝てしまっている。


 「……へぇ?」

 

 針川の間抜けな声が響く。戎坐はふらふらと不安定ながらも立ち上がる。

 舞香は安堵した。二人共無事だ、ちゃんと生きている。──直後、彼女自身の身体に激痛が走る。


 「っ、うぅう……!?」


 無理をしすぎたのだろう、と。舞香は自分自身の身体がどれだけボロボロだったのかを再認識した。痛い、苦しい、息が……しにくい。


 (意識、が)


 痛みで鈍る意識、閉じていく視界。

 舞香が感じる全ての五感は狭まり、閉じていき、やがて針川の声や揺さぶりも遠く消えていった。 

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クニツカミ キリン @nyu_kirin

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