第17話

 侵入者を排除した翌日、私は部屋で寝込んでいた。

 魔力を纏い獣に姿を変えた次の日は決まって熱が出て、体がバラバラになるような激痛に襲われる。

 きっと、並の獣人よりは多いという程度の魔力を全て絞り出して使うことによる副作用のようなものなんだろう。

 初めて獣に姿を変えた次の日なんて、このまま死ぬんじゃないかと思う程の痛みで、二度とやらないと心に決めたくらいだ。

 まあ、そんな決心も虚しく、その後も複数回あの姿にならざるを得ず、その度にこの地獄の苦しみを味わっているのだが。

 学校は国が運営する公的な組織のため、体調不良で一日休んだくらいではクビになったりはしない。

 それでも、講義一コマとはいえ、春先に組んだ予定が遅れることを生徒達に申し訳なく思いながらベッドで唸っていると、部屋の戸を控えめに叩く音が聞こえた。

 普通なら戸を開けるなり、開いてるから入れと声を掛けるなりするところだが、今の私は動けないどころか声を張っただけでも体の節々が痛む状態にある。

 訪ねてきてくれた人には申し訳なく思いつつも、別の日に出直してもらうべく無視を決め込んでいると、なぜかゆっくりと戸が開いた。

 鍵をかけ忘れた?

 いや、そんなはずはない。

 一日動けないことがわかっていたから、隣室の同僚に今日は休む旨の伝言をして戻ってきた時、確かに鍵を閉めたはずだ。

 侵入者の仲間?

 一瞬そんな考えが浮かんだが、すぐに打ち消す。

 昨日の今日で獣の姿の私と普段の私を結びつけられるわけがない。

 古い建物の床をギシギシと鳴らしながら近づいてくる来訪者。

 緊張しつつ、寝返りもままならないなかなんとか首を横に向けると、目に映ったのは果物が山のように盛られた籠だった。

 

「……大丈夫、ではなさそうだな」


 聞こえてきたのは心配と不安をない混ぜにしたような声。

 聞き馴染みのあるその声で知人であることを察し、内心ホッと胸を撫で下ろす。


「なんだ、殿下ですか。驚かせないでください」


 私が掠れた声でそう苦情を申し立てると、ため息を漏らした殿下がテーブルから椅子を持ってきて、ベッドの横に腰掛けながら言った。


「なんだとは酷い言いようだな。可愛い弟が様子を見に来てやったというのに。ああ、これは見舞いの品だ。体調が戻ったら遠慮なく食べてほしい」


「一教師の部屋に訪ねきたのを人に見られたらどうするんですかとか、一人暮らしの男が食べる量を遥かに超えているとか言いたいことは色々ありますが、せっかくのご厚意なので頂戴いたします」


 実際、この状態になると当分食欲も湧かないことが多いので、肉や魚よりも果物のような軽いものが助かる。

 そんなことを考えていると、何を思ったか殿下が赤い拳代の果実を籠から取り出し、服の袖で軽く拭くと、こちらも用意してきたらしい果物ナイフで皮を剥き始めた。


「一体何を?」


 痛みをこらえながら身体を起こして尋ねる私に、ゆっくりと首をふってみせる殿下。


「寝ていろ。どうせ今日は何も食べていないのだろう? ……その有様ということは、力を使ったのだな?」


 力を使う。

 つまり、獣の姿になったのかと聞いているわけだ。

 過去の経緯から既に獣人に姿を変えられることも、その後の副作用も知られているので誤魔化すわけにもいかず首を縦に振ると、皮を剥く手元を見つめながら殿下が言う。


「今朝、正門に鋭い刃物でずたずたにされた侵入者が二人打ち捨てられていたらしい。息はあるようだが、話を聞けるようになるまで時間を要すとか」


「耳が早いですね」


 衛兵に見つけてもらえるよう二人組を放り捨ててから半日と経っていないのにもう知られているとは、流石王族というところか。

 殿下ともなれば、学校内にも多くの伝手を持っているということなんだろう。

 その後、無言でしゃりしゃりと皮を剥いていた殿下が、突然頭を下げた。


「兄上。この度はお手を煩わせてしまい申し訳ない。このとおりだ」

 

「おやめください。学校の教師として、生徒達の安全を確保するために必要なことだと思えば、礼を受けとる種類のものではありません」


 殿下自身も、私が教師として守るべき生徒の一人だ。

 もちろん、エルムンド老からの礼はきっちりふんだくるつもりだが、生徒から礼を受け取るつもりはない。

 しかし、私の言葉にぶんぶんと首を振りながら、殿下が苦しそうな表情を見せる。


「そこではない。私が頭を下げたのは、私に力がないばかりに、優しい貴方に力を振るわせてしまったことだ。自分が、情けなくて仕方がない」


 相変わらず優しいことだ。

 私だけでなく、分け隔てなくこの優しさを見せる素直さがあれば、凍土殿下などと呼ばれることもなくなるだろうに。

 この弟が責任を感じなくて済むよう、兄として可能な限り軽い口調で言う。


「ああ、そんなことですか。大丈夫です。若い頃ならいざ知らず、今は持っている力を振るうことへの忌避感はありません。生徒達を、何より貴方を守ることができたこと、嬉しく思います」


「兄上……」


「そんなことよりも。どうやって部屋の鍵を開けたのか。それを教えていただけますか?」


 話の間中、ずっと気になっていたことを尋ねると、意味ありげにニヤリと笑いながら殿下が言った。


「王族の秘密だ」

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