第23話
殿下が入学したあとも、しばらくはぴりぴりとした空気が教師控え室に漂っていたが、それも徐々に落ち着いていった。
殿下自身、立場を傘に着て他者に悪い絡み方をするようなことはなく、周りも遠巻きにすることはせず、殿下を一人の級友として扱う態度を見せたことがよかったのかもしれない。
彼らが成長した今思えば、この学年の生徒達はみんな当時から肝が太かった。
もちろん殿下に敬意を払い、学年の中心は彼しかいないと認めているのだが、講義中に殿下が誤答したりしたならば、きっちりヤジを飛ばしたりもする。
貴族の、さらには王族の友人関係など私が知る由もないが、平民基準では、素晴らしい友情を育んでいると言えるだろう。
「一学年の皆さん。初めてお目にかかります。私はレイティス。皆さんが学校を卒業されるまで、植物学についての講義を担当いたします」
初めて殿下達の学年に講義を行った日。
大体どの学年でもそうなのだが、植物学というものがピンとこないらしく、初回の反応は芳しくない。
政治や経済など、もっと有用な知識を身につけたい。
花の名前や種類を知ったところでなんになるというのか。
ごく稀にではあるが、露骨にそんな態度を示す生徒がいないわけではない。
この時も、一番後ろの席に陣取る殿下を筆頭に、幼い生徒達はどこか興味なさげな表情でこちらを見ていた。
「自分達の生活に、植物学がどう関わるんだと思われる方もいらっしゃるでしょう。そのとおり。これから私が六年の時間をかけてお伝えする知識は、皆さんが生きていくうえで、そのどれもがほとんど役に立たない可能性が高い」
そう言い切ると、生徒達が俄かにざわつく。
幼いとはいえ、将来的にはそれぞれが家を継いだり国の要職に就くべく知識と経験を積みにきた子ども達だ。
それなのに、その知識を与えてくれるはずの教師が、自らの担当分野を役に立たないと口にしたことが信じられない様子だった。
「しかし。もしかすると、何かしら役に立つこともあるかもしれません。そう、例えば……。将来、皆さんが愛しい方に贈る花の適切な選び方などでね?」
たっぷりと間を取った後でニヤリと笑いながら言うと、殿下を除く生徒達が一斉にキャッキャと歓声を上げる。
貴族とはいえ男の子の集団。
第一学年の初回講義で緊張をほぐすのに使う小噺は、この学年にも抜群の効果を発揮した。
もちろん、自他ともに認めるつまらない男筆頭である私の頭のひきだしにこんな話題が転がっていたわけがなく、言葉の選択から間の取り方まで、件の先輩教師から伝授されたものだ。
生徒達の興味を引くにはどうしたらいいかと相談した際これを提案された時、教師としてあまりにも軽薄すぎないかと難色を示した私に先輩教師はこう言った。
『彼らはさ。これから馬鹿みたいに重たい大人達を相手に戦っていくんだ。それを思えば、学校にいる間くらい多少軽薄な大人がいてもいいんじゃないかな?』
今思えば適当極まりないが、しかし。
当時は私もまだ若かった。
そんな助言に目から鱗が落ちる思いでなるほどと納得し、生徒達と自らの緊張をほぐすべく、先輩の指導のもと小指の先ほどしかない軽薄さを総動員して小噺の練習に励んだものだ。
なぜあの時の私は、間が悪いだのもっと笑顔の湿度を上げろなどという意味不明の指導に素直に従っていたのだろうか。
「では、講義を始めましょう。号令をお願いします」
幼い生徒達の笑い声がおさまるのを待ち、そう声を掛けると、ただ一人ピクリとも笑っていなかった殿下がスッと立ち上がった。
「全員、起立」
未来の支配者候補が放つ冷たい声色を受けた級友達が、一糸乱れぬ動きで席を立つ。
十やそこらの子供達のものとは思えない、統率された動きに驚いている私を尻目に、殿下が号令をかける。
「レイティス先生に、礼。着席」
起立、礼、着席。
三つの動きで教室に響いた音は、ザッ、ザッ、ザッ、という三つだけ。
先程まで私の軽薄な冗談で喜んでいた子供達のそれとは思えない、キビキビとした動きに圧倒されながら、仕事に取り掛かる。
「ありがとうございます。早速ですが、事前に配布させていただいた資料を開いて。ああ、安心してください。花の選び方は、毎回の講義の最後にお伝えしますからね?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます