第15話

 私に何かあれば自分が許せない。

 そう言った殿下だが、それは私も同じだ。

 エルムンド老からの報酬が魅力的なことは否定しないし、生徒を守るのが教師としての責務と考えているのも本当だが、なにより、血の繋がりのある弟が危険に晒される可能性を知ってしまった以上、傍観しているわけにはいかない。

 そんな思いから、教師用の寮から学生寮の様子を窺う日々が続いたある晩。

 陽が沈むと同時に閉められ、国から派遣された衛兵が夜通し警備に立つ正門ではなく、学校の周りを囲む高い塀を乗り越えて侵入してくる人影を発見した。

 全身黒で統一された服と顔を覆う頭巾を身に付けた二人組。

 性別は不明。

 周りを警戒するように頻繁に首を振りながら、学生寮の方へ進んでいく。

 わざわざこんな時間に正門以外から校内に入ってくるのだから、まともな職業の人間ではないだろう。

 目的はジラウス殿か、殿下か、それとも他の何かか。

 まあ、目的如何は関係ない。

 生徒達の学び舎であるこの学校に、邪な目的で忍び込んだ時点で排除されて然るべき存在なのは間違いないのだから。

 そのうえで目的が殿下なら……言葉にするまでもないというものだ。

 昼間よりも多めに魔力を纏い、寮の窓から身を躍らせた私は、着地すると同時に地面を蹴る。

 目標は、学生寮を目掛けて足音も立てずに走る二人組。

 月明かりしかない闇の中を警戒しながら進む敵に追いつくのに、そう時間はかからなかった。

 行く手を阻むよう突然立ちはだかった私に動きを止める二人組だったが、焦りや驚きを感じさせる挙動も見せず、静かに刃物を抜いてみせる。

 なんとも話が早いことだ。

 誰何してみたものの当然返答はなく、代わりに、その手に握った刃物を突き込んできた。

 無駄のないその動きを見ると、やはり職業として荒事に従事しているのだろう。

 腕力面で特に見るべきところのない名もない一教師程度、声を上げる間も無くあの世に送ることができるであろう突き。

 しかし、私も簡単にこの世を卒業してやるわけにはいかない。

 暗闇の中、身体の中心を狙って突き出された刃を半身で躱し、相手が体勢を整える前に脇腹を蹴り飛ばす。

 その時点で私との距離を詰めてきていた二人目の動きは、その界隈で生きる者なら称賛を惜しまないものだったかもしれない。

 だが、仲間が予想外の反撃に遭ったことで動揺したのだろう。

 二の矢として突き込まれた刃に一人目ほどの速さはなく、容易にその手首を捕まえることができた。

 周りの音を聞くに、この二人以外の侵入者はいないようだ。


「何者だ、貴様」


 頭巾越しに憎しみの籠った低い声で尋ねてくる侵入者。

 どうやら男のようだ。


「そちらこそどなたですか? こんな夜更けに塀を乗り越えるなんて危ないことはおやめなさいっと!」


 二人目の手首を掴んだまま再びの誰何を試みる私に背後から斬りかかってきたのは、蹴り飛ばした一人目。

 拘束を解いてそれを躱すと、一人目が私から目を離さずに囁いた。


「退くぞ」


 潔いほどあっさりと逃亡を選択する侵入者に感心する思いだったが、そう都合よく出たり入ったりしてもらっては困る。


「逃すとでも? 残念ですが、進むことも退くことも許しません」


 そう宣言しながら、温存していた魔力を全て放出し、身体に纏っていく。


「……なんだ貴様は。その姿、アニマラの獣人?」


 普段は獣人としての身体的特徴が見当たらない私だが、ある条件下においてのみ、母から受け継いだ獣の血が姿を現す。

 その条件とは、魔力を纏うこと。

 私の保有する魔力量は純粋な人種に比べれば劣ると言わざるを得ず、基礎である火や水、風や土などの属性魔法を使うこともままならない。

 しかし、その魔力を身体に纏わせることで普段眠っている獣としての力が目を覚ますと、身体能力の面で人種のそれをことごとく大きく上回ることができた。

 具体的には、瞳は暗闇の中でもより遠くまで見通すことができ、耳はより広範囲の僅かな音を聞き分け、脚力はより速く力強く大地を駆けることができるよう強化される。

 そして、最も変化するのが、私の容貌だ。

 猫科の獣人である母。

 その血を継いだ私もまた、魔力を纏うことでそれらしく姿を変えることができる。

 侵入者が驚いているのは、今の今まで人種だった私が、顔や腕に黄金の体毛を纏い、頭上に三角の耳を備えた獣の姿に変化したからだろう。


「獣人かと問われれば、答えははいであり、いいえだが、あまり時間がない。悪いが、これでさようならだ」


 そう言いながら指から生えた鈍色の爪を見せつけてやると、言葉も視線も交わさず踵を返す二人組。

 判断が早い。

 が、今の私を相手に鬼ごっこをするには、動きが遅過ぎる。

 地面を蹴り、侵入者の走り出した方向に回り込んでやると、小さな舌打ちと同時に、心臓が跳ねる音を獣の耳が捉えた。


「だから逃さないと言っただろう? お前達は既に狩場に足を踏み入れている。いい子だから、大人しくしていろ」


 怖がらなくてもいい。

 私は、理性的で優しい獣だから。


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