「第五話」神裂を知る者
目的の場所に行くためにはバスに乗る必要がある。
針川に言われるがまま、舞香は停留所のバスに乗った。
「んで、なんでアンタの乗車賃まで私が払ってんのよ」
「いやぁ〜まぁ金欠でぇ……あはは」
いちいちそれで誤魔化せると思うなよという意味で、舞香はタダ同然の乗車をした針川の足を踏んづけた。痛ぇ! そんな声が車内に響き、鼻で笑ったあとに誰も居ない優先席に座り込む。
「痛いっすよ! ひどい!」
「こうなりたくなかったら、今度はちゃんと自分のお金を用意しておくことよ。──勿論、ちゃんと真面目に働いて手にしたお金でね」
「……ぎゃふん」
またもやふざけた返事をした針川。舞香はもういっぺん足を踏んづけてやろうかと顔をしかめたが、冷静になってため息一つで済ました。大体、こいつの助けを借りなきゃいけないのは事実なのだから。
(それに、そんなことしてる間に不意を突かれちゃたまったもんじゃないですもの)
舞香はバスの後方、最も後ろの席に静かに座っている男を横目で睨んだ。
さらさらの青白い髪、不健康なまでに白い肌……ベージュのコートを羽織っており、黒いズボンを履いている。──背の高い男だった。顔は髪に隠れていて見えないが、確かな敵意を感じた。
(プレイヤーならバスの中で襲ってくることもないでしょうけど、まぁ用心するに越したことはないわね)
舞香は椅子から立ち上がり、揺れる車内で吊り革を掴んだ。
仮に座っている時に攻撃をされてしまえば、立っている相手と競り合うのは難しいからだ。立ってさえいれば、いつでも迎撃ができる。
「あれ、舞香サン座らないんすか?」
「ええ、まぁね。お年寄りが来た時、遠慮なく座ってもらいたいのよ」
「うぉお、舞香サン優しいっすね! よっ! 人がいい!」
「せめていい人って言ってくれないかしら?」
こいつ、もしかしてこうやって今までの人生を図々しく生きてきたんじゃないだろうか。
舞香はそんな事をぼんやりと考えながらも、後ろ側に座っている男を静かに睨んでいた。どんな攻撃が来ても、どんな【奇跡】を使われても……即座に対応、反撃が取れるように。
「……」
舞香は睨みを効かせながら、しかし心の中では「不味い」と舌を打っていた。
この車内には自分と針川、バスの運転手……そしてあの男しかいない。強引にではあるが、不意打ちをしようと思えばいくらでもやりようのある絶好のシチュエーションだ。
加えてここは閉鎖された車内だ。如何に舞香が剣術に長けているとはいえ、思う存分に刀を振れないという状況はかなり不味い。
相手の持つ【奇跡】の能力の内容が分からない以上、できる限り万全かつ全力を出せる状態・環境で戦いたいというのが舞香の本心であった。
(負けるつもりなんてサラサラ無いけど、まだまだ勝たなきゃいけないんですもの。こんなところでいちいち怪我なんてしてられないっての)
次で降りよう。
舞香は針川の親切に多少申し訳無さを感じながら、次のバス停で降りるべく降車ボタンに指を伸ばした。──その直前、舞香が押すより前に、ボタンが赤く光った。
「……? 針川、ここなの?」
「えっ、違いますけど。あっちのお兄さんじゃないですかね?」
そう言って針川は後部座席、そこに座るあの男を指差していた。
舞香はものすごく警戒した。偶然と考えるには、あまりにも向けられた殺意敵意が濃すぎたからだ。
運転手の低い声が車内に響くと同時に、バスが停止してドアが開く。
すると男はゆっくりと起き上がり、ゆったりと開いたドアの方に近づいてきた。
(やっぱり気のせい? いや……でも、うーん)
気のせいだったのかなぁ、と。舞香が杞憂に終わりそうな警戒を解き、ため息を付いたところで。
「神裂一族、ねぇ」
「──」
声が。
重い。
「なんの目的でここに来たのかは知らねぇが、まぁ……俺の邪魔だけはするんじゃねぇぞ?」
ぽん、と。
男の手は舞香の肩を叩き、その後ゆったりとバスを降りていった。
「……っ、待って」
舞香は手を伸ばすが、容赦なくバスのドアが閉まる。
虚空に残った手の中には何も無い。
「えっと、その。あの人って舞香サンの知り合いっすか?」
「……ううん、私は知らない」
舞香はそう言って、ぐったりとした様子で針川が座る反対側の席に座り込んだ。
(……神裂、一族?)
彼女の頭の中は、まるで自分を……いいや、舞香自身がまだ知らない「神裂」という名にまつわる何かを知っているような意味深な発言をした、初対面であるはずの他人のことでいっぱいだった。
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