第24話

 殿下が入学して一年は、私達教師にとって緊張を強いられる場面が多々あったものの、それでも大きな事件、事故もなく過ぎ去っていった。

 殿下は、年間を通して全ての試験で一学年の首位を維持するだけでなく、ほとんどの科目で満点を記録するなど、他の追随を許さない抜群の優秀さを見せつける。


「どうだい? キナリス殿下の様子は」


 六学年分の試験の採点という大仕事を終え、先輩教師の部屋で慰労会という体で食事をしつつ酒を飲んでいると、ほろ酔いの先輩が突然そんな事を尋ねてくる。


「どうだもなにも。先輩も講義を担当しているからご存知でしょう? 優秀。それ以外に言葉は不要です」


 私の面白みの欠片もない答えに、酒を呷りながら小さく笑ってみせる先輩教師。


「ははっ。そうだよなあ。陛下のお子様があれだけ優秀だと、一国民として安心する思いだ。まあ、それと同時に少しだけ不安を感じているのは私だけかな?」


 十二、三歳の子供としては完成していると言っても過言ではなかった当時の殿下。

 そんな彼に不安を感じるとしたら、それは一点のみ。


「殿下のお人柄、ですか?」


 この頃の殿下の評判は、『極めて優秀かつ聡明』のあとに『表情に乏しく何を考えていらっしゃるか分かりづらい』と付け加えられるのが一般的だった。

 まあ、今が表情豊かかと問われればそう大きな変化があるわけではないのだが。

 ただ、まだ彼を理解しきれていなかった我々教師にとって、幼い殿下の取っ付きづらさというのはそれはそれは大きな問題だったことを今でも覚えている。


「そうだな。……当代陛下は笑顔の多い方だが、あの方と比べると、どうしても内気でいらっしゃるように見受けられる」


 あの男の笑顔は作り物ですよ? などとはもちろん口にしない。

 ただでさえ国王を批判するなど不敬なのに、あの男は、国民から非常に高い人気を誇る賢王なのだから。

 と、昂りそうになる感情を押し殺しつつ、先輩とは違う見解を述べる。


「内気というか、私には何にも興味がないという風に見えるのですが」


 私の言葉に、先輩教師は大袈裟に天を仰いだ。

 

「そうだとすれば、私達教師にとって恥ずべき話だね。殿下だとかどうかなんて関係なく、生徒の興味を惹く講義ができていないということなのだから」


 深々とため息をつきつつ、辛めの酒をキュッと干した先輩教師が、私の杯にもなみなみと同じ酒を注いでくれる。

 

「仰るとおりです。仰るとおりですが、かといって打開策も思いつかないのが、また」


 どちらかというとちびちびやりたい派だが、雰囲気に引き摺られてそれを一気に飲み干すと、そんな私を楽しそうに眺めていた先輩がいい事を思いついたとばかりに杯を机に叩きつけた。

 

「レイティス君。君、殿下の面談を担当してみるかい? そろそろ経験してみてもいい年次だし。うん、案外いい考え方かもね。そこで聞いてごらんよ。興味のあるものは何ですか? ってさ」


 一人で納得したようにうんうんと頷きながら再び酒を注ぎ始める先輩。

 進級面談。

 それは、生徒が進級する際に行われる聞き取り調査で、教師と生徒が一対一で向かい合い、学校への希望や不満などをざっくばらんに話し合う。

 結果は生徒の家とも共有されるため、主に経験豊富かう生徒の心の機微に敏感な教師が担当するのが暗黙の了解だ。

 ほろ酔いの頭で聞いていたので何を言われたかすぐに理解できなかったが、殿下と面談と何度か唱えるうちに、一気に頭が冴え始める。

 

「いや待ってください! 流石にそれはダメでしょう!? 殿下が初めて受ける進級面談を、一番下っ端の私が受け持つなんて。王城側が納得するわけがない!!」


 私が身を乗り出しながら必死の形相で食らいつくと、先輩はあくまで軽い調子でニヤニヤと笑うのをやめない。

 

「そうかな? 案外、学校に染まりきっていない、しかも政治や経済の思想に偏りがありそうな年寄りよりも、君みたいな若くて柔軟そうな教師の方が喜ぶと思うけど」


 新進気鋭の貴族家なら、或いはその可能性もあったかもしれない。

 が、王族だけはダメだ。

 理由は言わずもがな。

 父の醜聞と私の存在を知っている人間に嗅ぎつけられたなら、面倒なことになりかねない。

 

「先輩。飲みの席だけの話にしてくださいよ? 間違っても、間違っても会議の席で提案しないでくださいよ!?」


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