「第二話」神裂舞香のため息
腰に一振り、背中にもう一振りの太刀を引っ提げた神裂舞香は、かつての恩師の墓石の前にて静かに手を合わせていた。
「……師匠」
立てた線香の煙が揺れる。風は舞香の金髪も揺らし、そのまま過ぎ去っていった。
「あの日から十年経ったんだね。私、ちゃんと強くなれたかな」
穏やかな墓参り。──否、彼女は今この時、過ぎ去る一瞬一瞬でさえも気を張り詰めていたのだ。
(まぁ、流石に墓で暴れる馬鹿はいないよね)
その証拠に目線こそ前だけを向いてはいるが、右の手は常に腰に差した刀の柄あたりを擦っている……いつでも刃を抜き、戦えるということを未だ見えざる敵に示しているのだ。
そう、彼女は【出雲神在月祭】という祭り、いいや戦いに参加しているのだ。
互いに鎬を削り、己の持つ【奇跡】をぶつけ合い……この国の守護神にして最強の神の証明である【国神】を目指すために。
「どうか、見守っていてください」
墓参りを終え、舞香は歩きだす。
歩く。
歩く。
歩く。……ちょっと待て。
「……さっきから誰もいないんだけど」
誰も、どこにも、さっきから自分以外の参加者がいないのである。墓に来るまで結構な距離を歩いてきたのだが、誰もいなかった。
小首を傾げ、舞香は腰元にぶら下げてある勾玉のうち一つを左手で擦る。五百円玉ぐらいの大きさのそれは、全部で三つほど舞香のベルトに括りぶら下げてあった。
命玉翠。
それは【出雲神在月祭】参加時に三つずつ配られる、プレイヤー同士で奪い合うこの戦いにおいての命そのものであり、決勝トーナメントへの切符の欠片でもある。
「うーん困った。相手がいないと命玉翠が手に入らないなぁ……時間、あんまり無いんだけどなぁ」
はぁ、と。舞香はその場に立ち止まり、深い溜め息を付いた。
彼女が参加している【出雲神在月祭】の開催期間は、神在月である十月一杯である。それまでに祭りのプレイヤーたちは互いに戦うことで命玉翠を奪い合い、合計百個の命玉翠を所持した状態で、決勝が行われる【出雲大社】に行かなければならない……これは、そういう戦いである。
いっそのこと先に西の方に移動してしまおうか? そんなことをぼんやりと考えていた舞香の目は、道端に蹲る少年の背中を見逃さなかった。
走ってすぐに近づき、側にしゃがみ込む。
「あなたどうしたの? お腹、痛いの?」
「……うっ」
「そうなのね。待ってて、今救急車を──」
「うりゃあぁぁっ!」
「うぇっ!? ぐはぁっ!?」
なんと、しゃがみ込んでいたはずの少年はいきなり声を上げながら、舞香の鳩尾に頭突きをぶちかましたのである。舞香はそのまま後頭部から地面に倒れ込み、「いったぁ!?」と目尻に涙を浮かべた。
少年はそのまま起き上がり、舞香に背を向けて走り去っていく。
「へへっ!」
「っ、ぅ……こらぁ!」
得意げな笑みを浮かべながら走り去っていく少年が道を右に曲がった頃、舞香はぐらぐらと揺れる頭を抑えながら半身を起こした。
なんなんだ、もう。自分より年が下のガキンチョに酷いイタズラをされ、舞香はまたもや深い溜め息をついた。今日だけで溜め息を六回、幸せが六つ逃げてしまった。
「もう、命玉翠が壊れたりでもしたらどうして……ん? あれ?」
無い。
腰のあたりを擦る。だが、そこにぶら下げてあったはずの三つの命玉翠が全て無くなっている!?
「……まっ、待ちなさぁい!!」
事の重大さに気付いた舞香は、飛び上がって少年の後を追った。さっき少年が曲がった角を右に曲がり、その後はとにかく勘を頼りに突っ走る。
この戦いにおいて、戦わずして命玉翠を強奪することは禁止されている。きちんとお互いの了承のもと一対一の決闘を執り行い、勝者が敗者から命玉翠を受け取る……そういうルールなのだが、あの少年は恐らく金目的の泥棒だろう。
稀にいるのだ、プレイヤーから命玉翠を強奪して金に変えようとする輩が。
(やばいやばい、撒かれる前に取り返さないと……!)
走って、走って、内側から湧き上がる不安を堪えながら走っていると。
──ぎゃあああああああ!!!!
不意に、叫び声が住宅街に響いた。
「っ!?」
舞香は足を止め、一切の躊躇も迷いもなくその方向へ走り出した。たった今彼女の中に存在していた最優先事項は、自らの危機的状況の打破ではなく、名も知らぬ誰かの危機を救うことへと移り変わった。
(助けなきゃ)
先程あの少年に騙されたにも関わらず、その善意を利用されて命玉翠を盗まれたにも関わらず。
彼女はただ純粋に、悲鳴を上げた誰かを助けるために走っていた。
角を曲がり、坂道を下り、平坦な道を真っすぐ進んだその先には……ひどく強い風が吹き荒れている公園があった。──その敷地内に、二つの人影が見える。
「はぁ、はぁ……!」
「的が逃げんなよ、当たんねぇだろ」
片や逆立った灰色の髪の男。鋭い鷹のような赤い目が、腰を抜かしてへたり込んでいる少年……先程、舞香から命玉翠を盗み奪った少年を睨みつけていた。
(この風……あの人の【奇跡】ね)
舞香は両者の間に漂う危険な雰囲気を確かに感じ取っていた。それが対等なものなどではなく、吹き荒れる風の中心に立つあの男が圧倒的優位であることも。
舞香は気づかないうちに背負っていた太刀の柄に手を触れ……慎重に、公園に植えられた植物の影に息を潜めながら両者の会話に耳を傾けていた。
「っ……」
歯噛みした少年が、懐から何かを男に投げつける。
それは、先程少年が舞香から奪った命玉翠のうち一つだった。
「わ、悪かったよ! オレの負けだ、降参だよ!」
「……へーぇ」
舞香はその様子を見て、一気に怒りが湧いてくるのを感じていた。
(あんっ……のクソガキぃ! 人から盗んだ命玉翠で好き放題やりやがってるワケぇ!? 許さん、あの男の人が許してもボクは許さん!)
ケツ丸出しにして往復ビンタ百連打してやる。舞香が歯噛みしながら物陰から飛び出そうとしたその時、灰色の男が裂けた笑みを浮かべたのが見えた。
少年は気味の悪い笑みに怯えながら、徐々に後ずさりをする。
「……めっ、命玉翠は渡したからな、オレはもう」
「誰が帰っていいって言ったんだ?」
爆風。吹き荒れる風が、音を立てて真横から少年を嬲った。それに直接的な痛みはないが、少年は風に煽られて地面に倒れた。
「っ!? なにすん……ひぃっ」
「お前、まだ命玉翠持ってんだろ」
舞香は確かに、男が笑っていたのを物陰から見ていた。気味の悪い、それでいて背筋が冷えるような……そんな、悪意に満ちた笑み。
「なっ、なに言ってんだお前……一回の勝負につき受け渡しができる命玉翠は一個! これ以上欲しいなら、もう一度ぉぁああっ!?」
またもや爆風。今度は先程より強く、少年の身体は巨木に叩きつけられた。
「あっ、がぁ……」
「じゃあアレだ、俺はお前に勝ち続ければいいんだろ? ほら俺の勝ちだ、命玉翠を寄越せ」
「いっ、嫌だ……これは、これはオレの……」
「いいんだな?」
男の重苦しい声が響き、公園周辺に吹き荒れる風が更に勢いを増していく。
「選ばせてやるよ、ガキ。グチャグチャになって死ぬか、大人しく持ってる命玉翠全部置いてくか。──選べよ」
そして舞香はその風の行き着く先が、男が天に掲げている掌の上であることを見抜いていた。圧縮された空気、無理矢理押し込められつつあるそれはいわゆる爆弾とも言えるだろう。
「ぼっ、ぼ……オレは」
これは最早、大会の定める決闘ではない。
殺し合いだ。
「返事が遅いんだよ、カス」
放たれる。男の手から、風の爆弾が放たれる。
これは自業自得だ。人の善意を利用し、物を取り……手慣れていた様子を見るにそういうことを何度も繰り返してきたのだろう。そうやって生きてきたんだろう。
(……でも、まぁ)
見捨てるって選択肢は、無いよね。
右の手は腰へ、左の手は右肩の後ろ側へ。──舞香の手が柄を掴む頃には、既に彼女は少年の目の前に飛び出していた!
「『二刀居合』──」
爆風との対峙。破壊を前にして抜き放たれる大刀、小刀。
「──”天舞双龍”ッ!!!!」
切っ先が描く十文字の太刀筋。荒れ狂う風よりも早く、押し寄せる力を真正面から叩き斬り伏せた舞香の斬撃が刀を”鳴らした”。力と力がぶつかり合い、波のある金属音が響いている。
刃を鞘に収め、舞香は自分の手がブルブルと震えているのに気づいていた。
あまりにも強すぎる衝撃。切った風撃の威力が、この男の持つ力が物凄いことを示していた。──故に、舞香はため息をつく。
「こんなに凄い【奇跡】を持っているのに……」
正直なところ、舞香は非常に腹が立っていた。
「弱いものいじめにしか使えないのね、あなた」
何故いつもいつも、力ある人間は”こう”なのか……と。
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