第21話
獣化して痛んでいた体もすっかりよくなり、普段の生活に戻りつつも夜は引き続き監視の目を光らせていたある日の早朝。
柔らかく戸を叩く音に顔を出すと、そこにはローブを着た老人の姿があった。
「以前にも、早朝の訪問は遠慮してくれとお伝えしたと思うのですが?」
部屋に招き入れて茶を出したところでそう苦情を申し入れると、皺だらけの顔に笑みを浮かべながら老人が言う。
「何分、年寄りは朝が早いもので。それに、お仕事終わりの往来が多い時間にお邪魔する方がご迷惑でしょう?」
これでも気を使ったんだといいたげなエルムンド老の態度に思わずため息が漏れる。
確かに夕方訪ねて来られる方が迷惑ではあるが、そもそもわざわざ顔を出さなくてもいいはずだ。
「用があるなら文なりなんなりで済ませられるでしょう?」
「もちろん、文による報告でもいいのでしょうが、大事に巻き込んでおいてそれではあまりに不誠実だと。そう思う次第」
不誠実ときたか。
表に出せない私と殿下の関係に訴えて護衛を依頼してきた人物の口から出ていい言葉ではないが、この男にそんな皮肉が通用するわけがないので、別の気になったことを指摘してみる。
「その何か企んだような笑顔。なるほど、殿下は貴方の真似をしているのですね。傅役の影響というのは大きいようだ」
殿下がたまにみせる、ニヤリと笑ってみせる顔。
それがまさにこのエルムンド老とそっくりだ。
しかし、私のそんな指摘に大袈裟に首を振ってみせる老人。
「まさかまさか。私は本当に何か企んでおりますが、殿下はあれが素の笑顔でございます」
この男は本当に企んでいるらしい。
しかし、殿下のあの笑顔が心からのものだとすると、誤解を招くこともあるのではないだろうか。
もともと整った顔の殿下がニヤリと笑うと、私でもよからぬことを考えているな、と思ってしまう事があるのだから。
そこまで考えたところで、エルムンド老が微妙な表情を浮かべていることに気づき、一つ咳払いをする。
「……話を変えましょうか」
「結構です。では、朝の貴重な時間を私のような老人に使わせるのは本意ではありませんので用件を済ませましょう。お約束していた報酬です」
そう言って鞄の中から取り出したのは、紙で丁寧に包まれた小さな鉢植えだった。
美しい爽やかな緑色の苗が植っているのを見て、私は思わず目を見開きながら尋ねる。
「……なぜ?」
エルムンド老が持ってきたもの。
それは、殿下を護衛する報酬として約束されていた、ポルトギスの北に位置する寒冷な国でしか見ることのできない花の苗だった。
図鑑の挿絵でしかみたことのないその苗の姿に、思わず息を呑む。
「お渡しすると約束していたでしょう? いらないのなら持ち帰りますが」
そう言いつつ鉢植えを引っ込めようとするエルムンド老。
慌ててその老人にしては太い腕を掴んで止めながら、慎重に尋ねる。
「護衛の報酬と仰ったはず。今これをいただけるということは、事は済んだということでしょうか」
この報酬は、植物学の世界に身を置くものとして喉から手が出るほどほしいが、それと同時にドラン子爵家を取り巻く情勢も気になるところだ。
「詳くは申し上げられませんが、貴方の働きにより、重要な情報を得ることができましてね。これは、感謝の印です」
「賊が何か吐いたのですね」
エルムンド老の口ぶりから、まだ終結はしていないものの、何かしらの進展があったことは推測される。
「なかなか強情でしたが、貴方への恐怖も手伝って最終的には協力的な態度を取ってくれるようになりました」
「具体的には?」
続きを促す私を無言でジッと見つめたあと、やれやれというようにゆっくりと首を横に振る老人。
「秘密です。と言いたいところですが、それもまた不誠実でしょう。刺客を放ったのはドラン子爵の第二夫人子飼の人間でした。ジラウス殿でしたか? その弟様を後継者にと推す派閥です」
弟が、兄の命を狙ったのか。
十分に予想できたことだし、言ってしまえば最も考えられる理由はそれだったが、実際に聞くと心が重くなる。
兄弟間での命の奪い合いとは、なんとも悲しい話だ。
「現在、陛下の指示のもと刺客から得た情報の裏どりを進めております。結論が出るには今しばらく時間が必要ですが、遅かれ早かれ大きな動きがあるでしょう」
「つまり、もう護衛も必要ない?」
この段階で報酬を渡したのだからそういうことなのだろうと思い尋ねると、エルムンド老が表情を引き締めて頭を下げてくる。
「もし許すようなら、完全に事が済むまではご協力いただきたい。もちろん、別口で報酬は用意いたしますので」
念には念を入れて、か。
「いいでしょう。その代わり、以降の連絡は文でお願いします」
「かしこまりました。殿下の傅役として、ご協力に心から感謝いたしますよ、レイティス様」
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