「第三話」持たざる少女の夢

 「……っ!?」


 男はようやく表情筋をピクつかせ、風に乗って後方へと飛んで距離を取る。その様子は困惑、あるいは一種の怒り……自分の技を、【奇跡】を真正面から破られたことへの怒りだった。


 「あ、あんた……」


 キッ! と、舞香は背後で腰を抜かしている少年を睨みつけた。


 「ひっ、ひぃっ!?」

 「あんた名前は!?」

 「はっ、針川和はりかわなごみですっ!」

 「あなたもあなたよ! 人様を騙して手に入れた命玉翠をあんなに雑に使って!? ほんっと腹が立つわ!」


 灰色の男はその瞬間、己の中に渦巻く複雑な感情が全て怒りに変わるのを知覚した。そこから彼は、練り上げ鋭く圧縮した風……即ち風刃を掌に携えた。


 「敵が目の前にいるのにおしゃべりなんてしてんじゃ、ねぇ!」


 舞香の背中へ放たれる風刃。それに対し舞香はゆったりと、刀の柄を握りながら振り返っただけだった。──にも関わらず、凄まじい威力だった筈の風は舞香の間合いに入った瞬間に解け、霧散した。


 「な、何ィ……!?」

 「何を勘違いしているのか知らないけど、これは殺し合いじゃなくてれっきとした祭りであり催し物なの。この国を守護する最強の神、【国神】を決めるためのね」


 歯噛みする男。しかし、舞香の背後で腰を抜かしていた少年……針川和は、それがどうでもいいと思えるほどの異常を、有り得ない瞬間を目にしていた。


 (早すぎて、見えなかった)


 かろうじて残像が目に見えるぐらいの剣速だった。

 風よりも早く抜き放たれた斬撃は、そのまま刃として形作られた烈風を切り裂き……瞬時に納刀されていた。

 

 確かに抜刀していたのに、はっきりとその刀身が見えない。

 即ち、目にも止まらぬ速度での居合抜き。


 そんな漫画のような所業の馬鹿げたカラクリを知らない男は、ただただ眉間をピクつかせていた。


 「……ここまでコケにされたのは、初めてだ」


 既に男は殺意に満ちていた。

 事の発端である針川への悪意も、命玉翠を強奪するという目的も既に消失している。


 あるのは純粋な殺意だけだった。

 

 「俺の名前は伊達丸風牙。女、お前の名は?」

 「神裂舞香よ」

 「そうか、神裂。俺は今からお前に、このくだらん祭りのルールに則った決闘とやらを申し込む」


 風が吹き荒れる。公園周辺を取り囲んでいた風が、風牙を中心に更に強く音を立てて吹き荒れ始める。


 「全力で殺す。文字通り、お前らの命玉翠を全て奪ってやる」

 「……そう」


 舞香は物怖じせず、風とともに吹き荒れる殺意に怯むこともなく……ただ冷静に、淡々と刃を抜き取り、両手に二刀を構えた。


 「やれるもんなら、やってみなさい」

 「──死ね」


 合図は無かった。

 ただ直後、刃と風だけが鎬を削り合った。


 「死ね!! 死ねぇ!!!」


 舞香は初撃の風刃を居合で切り崩し、そのまま低い姿勢で走り始める。

 激昂した風牙の風は粗かった。威力はあるが、イマイチ精密性に欠けているような攻撃が、駆け回る舞香の足元や手前の地面を抉っていく。

 

 「……」


 しかし舞香は、怒りの中にあっても冷静であった。それはそれは冷めていて、避けるべき攻撃を避けながらじっくりと刃を滑り込ませる隙を伺っているような……そんな、一種の仕事人のような貫禄さえ見受けられた。


 むしろ風牙は逆だと言ってよかった。

 何故なら彼は理解できなかったからだ。なぜ自分の攻撃が、空気という目に見えない存在が姿を変えて放たれる風を……神裂舞香という女は完膚なきまでに見切っているのか、と。


 (有り得ない! 風の流れが見えているのか、いいやあり得ねぇ!)


 ありえない、しかし事実自分の目の前にそれは起きている。

 風牙は焦った、恐怖した。自らの目の前にいる人間が、一体どんなデタラメな力を持った【奇跡】を授かっているのか……矢避けの加護? 未来予知? それとも……想像するだけで震えが止まらなかった。怒りが恐怖に変わりつつあった。


 「ちなみに一つ言っておくけど」

 (後ろに回り込まれた──!?)

 

 背後確認をせずに爆風を巻き起こす。振り返ると抉れた地面、吹き飛ばされた遊具だの色々……しかしそこに無惨な剣士の死体は見受けられない。──殺意。空を裂く刃の音が耳に伝わり。


 「私のこれは、【奇跡】とか一切関係ないから」


 ひやり。

 冷たい金属製の峰側が、優しく風牙の首に押し付けられていた。完璧に、背後を取られていた。


 「降参するなら今だよ。私、今ものすごく機嫌悪いから」

 「……は」


 ふざけるな、と。

 

 「はぁあああああああああァァァァァァアアッッ!?!?!?!?!?」

 

 プライドをへし折られた風牙が、自分の身の回りに旋風を巻き起こす。舞香はギリギリのところでそれを躱し、風が届かない間合いにまで飛んで下がる。


 「ふざけんな、ふざけんなふざけんなふざけんな!!!!」


 風牙は己が引き起こす風に己の身体を蝕まれながら、しかし怒りに呑まれながら血眼を舞香に向けていた。


 「【奇跡】を使っていない? 降参するなら今のうちぃ? 舐めプも大概にしろよクソアマァ! これは戦いなんだ殺し合いなんだ、情けなんて要らねぇんだよ……俺を今殺さなかったことを後悔しろよなぁマジのマジでぶち殺してやらァアアアアアア!!!」


 そう言って風牙は低い姿勢を取り、己の両腕を左右に広げた。

 するとなんということだろうか、彼の周辺で巻き起こる爆風……それら全てが彼の両腕を覆ったのである! 風牙の両腕を中心に、まるで風のカッター……いいや粉砕機のように!


 「しぃいいいいねぇえええええええええええええ!!!!!!!!」


 最早そこに誇りはなかった。

 最低限あった容赦も、人殺しへの躊躇いも消えた。


 「……そう」


 それでも舞香は冷静だった。

 冷静に刃を背中と腰に収め、構える。


 「あなたは、あくまで私が”出し惜しみをしている”と……そう言いたいのね」


 全てを抉り壊す風の腕が両側から迫る中、舞香はただただ静かに二つの刃を同時に抜き放ち、十文字にぶぅんと振るった。 


 静寂。

 十文字の斬撃が振るわれた頃、既に風は凪いでいた。


 「……ぁ?」

 「良いこと教えてあげるわ、風牙」


 動かない風牙を普通に横切り、舞香は普通に背を向けて歩き出す。

 徐々に自分の体が震えていること、いいや視界がぐらついていることを風牙は理解していた。──舞香の刃が、かちん……と。風の凪いだ静かな空間に響き、そして。


 「──っ、ぁぁ……!」

 「私、【奇跡】なんにも貰ってないから」


 どさり、と。

 舞香の独白とともに、風牙は膝から地面に崩れ落ちた。血は出ていないし出血もしていない、峰打ちによる気絶だった。


 「……はぁ、プラマイゼロね」


 本日八度目の溜め息を付いた舞香は、風牙の懐から零れ落ちた勾玉……命玉翠を一つ拾い、自分の腰のベルトに結び直した。


 「さて、と」


 舞香はそう言って、公園の隅で怯えている針川の方へと歩いていった。


 「私に言うべきことがあるんじゃないかしら?」

 「……【奇跡】を」

 「あん?」

 「【奇跡】を持っていないのに、アンタはこの祭りに……現人神のためだけの祭りで、なんのために戦っているんだい……?」


 それは恐怖でなかった。

 針川和という少年は、最早その事実に対しての困惑と疑問しか抱いていなかった。


 「……そりゃあ、勿論」


 それに対して、神裂舞香は笑って答えることにした。

 自分自身を、握りこぶしから飛びだした親指で指して。


 「【国神】になるために決まってるでしょ? 【奇跡】が無いから、いいえ……持っていないからこそなってみたいのよ!」

 

 さて、これが異なる数奇で深い運命を背負った少年少女の出会いであることは、今更言うまでもないだろう。

 

 「……かっ」


 しかし、しかし敢えて蛇足を付けるのであれば、きっとこうやって評するのが一番だろう。


 「かっ、けぇ……!」


 ”この出会いは、いいや神裂舞香という世界においてのイレギュラーは。

 針川和という少年に、光と希望を示した”……と。





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