「第一話」祝福されなかった少女の夢

 午後11時56分。

 少女は、徐々に刻まれていくデジタル時計の数字を見ながらベッドの上で興奮していた。


 (もうすぐだ、もうすぐなんだ)


 彼女は、あと数分で七度目の誕生日を迎える。即ち、天から彼女だけの【奇跡】を授かろうとしているのだ。

 戦争終結から百年が経った。絶対的存在であった”天帝”という概念の消滅とともに、ニホンに住む全ての民に現人神としての力が与えられた。正確には、返された。


 この国に住まう者ならば、誰でも七歳の誕生日を迎えた瞬間に【奇跡】を授かる。

 ある者は火を吹いたり、空を飛んだり……多種多様な神の力を。


 (どんな【奇跡】が貰えるんだろう。空を飛んでみたいな、でもすごいパワーも欲しいなぁ……うーん、選べない!)


 日付が変わるまで残り一分弱。少女は両手を合わせて布団の中で祈り続けていた……どうか、どうか強くてカッコいい【奇跡】をください。お父さんとお母さんと、この国を守れる現人神になれるような、【奇跡】をください……と。


 少女が目を開けると、既に日付は変わっていた。──少女は七歳の誕生日を迎えていたのだ。


 「っ! お父さん、お母さん!」


 少女はまずベッドから飛び起き、自分の両親がいる一階へと階段を駆け下りていった。

 どんな【奇跡】を貰ったのかはわからない。でも、自分の両親と一緒にそれを確かめたいという想いが、この少女の中には強くあったのだ。


 階段を駆け下りた少女は、両親のいる寝室に突っ込んだ。 


 「お父さんお母さん! 私七歳になったよ、【奇跡】貰ったよ!」

 「なんだぁ……むにゃあ……ああ、ああそうだな! おめでとう舞香!」

 「うーん……はっ、おめでとう!」


 目を覚ますや否や少女を抱きしめる父親、寝ぼけながらも娘を祝福する母親。

 少女は幸せだった。祝ってもらえることが、喜んでもらえることが嬉しかった。


 父親は少女を抱きしめながら、彼女の右手辺りを見た。【奇跡】を授かった者は右手の甲に痣が浮き上がることが知られており、そこに浮き上がる痣の形や大きさによって能力の内容がわかる……といったものだった。


 「……ちょっと待て」


 だが。


 「いや、まさか……でも」

 「……うそ、でしょ」

 

 少女は訳がわからなかった。急に頭の中に氷を投げ入れられたように、徐々に興奮が冷めていく……父親のそんな様子を見て、母親は部屋の電気をつけた。──そして、絶句していた。


 「痣が、【奇跡】の印が……無い!?」


 父親のそんなセリフが聞こえた時、丁度少女の視線は右手に向いていた。


 そして少女は直視する。

 ハッキリとした視界の中で見える、自分の綺麗な手を。痣一つ浮かび上がっていない、ただの手の甲を。


 「……え?」


 困惑。

 しかし、その中で瞬時に察した。

 そして不幸にもそれは、残酷なまでに的中してしまっていた。


 この時、この瞬間。

 神裂家の一人娘である神裂舞香かんざきまいかの授かった【奇跡】の正体が発現した。


 ”なにも無い”

 ”なにも授かっていない”

 ただそれだけが、静かに絶望する舞香の小さな胸を押し潰していた。







 「舞香、そろそろ出てきたら……?」


 夜、静まり返った部屋のドアを、舞香の母親がノックする。

 しかし、そこから返事は返ってこない。

 

 最悪の誕生日を迎え、最低の現実を受け取った彼女の心はずたずただった。思い描いていた夢も希望も、全てが簡単に崩れ去ってしまったのだから。


 かれこれもう三日間、舞香は布団の中に籠もり続けていた。

 飲まず食わず、家族にも顔を出さずに塞ぎ込んでいたのだ。


 (役立たず。私はなにも持っていない、役立たず)


 舞香は心底神を恨んだし、憎んでいた。父親は壁に張り付く【奇跡】を持っているし、母親は遠くの物がよく見える【奇跡】を持っている。なのに、なのに……自分だけがこんな役立たずの【奇跡】だった。

 持って生まれた【奇跡】の力が価値に直結する神性国家において、【奇跡】を持っていないというのは事実的なところ人権はほとんどないのだ。露骨な差別に晒されても、誰も助けてくれない。


 どうして?

 なんで?


 いい子にしていたはずだった、親の言うこともちゃんと聞いていたはずだった。

 その結果が、このザマだった。


 いくら右手の皮膚を掻き毟っても、皮を剥がしても、その下に痣は出てきてくれなかった。舞香の身体に【奇跡】が遅れて宿るなんて都合の良い”奇跡”は、起こらなかったのだ。


 (死のう)


 舞香が反射的にそう思考してからの行動は早かった。飲まず食わずの身体にムチを打ち、自分の体を窓側に動かす……窓を開け、風が心地いいと感じてしまった。


 (どうでもいい)


 身を乗り出し、落ちた。──ぽすっ、と。誰かの腕に受け止められた。


 「……え?」

 「おっと、危ないじゃないかお嬢さん」


 舞香が顔を上げると、そこには若い女性がいた。紫色の中性的な顔立ちのそれは、自殺しようとしていた舞香を見事に受け止めていたのだ。

 抱き抱えていた舞香をゆっくりと地面に降ろし、その小さな背丈に合わせてしゃがみ込む。


 「どうしたんだい? 間違って落ちてきたとか、そういう風には見えなかったが」

 「……【奇跡】は、なんですか?」

 「うん?」

 「あなたの持っている【奇跡】はなんですか?」


 最早その質問に意味も、求めるものもなかった。

 舞香は虚ろな顔を上げ、女性のキョトンとした表情を見た。


 彼女の心には黒いものが渦を巻きつつあった。

 どうせ、この人も強くてカッコいい【奇跡】を授かっていて……恵まれていて。


 (……刀?)


 考えている途中で、女性が腰と、そして背負うように背中にぶら下げている二振りの刀に目が行った。


 この国では自己防衛においてのみ、銃や刀の所持・使用が認められている。誰もが戦闘向きの【奇跡】を持つとは限らないため、それにある程度は対抗しうる武器の所持をしている人は決して少なくはない。

 

 「ああ、これかい?」


 視線に気づいたのか、女性は刀の柄を優しく擦った。

 

 「私は生まれつき【奇跡】を持っていなくてね。こういう世の中だからね、こんな武器がないと自己防衛も出来ないのさ」

 「……えっ!?」


 よく見ると、右の手の甲になんの痣も無かった。


 「……そう、なんですか」


 自分と同じだ。

 この人も恵まれなかった、貰えなかった側の人なんだ。

 舞香がそこに優越を感じたその瞬間、彼女は自らを嫌悪した。他人が自分と同じ不幸を背負っていることに安心して、喜んでいることが気持ち悪かった。


 そんな舞香になにか、大人らしいことを言ってやりたいと女性は模索していた。


 「……なぁ、君は──」


 だが次の瞬間、その言葉は物理的に遮られた。──正確には、乱入してきた火達磨の大男によって。


 「!? 下がって!」

 「わぁっ……」


 女性の後ろに隠れる形で舞香は隠れた。向こう側には、火達磨に苦しんでいる大男……いいや、違う。身体からものすごい勢いで炎を出している! 


 あれは、【奇跡】によるものだ!


 『ふぅ……ふぅ……』


 火達磨男の様子はおかしかった。

 興奮していて、息が荒くて……そこで舞香は、少し前に見たニュースの内容を思い出した。──連続放火強盗殺人事件。最近この近くで、被害者が強盗の被害に遭った末に家を焼かれるという悲惨極まりない事件が多発しており、その犯人は未だに逃走中なんだとか。


 『んぁ? ぁああ、見られちまったかぁ……なら殺すしかねぇよなぁ?』

 「ひぃっ」


 無理だ、死ぬ。

 あんな大男、しかも炎なんていう強力な【奇跡】を持ったやつに勝てる道利はない。舞香は逃げなければと震える足で踵を返そうとした……だが、舞香は気づく。家の中にはまだ、自分の父親と母親がいることを、もう既に寝床についていて無防備だということに!


 「……ぁ、ぁぁ」

 『まぁ安心しろよ、お前ら纏めてこんがり焼いてやるから……じっくり、弱火で炙ってなぁ?』


 舞香は絶望した。

 自分に許されたのは、ただただ黙って殺されることだけだという事実に。


 「──随分と、上から物を言うのだな君は」


 舞香に迫る絶望の前に、女性はゆっくりと立ち塞がった。

 丁度、雛を守る親鳥のように。


 『あぁ? なんだテメェ』

 「”散歩途中に運悪く放火魔に出くわしてしまった美女”さ」


 舞香は尻餅をつきながら、目の前の女性の手が刀の柄に触れているのを見た。この人はあの悍ましい火達磨男に立ち向かおうとしているということを、【奇跡】を持っていないのに……戦おうとしているということを。


 『……へぇ、テメェら二人共【奇跡】ナシの出来損ないかぁ』

 「っ……」


 舞香は自分の掻きむしった右手の甲を押さえた。


 『同情しちまうよ、生まれてきた事自体が可哀想だからなぁ。ラッキーだよなぁお前らも、こんなところで俺にちゃぁんと殺してもらえるんだから』


 舞香は自分の背筋がひんやりと冷えていくのを感じていた。目の前の犯罪者の戯言が怖かったからでも、死の恐怖によるものでもない。──図星だったからだ。自分がさっきやろうとしていたことと、なにも変わらなかったからだ。


 『さぁて、おしゃべりは終わりだ。ポリ公が来る前にお前ら全員シメさせてもらうぜぇ! 来世はもっとマシな身体に生まれてくるんだなぁ!』


 燃え盛る炎。練り上げられ、放たれる大火球。

 舞香はこれを受け入れることにした。自分自身が願っていること、憂いていること……それら全てを消してくれる死神が来たのだと、そう思うことにした。

 

 瞼を、閉ざそうとして。──それは、腰から抜き放たれた居合によって切り開かれた。あれだけ大きかった大火球を一刀両断。二つに切り開かれた炎の隙間に突っ込み、女性は背負った太刀に手をかけていた。


 『ほ、炎を……斬った……!?』

 「『二刀居合』──”天舞……」

 

 火達磨男の反応よりも早く、背負っていた太刀から白刃が抜き放たれ。


 「──双龍”ッッ!!!!」


 深く、鋭く。

 滑り込んだ刃は袈裟斬りを描き、そのまま火達磨男の肉と炎を断ち切った……風が遅れて吹き荒れた後に、火達磨男は血を吐いて倒れ込んだ。ぶすぶすと、焦げ臭い匂いだけが周囲に広がっていた。


 「……ふぅ」


 血を払い、抜いた刀をそれぞれ鞘に収めた後に、女性は背後の舞香に振り返る。


 「申し訳ない、怖いものを見せてしまったね。怪我は……おや?」


 怯えるでも気を失うでもなく、舞香という少女はなんと女性に抱きついた。返り血を浴びた身体に、必死に抱きついて離れない。


 「……お姉さんは、私と同じなんですよね?」


 そして、あろうことか。


 「【奇跡】を持っていなくて、でもとっても強くて……だから、だから」


 神裂舞香は、請う。


 「あなたみたいに、なりたいんです」

 「──」


 女性は驚いた。何より、神裂舞香という少女の目が……あまりにも本気で、本物だったからだ。


 「お前、名は?」

 「神裂舞香です」

 「私は鞍馬命花くらまめいかだ。……舞香、一つ聞かせろ」

 

 故に冗談として切り捨てることも出来ず、命花はため息をつくのだった。


 「剣を、人斬りの術を覚えて……お前は何を成したい?」

 「……私は」


 誰もが怯む問い、そこにはいつだって答えなんて無く、その道を進んだ誰もがその答えに行き着くまでに長い年月と葛藤を過ごした。


 「示したいです」


 故に、神裂舞香は異質であった。


 「【奇跡】が無くても、誰かを守れるってことを。守るために、あなたみたいに……命花さんみたいに戦えるってことを」


 対峙していた命花は、目の前にいる少女が自分よりも年上に見えていた。そのハッキリとした物言い、目指すべき目標、そしてそれに伴い必要とされる覚悟があったからだ。

 

 「そうか、なら……」


 夢がある。

 悔しさというバネもある。──応えなければ、無作法であるのは明白だった。


 「強くなれ、舞香」


 そう言って、命花は自分の腰に差してあった小刀を鞘ごと差し出した。


 「私の全てを教えてやる。だから私よりも強く、私よりも多くの人を守り助けられるような……そんな剣を志してくれ」


 舞香はそれを、恐る恐る受け取る。

 手にした刀の重さに物怖じしながら、しかし彼女の中で揺るぎない何かをひしひしと感じながら……舞香は笑った。


 「……はい!」


 この日を境に、神裂舞香は鞍馬命花の弟子となった。 

 剣を握り、剣と向き合い、剣を振るい抜き放ち……そんな十年を過ごした。確実に、確実に見上げる程遠い夢への階段を形作る日々だった。


 これはつまり、そういう話。

 

 誰もが【奇跡】を、人智を遥かに超えた力を手にするのが当たり前の世界で。

 当たり前から弾かれた一人の少女が、自らを肯定するべく立ち上がり……この国の現人神の頂点である【国神くにつかみ】を目指すまでの、物語である。

 

 

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