クニツカミ

キリン

「プロローグ」

 小綺麗なテーブルを挟み、両者は茶を囲んでいた。


 「Nice to meet you. ……”天帝”殿」


 その男、マルカーサーの態度は本来ならば万死に値するものであった。ニホン国の象徴にして絶対的存在である”天帝”を前に対等に席に座り込み、膝もつかず……あろうことかだらけきった態度で足を組んでいる。


 「お会いできて光栄ですよ。まさか、この私が……現人神としてのあなたと話す最後の役人になるだなんて……ああ、とても光栄です」

 「皮肉交じりの御託は要らん」


 敗戦国の王にして全ての責任を背負うことを覚悟した”天帝”は、威厳ある静かな目でマルカーサーを睨んでいた。睨まれている側のマルカーサーは笑っていたが、それでも小刻みに揺れる眉間の皺は誤魔化せていなかった。


 (Sit! ファシズム漬けのアジアの猿め。こんなやつの信仰を削ぎ落とすために、我が国は原爆を二発も落としたのか!)

 「朕は交渉をしにきたのだ。そなたもそれが目的で、こんな野蛮でファシズムに頭を侵された猿どもの国にわざわざ足を運んだのだろう?」


 マルカーサーは笑ったままだった。

 笑ったまま、流れ出てくる冷や汗を拭うことも忘れ、出された茶を飲み干した。そして部屋の中に誰もいないことを確認した後に、前屈みになって”天帝”の目を真っ直ぐに睨みつけた。


 「……ああ、そうだ。俺達は交渉しにきたんだ。神だかなんだか知らないが、お前というファシズムの象徴は消し去らせてもらうさ」

 「それは構わん、応じよう。だが朕の話も聞いてくれ」

 「Why? 何をだ? 洗脳に洗脳を重ね、勝てる見込みもないくせに常勝だの快勝だの偏向報道を繰り返し! 一体どれだけの命が貴様の判断で失われたと思っているんだ!?」


 激昂したマルカーサーは肩を上下させながら、唾が飛ぶほどの罵声を”天帝”に浴びせ続けた。もしもここに一人でも護衛がいたのであれば、マルカーサーの首は即座に刎ねられていただろう。


 「……そうだな」

 

 だが、”天帝”は落ち着き払っていた。


 「だからこそ朕は、責任を取らねばならぬ。返すべきものを返し、託すべきものを託さなければならない」

 「……言っておくが、国民から奪った神性の再分配はさせないぞ。お前の魂ごと地獄に持っていってもらう」

 「そういうわけにもいかんのだ、マルカーサーよ。弱くなろうと力の在り処が変わろうと、奴を殺しうる神裂一族の血が絶えた今……国民が持つ【奇跡】の力だけは絶対に失わせてはならんのだ」

 「カンザキ? 奴? 悪いがお前の戯言に付き合っている時間は──」

 「マルカーサーよ、朕から二つ頼みがある」


 困惑するマルカーサーの両肩を、”天帝”はがしりと掴む。


 「なっ、何を……」

 「一つは、この国の真実を知ってほしい。何故”天帝”という強力な神の存在が必要だったのか、何故朕が死んでも神性だけは絶えさせてはならないのか……そして、絶対に目覚めさせてはならないあの存在を」


 そして、もう一つは。

 マルカーサーを完全に黙らせてしまった”天帝”は、涙ながらに絞り出した。


 「俺が死んだ後のこの国を、頼む」

 「──」


 それは涙だった。

 ニホンという国を一身に背負っていた神としてではなく、ただ一人の……ニホンという国を心から愛し、その一員でありたいと願い続けていた男の涙だった。


 「……離れろ」


 ”天帝”を丁寧に引き剥がし、マルカーサーはしばらく頬杖をついたまま黙り込んだ。

 そしてしばらくしてから口を開き、深い溜め息をついた。


 「名前は?」

 「名前……? 朕は”天帝”──」


 その時、”天帝”はマルカーサーという人間を見た。

 数分前とは見違えるように誠実で、けれども堂々としていて、目の前の”人間”と対等であろうとする人間を。──差し出されていた手を、取る。


 「……国吉。My name is "Kuniyosi".」

 「そうか、国吉。私はマルカーサーだ」


 かつてお互いを傷つけあった国、その国民同士が固い握手を結び合い……互いを認めあった。


 これがニホン最後の”天帝”、いいや国吉という一人の男が最初で最後の友人と交わした、最初で最後の約束だった。



 ◇


 

 ──朕は現人神ではなく、ただの人間である。

 

 1946年1月1日。 

 この日、大ニホン帝国の象徴的存在である”天帝”が、玉音放送にて自らの神性を否定した。


 ──堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、今日まで尽くしてくれた臣民に対し、このような結果になってしまい非常に申し訳なく思っている。


 後に人間宣言と呼ばれるようになるこれは、第二次世界大戦に敗北したニホン人への大きな二つの転換点として語り継がれるようになる。


 一つはニホンという国に降りかかる大きな絶望。

 数千年にも渡る長い長い歴史の間、消えること無く受け継がれてきた”天帝”という概念は簡単に崩れ去り……そして、ニホン人の心の拠り所は消えて無くなったのだ。


 『あんまりだ……あんまりだこんなの!』

 『食べるのも、泣くのも、息子も……全部……全部返せ……!!』


 嘆く者。

 怒る者。

 何も考えずうずくまっている者。


 支えを、苦しみの果てにあると信じてきた希望を失った民は、ただただ”敗北”の事実を悟り、理解し、喚いていた。


 『……ぁ?』


 そんな中、名も無い誰かが二つ目の転換点に気付いた。──自らの手に、真っ赤な炎が宿っていることを。


 『なんだ、これ』

 ──よって、朕は全てを返すことに決めた。


 誰かの手には炎。

 違う誰かの背中からは両対の翼。

 他の誰か、そのまた違う誰かにも……多種多様な異変が次々に起き始めていた。


 ──元来、この国の神は朕一人。しかし朕は、それを全て否定する。


 掠れたラジオから聞こえる古き神の声が、告げる。


 ──奪った神性は全て返そう。

 そう、この日、この放送により”天帝”はその絶対的な神性の大半を失うことになった。

 そしてその神性は全て、元の持ち主であるニホン国民の中に還っていった。


 ──これより今、この国の神とはこの国に生きる全ての人……即ち、汝ら臣民である。


 暴力を賛美する軍国主義は、”天帝”の死によって終わりを告げた。

 そしてそれは、ニホンに住まう人々に真の平等を……誰もが現人神としての【奇跡】を宿しているという、神性国家の幕開けに他ならなかった。


 これはつまり、そういう話。

 ニホン、いいや……世界中全ての人々が神から授かった【奇跡】を宿した百年後の世界で繰り広げられる御伽話なのだ。

 

 




「お知らせ」

今日中にもう一話投稿する予定です。一話切りするのはまだ早いですぜ!



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