第13話

 副団長様との会食の翌日。

 この日は、五学年への講義が最後のコマだった。

 厳しさを含む凛とした殿下の号令で、一斉に礼を行う生徒達。

 一日の講義を終えた彼らにねぎらいの声を掛け、教卓で資料を片付ける私に、どこか不機嫌そうな顔の殿下が近づいてくる。


「レイティス先生。先程の講義の内容で質問があるのだが、今構わないだろうか」


 教室で声を掛けてくるとは珍しいこともあるものだが、やる気のある生徒は大歓迎だ。

 個人的にも、講義直後に疑問点を解消しておくというのは、とても大切なことだと思う。

 

「もちろんです。どの部分でしょうか」


 私がそう応じると、浅く頷いた殿下が後ろを振り返り、講義中の緊張から解放されて雑談に興じている仲間達に言った。


「皆、すまないが先に帰っていてくれ。個人的な質問の間、待たせるわけにはいかないからな」


 普段なら、殿下を先頭に寮まで引き上げていくのがお決まりの五学年。

 生徒達が何をするにも殿下を尊重しようとする気配に若干の不安を感じはするが、王族の存在とはそういうものなのだろう。

 この時も殿下の言葉を受け、誰一人疑問を挟むことなく素直に退室していった。

 これで教室には私と殿下の二人だけだ。

 

「……わざわざ人払いとは。講義の内容についての質問ではないのですか?」


 私が眼鏡を押し上げながら尋ねると、殿下が唇の端を歪めて笑う。


「兄上の講義を受講するにあたっては予習を欠かしたことはない。それに、あそこまで丁寧に説明されては質問などあるはずがないだろう」


 お褒めいただき恐悦至極、とでも言う場面なのだろうが、私が口を開く前に言葉が続く。


「城からの接触があったな? 隠しても無駄だ。この眼鏡が動かぬ証拠だからな」


 そう言いながら私の眼鏡を奪い取る殿下。

 薄く色のついた眼鏡を取られた私の瞳は今、黄色く輝いていることだろう。

 獣人としての特徴に乏しい私だが、魔力を纏うことで一部獣としての証が現れる。

 この瞳は、その一つだ。


「もとより隠し事は苦手なタチなのですが、やはり殿下にはバレてしまいますか」


 眼鏡を奪い返して掛け直しながらため息をつくと、殿下がそれを上回る大きなため息をついてみせた。

 

「当たり前だ。似合っていないとは言わないが、兄上がその眼鏡を付ける理由を知っている身としては何かあったと疑わざるを得ない」


「そして、最近のことを考えればその何かとは殿下絡みのことしかあり得ない、と。お見事です」


 意識して微笑みながら拍手を送ると、ますます不機嫌そうに眉間に皺を寄せながら距離を詰めてくる殿下。


「なぜすぐに言わなかった」


 なぜと問われれば、理由はただ一つしかない。


「聞かれなかったからですね」


「……兄上」


 私の回答がお気に召さなかったのか、声にはっきりと怒気を孕ませながら、鼻がくっつきそうなほど顔を寄せてくる。

 見れば見るほど父にそっくりだな。


「落ち着いてください、殿下。そのような話をされるということは、殿下ご自身にも城から何かお達しがあったということですね?」


「ああ。陛下御自ら釘を刺しにこられた。必要以上に兄上に近づくな、と」


 予想していたものとは違う釘の刺され方に、ほんの一瞬言葉に詰まる。


「……てっきり、ジラウス殿の件に関わらないようにと釘を刺されたのかと思っていたのですが」


 殿下は、面白くなさそうに鼻を鳴らすとようやく私から離れ、定位置である教卓正面の机に腰掛けた。


「もちろん言外には含んでいただろうな。だが、それを陛下が口にすればドラン子爵家で何かが起きていると認めるようなもの。兄上の名を出す事で遠回しに牽制してきたということだろう」


 相変わらず、王族というのは面倒な生き物だ。


「そうなると、言われたそばから私に近づくのはまずいのでは?」


 この瞬間を監視されているとは思わないが、普段仲間達の先頭にいる殿下がいないところを見られれば、疑われても仕方ないだろう。

 そんな指摘に、殿下が肩をすくめてみせる。


「講義の内容についての確認は必要な事だ。学生の本分は、学ぶことにあるのだから。そうだろう? レイティス先生」


 普段あれだけ兄と呼んでくれるなと言っても聞き入れない癖に、都合のいい時だけ生徒と教師の立場を主張するつもりらしい。


「殿下が幼い頃からその調子でいらっしゃるなら、エルムンド老もさぞ苦労したでしょうね」


「つまり、兄上に接触したのは爺やか」


「ええ。丁寧にお手紙をいただきました。お渡しすることはできませんよ? 破いて燃やしましたので」


 もうありませんよ? と手をひらひらさせてやると、殿下が苛立たしげに天を仰ぐ。

 

「抜かりのないことだ。まあ、いい。兄上。巻き込んでおいてどの口がと思われるだろうが、これ以上貴方を頼るつもりはない。爺やが何を言ったかは知らないが、無視してもらって」


「お断りします」


「兄上」


 言うことを聞くつもりはない。

 そう断言すると、私を呼ぶ声の一段温度が下がる。

 そのあまりの威圧感に降参してしまいそうになるが、ここで退くわけにはいかない。


「エルムンド老の頼み事を見事こなしたら、なんと前々からほしいと思っていた北方にしか咲かない花の苗をくれるというじゃないですか。この機会を逃す手はありません」


「兄上!!」


「声が大きい。まあ、花の苗については冗談としても、エルムンド老からの依頼は王立学校教師としての役割を大きく逸脱するものではありませんのでご安心を」


 兄として弟を守るのではなく、教師として生徒を守る。

 それならば給料のうちだと自分に言い聞かせていることは、殿下には内緒だ。


「……頑固者め」


「貴方に言われたくはありませんね」

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