第8話 ※主人公視点外
兄上からエダポイトの実の粉末が詰まった小瓶を大量に預かった翌日。
早速朝からジラウスを呼び出し、身体にいい薬だとでも言って渡してやろうと考えていると、王城からの遣いが部屋を訪ねてきた。
用件は、父王からの呼び出し。
思わず出そうになった舌打ちをすんでのところで我慢した自分を褒めてやりたい。
兄上なら言うだろう。
遣いの者に罪はないのだから、と。
緊張で表情を硬くしている若い男にねぎらいの言葉をかけ、準備を整える。
学校側には、今日の講義を全休する旨の連絡が済んでいるらしい。
一日休んだくらいで問題はないのだが、兄上の植物学を休まねばならないのは残念だ。
そんな思いを抱えながら馬車に揺られて城に戻り、案内に従って父の私室に足を踏み入れる。
「突然のお呼び出し、一体何事でしょうか。五学年ともなると、講義の予定が詰まっているのですが」
挨拶もそこそこにそう言うと、椅子に深く座ってこちらに冷めた視線を投げかけてくる父王が、ぴくりとも表情を動かさずに応えた。
「私とて、多忙な長男をわざわざ呼びつけるようなことはしたくない。だが、言いつけを守らぬようなら、親として釘を刺さねばなるまい」
ああ、嫌になる。
何がといって、私がこの表情に乏しい男に瓜二つだと言われること。
この父に似ていることを認めるくらいなら、凍土殿下と呼ばれることを受け入れるほうがいくらかマシだ。
「それは怖い。しかし、偉大なるポルトギス国王たる父上から直々に釘を刺されるような事態とはこのキナリス、特に思い当たりません。そもそも、言いつけとは?」
「お前が多忙なように、私とて無駄な議論に時間を費やす程暇なわけではない。いいか。王立学校教師であるレイティスに、必要以上に近づくな」
やはりそれか。
立場上監視がいることは理解しているが、報告は思っていたより密に行われているようだ。
「レイティス先生ですか。あの方は非常に優秀ですね。政治学や経済学の講義より低く見られがちな植物学への興味が湧くよう、講義の内容が工夫されています。例えば」
「キナリス」
私が兄上について語ろうとするのを、低い声で遮る父王。
「なんでしょうか?」
つられて、自分の声が低く冷たくなるのがわかる。
数瞬の睨み合いのあと、ため息をつきながら父が言う。
「あれは、お前の兄ではない」
正気か?
いや、一国の王に正気などあるはずもないのだが、それでも胸中で問わずにはいられない。
この父王がアニマラの歌姫と恋をし、結果生まれたのが兄上だということは、知っている者なら知っている純然たる事実だというのに。
それを、兄ではないとは。
……落ち着けキナリス。
兄上から何を学んだ?
いつの時も、冷静に。
怒りは、理性を後退させる。
「さてさて、困りましたな。父上ともあろうお方がそのように事実を歪曲しようとされるとは。貴方を賢王と慕う国民はどう思うのでしょうか」
国を富ませ、国民を愛してみせる姿は、まさに賢王と呼ぶに相応しく、その点に異を唱えるつもりは毛頭ない。
問題は、一人の人間としての部分だ。
民の前では笑みを浮かべながら手を振る賢王が、王の仮面を脱いだ途端、酷薄な素顔を現す。
今まさにこの瞬間も。
「お前のためを思っての忠告だ」
「私の何を思っての忠告だというのか、理解に苦しみます。あの方は歴とした貴方の血をひく王の子。それも、長子として認められる存在のはず。まあ、他に同じような存在がいなければという前提ですが」
他に子供がいてもおかしくはない。
言外にそう伝えると、この日初めて父の表情が動いた。
「父を侮辱するか?」
「侮辱? 真に子供が我々四人だけならば、胸を張っておられればよろしいのでは?」
再びの睨み合い。
先程よりも長い沈黙を破ったのは、またも父のため息だった。
違うのは、苛立ちが混ざっていたことか。
「これ以上は言わん。レイティスに近づくな。それは、あの男に不幸を招く可能性がある」
不幸。
不幸か。
ははっ、面白いことを仰る。
「既にあの方は不幸を味わっているようですが? 城の者と、なにより父上が下した誤った判断のせいで」
私の言葉に、父が座る椅子の肘置きを握り締め、ミシミシと嫌な音を鳴らす。
「……まあ、いいでしょう。レイティス先生と必要以上に近づかない。それでよろしいのですね? ああ、そうだ」
席を立ったところでふと思い立ち、懐から赤い粉の入った小瓶を取り出して父の前に置く。
「レイティス先生が作られた、エダポイトの実の粉末です。軽い毒なら広く解毒効果があるそうなので、お守り代わりにお持ちください。では、これにて」
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