第22話

 殿下の姿を初めて目にしたのは、私が学校の植物学教師として採用された二年後だった。

 当代陛下のご長男が入学してくるということで、学校は受け入れ態勢の構築にてんてこまいしていたことを今でも覚えている。

 なにせその頃にはベルタ先生もまだおらず、駆け出し教師である私に雑用という雑用が回ってきたあの時は、教師人生で一番の祭りだったと言ってもいい。

 一年以上を掛けて学校の警備体制を見直したり、使われなくなって久しい王族専用の部屋を設え直したりし、迎えた入学式。

 他の新入生なら両親や親族が参加するのが慣わしだが、殿下の親はつまり国王陛下だ。

 式に陛下が臨席するということはもちろんなく、傅役である元王立騎士団団長、エルムンド老が後方からその姿を見守っていた。

 形だけの入学試験で抜群の結果を残し、入学生を代表して決意表明を行う殿下。

 第一印象は、『父親そっくり』。

 親子なので当たり前なのだが、それにしても王族の血の濃さを感じずにはいられない。

 十を少し越えたくら位の歳だというのに、その表情にはお世辞にも温かみは感じられず、どこまでも冷めた、近い将来『凍土殿下』と呼ばれるに相応しい印象を受けた。


「しかし、これから当面は、緊張の連続だな」


 入学式を無事終えた教師控え室で、先輩教師がだらしなくソファに寝転がりながら言う。


「殿下の卒業まで六年ですか。私達にとっては長い道のりですね」


 お茶を渡しながら言う私に、先輩教師は意地の悪い笑みを浮かべながら首を振ってみせた。


「いいや。みんな気づかないふりをしているが、殿下の弟様と妹様の入学も控えている。何もなければ、三人のお子様が同時に在学することになるぞ?」


 一人だけでも大変なのに、あと二人?

 それはまずい。

 ただでさえ先輩教師達があまりの忙しさをうけて順番に倒れていったというのに。

 これをあと二回?

 そんな絶望感を感じ、胃から何かしら込み上げてくるのを感じたものだ。


「早く後輩が入ってきてくれませんかね?」


 頼みの綱は後輩教師。

 毎年採用があるわけではないが、この頃、高齢の先生方の後釜を採用する動きがあったので、後輩ができることを心から願っていたのを覚えている。

 どれくらい切実だったかというと、普段は滅多に足を運ばない教会に、休みのたびに祈りを捧げにいったくらいだ。

 しかし、そんな思いを口にした私を、先輩教師がせせら笑って見せた。


「その場合、君が後輩指導をしながら雑用をこなすことになると思うよ? なんたって、新人ながら、殿下の入学をつつがなく迎えるという難事に立ち向かってみせた勇者の一人なんだから」


 後輩指導と、王族を迎えるための雑用を、同時並行で?

 あまりのことにすぐに頭が働かず、徐々に言葉の意味を理解するに伴い、じわじわと絶望感が襲ってきた。


「勘弁してください。しかも授業の準備もあるのでしょう? 無理です。私にはできません。せめて後輩指導は先輩が担当してください!」


 縋り付くようにそう言った私にも、先輩教師はあくまで落ち着いたもので、だらしなく寝転んだまま、大丈夫だというように親指を立ててみせる。


「レイティス君。心配はいらない。なんと言っても、私達には今回の経験がある。弟様のご入学の時には、それを下敷きにして取り組めばいいのさ」


 若かった私は、なるほど、と思ってしまいそうになったが、よくよく考えれば、その言葉には私を助けようという意思は何一つ込められていないことに気づいた。

 今でも尊敬すべき先輩なのだが、できるだけ楽をしようという意図が見え隠れする点だけはどうにかしてほしい。


「先輩が手を貸してくださらないなら、体力自慢で気が利いて、なおかつ先輩である私を慕ってくれる後輩がほしいです」


 私の希望を聞いた先輩は、目を丸くしたあと、腹を抱えて控え室中に響くような笑い声をあげた。


「はっはっは! それはまたわがままなことだね、まあ、貴族のご子息だけではなく、国王陛下のお子様と接することになるんだ。採用があるとすれば、人間性という面ではまず間違いない人間を採るさ」


 そしてこの数年後、私の後輩として採用されたのがベルタ先生だ。

 体力は置いておいて、気が利いて私を慕ってくれるという点では十分過ぎるほどの後輩であり、願いを叶えてくれた神への感謝を込めて、当時、教会に多めのお布施をしたことを記しておこう。

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