恫喝

「あ、あの、ルシナ様……」


 しかし、それは本当に刹那の出来事だった。

 オリビアから名前を呼ばれた途端にスッと笑顔を引っ込め、目元を鋭くしたルシナ。

 その雰囲気の変わりように、思わずゾッと背筋を凍らせた。


「……ふうん。面白いわね、あなた」


 唖然とする私に背を向けて、ルシナはオリビアたちに向かい合った。

 月光色の髪がさらさらと揺れ、目の前を横切る。


「私は、あなたに名前を呼ぶ許しを与えた覚えはないのだけど」


「……あ」


 今さらその事実に気が付いたのか、さらに顔を青くさせるオリビア。

 さっきまでの威勢はいったい何処へ。

 と言うか自分で言っておいて何を墓穴掘っているのだろう、この令嬢。


「いつから私たちは、そんな関係になったのかしら。申し訳ないけれど、私にはその記憶がないの」


 一歩一歩、ゆっくりと。

 しかし確実に、ルシナはオリビアを反対側の壁へと追い詰めていく。

 その冷たさと鋭さを帯びた気迫に、オリビアは後退るしかなく、取り巻きたちも口を挟めない。


「オリビア・キャロライン嬢。私はあなたたちとも仲良くしたいわ」


 本を胸に抱え、オリビアと視線を合わせる。


 目を合わせていなくても分かる。

 その視線はきっと、先程の慈愛に溢れたものとは全く異なるものであると。


「だけど、私の友人を蔑ろにするのなら、話は別よ」


 オリビアの瞳の奥に、恐怖の色が浮かぶ。

 一体どんな顔で脅されているというのだろう。


「今後一切、アナスタシア・ライリー嬢への嫌がらせを禁止するわ」


 命令するがごとく、そう言った。

 一介の生徒の言葉に、従う必要はない。

 しかし、その時この場にいた者は全員、彼女の言葉に従う他なかった。


 圧や気迫などでは生ぬるい。

 もっと重く、恐ろしい何か。

 それが心の扉をこじ開けて無理矢理入ってきて、蹂躙されていくような、そんな感覚。


 逆らえない畏怖を、感じ取ったからだった。


「……ごめんなさい、怖がらせたかしら?」


 ルシナはこちらを振り向くと、取り巻きたちに向けてニコリと微笑んだ。


「彼女とお話があるようね。どうぞ続けて」


 そう言われて、続けられるものがいるわけがなかった。

 「し、失礼します」とか細い声でそう言って、我先にと逃げるように去って行ってしまった。


「ちょっと脅かし過ぎたかしら」


 オリビアたちの背を見送りながら、ルシナが困ったように首を傾げた。


「暴走してしまうのは、私の悪い癖ね」


 苦笑して、歩き出すルシナ。何となくその後に続いて歩いた。

 しばらくの沈黙が、私たちの間に舞い降りる。


「……怖かった、わよね」


 中庭に出たところで、ルシナがぽそっと呟いた。

 独り言のようにも思われたが、チラチラとこちらを見てくるあたり、私に問いかけたのだろう。

 私は先ほどの出来事を思い出し、立ち止まった。


「カッコよかったです」


 素直に漏れ出た感想に、ルシナは勿論、私も驚いた。慌てて口元を抑える。


 ご令嬢に向かって〝カッコいい〟とはなんだ。相変わらずの口下手め。

 それよりも先に「ありがとうございました」と言うべきなのに。


「すみません、ルシナ様。あの———」


「カッコいい、か」


 頭を下げかけた私の言葉を遮って、ルシナがクスリと笑った。


「初めて言われたわ、そんなこと」


 そよ風が、ルシナの髪を緩やかに流す。

 麗らかな春の日差しの中でも、月光色のそれは、美しく輝いている。



「とても嬉しいわ。ありがとう」



 今日一の笑顔を見せて、ルシナは緩く靡く髪を耳に掛けた。

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